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不信のときAuthor:伊藤 博文 ( Profile ) 心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。 〜聖パウロの言葉より〜 |
■ 2016/10/31 (月) まどろみ |
若いころは深夜映画を観ながら眠るのが好きだった。
深夜2時過ぎくらいからやっている映画を明かりを消して 布団にもぐりながら観ていると、いつのまにか眠ってしまう そのまどろみの時間が至福だった 今は明かりを消して 暗い天井を見ながら眠る 「心霊体験談」の朗読を聴きながら・・・ 1週間のうちの楽しみはやはり金曜日 金曜日の夜は1週間分の疲れがどっとでる だが2日間出勤しないでいい、それだけでほんとうに嬉しい 金曜日の夜は早めに家に帰って 「ドラマ10」→「ドキュメント72時間」→「プレミアムシネマ」とハシゴ そして就寝 |
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サイコロ ドキュメント72時間は溜め取りしています^ (16/11/01 00:27)
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■ 2016/10/16 (日) 映画「SCOOP」を観てきました |
「フライデー」とか「週刊文春」っていうのは編集部がこんな感じなのだろうか
普通は始業時間や終業時間が決められ、残業時間も管理されて みたいなところで働いているので、こういう職場は新鮮に映る ジャーナリストは自由な雰囲気があってうらやましい。 もっとも同業他社との競争やノルマはあるんだろうけれども・・・ ネットの何かのレビューにあったが、今年は邦画の当たり年だそうだ まったく関係ない話だが、僕は亡くなられた方の死亡記事を読むのが好きです 厳密には下記の記事は「死亡記事」には当たらないのかもしれないが、こういう「人の 一生を数行にまとめた文章」を読むのが好きです。 【参考例】 ロバートショウ 生年月日 1927年8月9日 没年月日 1978年8月28日(満51歳没) 英国ランカシャー州(現グレーター・マンチェスター)ウェストホートンで生まれる。父親は医師。幼い頃から文学や詩に親しむ一方、ラグビーやハンドボール、陸上競技に没頭するスポーツ少年でもあった。 医師を志してケンブリッジ大学に進学するための奨学生試験を受けているうちに、先にロンドンの王立演劇学校の奨学生に合格した。ジョン・ギールグッドに師事して演技を学ぶうちにその面白さに取り憑かれ、卒業後は由緒あるオールド・ヴィク座の団員となり、1949年に初舞台を踏む。その後、ロンドンやブロードウェイの劇場に出演する。舞台俳優としての道を歩み始める一方で、学校教師・スポーツライター・新聞書評欄の担当記者などさまざまな職を経験、少年時代から文学に親しんだこともあって、文筆業としての才能も発揮し始める。 俳優としてより先に作家として有名になり、小説や戯曲は世界各国で出版され、『戦場はどこだ!』のように映画化された作品もある。 マーク・ロブソン監督によるアクション大作『アバランチエクスプレス』撮影終了直後の1978年8月28日、自宅のあるアイルランドのメイヨー州ツアーメイカディで車を運転中に心臓発作を起こし死去。51歳という若さでの急逝だった。 ※死亡記事(しぼうきじ)とは、新聞などの記事のうち著名人の死を伝える内容のもののことである。訃報(ふほう)とも言い、日本では死亡記事のコーナーは「おくやみ欄」とも呼ばれる。発行者が独自に掲載を決めたものを指し、遺族などが依頼して広告として掲載されたものは死亡広告と呼んで区別する。 |
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■ 2016/10/05 (水) 先生 |
今度でも、中日ドラゴンズの社長が、
「広岡(達朗=元西武監督)を自分のほうにコーチとして連れていきたいんだが、 何とか先生、なりませんか」 「だめ」 「そんなこと言わないで、なんとか。」 「だめ。まだそういう運命がきていない」 「尽力してください」 「尽力したって駄目だよ。つまり天運がまだこないんだから駄目だ。天運がそういうふうに決定してある」(「盛大な人生」中村天風述) 上のやりとりは、広岡さんが巨人を辞めて、ただ天風先生も御存命の頃、となると おそらくは昭和41,2年の頃だろうか。その後、昭和50年代以降に名監督として名を成す広岡さんの将来を予見されたかのような言葉である。 徳の高い方というのは人の運命についてもある程度わかるのかもしれない。 僕が中村天風先生の名を知ったのは、やはりこの広岡さんの「意識革命のすすめ」を 読んでである。その時はただ漫然と読み流しただけだったが、何年かたって、 何かの雑誌である会社の社長が「私の1冊」ということで天風先生の本を挙げていた それからこの人の本を少しずつ読むようになったのである。 私がインドへ行って三日目、山に行く道すがら先生からこういう質問が出た。 「野原を歩いているときに、後ろをヒョイッと見たら虎が追いかけてきた。そこで、たまらぬと逃げ出して、どこか安全なところはないかなと、はるか向こうを見ると、大きな松の木が天にそびえている。これだっていうんで松の木に登って、チョイと下を見ると、その松の木の枝の出ている下は底知れない谷だ。 ここなら虎も上がってこないわ、ここにしばらくいようと思っているとき、ヒョイと気がついて頭の上を見てみたら、頭の上から大きな蛇がお前を飲もうとして紅蓮の舌をペロッペロッと出して近寄ってきた。上に大きな蛇、下に虎。 そこで、これは困ったというんで、どこかに逃げるところはないかと、ヒョイッと足元を見ると、谷底へ蔦葛が下がっていた。これだこれだ、この蔦葛にひとつぶら下がっていれば、蛇も虎もどうすることもできないっていうんで、蔦葛にぶらさがった。 いいか。そうしたらば、やれ安心と思ったのもつかの間、手元に何か怪しき響きを感じてきたので、ヒョイと上を向いたら、なんと貴様、そのつかまっている蔦葛の根を、リスめが来て、ボリボリ食いおった、どうする?」こういう質問なの。 そのままあなた方にも言う。どうする? そのとき私はね、あなた方と違って、何べんか、もう駄目だという生死の中をくぐり抜けた後の、いわゆる生死経験の者でありますから、あなた方ほどあわてませんでした。私、にっこり笑ったよ。その時に。どうせ、むこうの満足するほどの返事はできないかもしれないけど、私としてはこう考えた。何もあわてることはないじゃないか。切れるまでは生きているんだから、切れて落っこちてから後のことは、落っこちてから後に考えればいいと思ってね。 「落っこちるまでは生きておりますから、そのまま安住しております」と言ったら、 「偉いっ、それなら先々の見込みがあるぞ。それが人間の世のほんとうのありさまじゃ」 これが人間の世のありさまなんです。気づかないために安心しているんではなく、気づいたときでも安心ができるようでないと、本物じゃないわけだね。ところが、あなた方、気づかざる場合には知らぬことで、我が心を煩わさないから何も考えないけれども、わかったら大変だ、ねえ。 わかったら大変じゃいけないんですよ。わかっても、我れ関せずの心になり得れば、人間の世界に何の恐れも感じない、実に安心した状態が続いてくる。 まあ、こんなことを言われても凡夫にはなかなか簡単には理解できないのだが、 次のことはいかがだろう 「まあ、いいことだけを絶え間なく絵に描けよ、心に。」 ただそれだけしか教わらないんだが、心の中で思ったり考えたりすることを、心のスクリーンに想像力を応用して描くと、それが期せずして強固な信念となる。信念となると、それがいつかは具体化するのが必然の神秘なんだ、ということが悟れたわけだ |
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