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不信のとき

Author:伊藤 博文 ( Profile )
心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。
    〜聖パウロの言葉より〜

 ■ 2016/09/04 (日) 胸騒ぎ


大切な人の死や別れにはかならず「予感」がある

それは心の奥底の灰色の諦観のようなものだ

「次のオリンピックは見れるかなあ」
と父がつぶやいた
3年前の正月、家族でロンドンオリンピックの総集編をみていたときである
何気ない一言だったが
父の余命は長くない、とそのとき心の奥底に厭な予感がした
父はその時点で80歳を過ぎていたが健康状態には何の問題もなかった
だが、その時流れていた「風が吹いている」という曲が
まるで惜別のように哀しく聴こえていたのをよく覚えている

父は4ヶ月後、癌で逝去した


これとはまた少し違うが
人の顔をみて、何かがおかしいというか、奇妙な違和感を感じることがないだろうか

名前を出しては悪いが、昔の芸能人で岡田由希子さんという方がいた

初めてこの人の顔をみたときそんな感じがした
決して厭な予感というのではないが、しかし何かが引っかかるというか
うまくは言えないが何かが違うのだ

TBSのアナウンサーで自殺した川田亜子さん
(知っていらっしゃる方は少ないかもしれないが)
もそうだった
パーツは整っていて美人なのに、何かがおかしい、何かが・・・


無論僕は霊能者ではないし、そんな「予感」を感じることもごくまれにしかない
しかしそういう予感は後で当たっていることが多い
ものの本によれば、そういうのはどんな人間にも備わった普遍的な能力であるらしい。

しかも面白いことにはそういう力・・・いわゆる「第六感」は鍛錬する方法があって
実は鍛えれば鍛えるほど発達するとのこと
その方法は視覚聴覚触角などの五感をトレーニングで鋭敏にすることによって、
その奥にある第六感の誘導を容易にするということ

視覚であれば・・・
二人ひと組になって、一人のほうがあらかじめ物や本を雑多に置いておく
後ろを向いているもう一人のほうが一瞬だけそれを「見て」
後でどんな物があったか、どんなタイトルの本があったかを回答する
それだけでなくそれについての細かい形状について答えさせるというもの

聴覚であれば・・・
時計の秒針の音を距離を離して耳で追う
あるいは騒音けたたましい場所である一つの小さな音を特定して追いかけるというもの

触角であれば・・・
目を閉じて指先だけの感覚で碁石や色紙の色をあてるというもの

他にもいろいろあったかもしれないが、手元にその本がないので詳しいことは
忘れてしまった

再度、自分の例でいえば、仕事で自分のところに回ってきた決裁文書が
何も内容を見ていないのに、これはおかしいとわかることがある。
それはやはり、訓練とか鍛錬とかという堅い言葉でなくとも
もう何十年も同じことをやっているから自然とトレーニングができている
ということではないか






















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めとろん 私も霊能者ではないですけれど、如何ともしがたい予感、見たときには意味が分からない予知夢、それから本来見えないであろうものが白日にほかの人もいる中で見えた事もあります。体験した事がない人は脳が起こす幻覚という側面のみで説明しますね。もちろんそういう人はたくさんおられるのはわかります。それは理解したうえで、一寸違うだけどなあ〜と思います。時間移動は理論的に可能ですし、時空的な何らかの歪みというか飛び越えがあるのかな。 (16/09/04 15:28)
ななこ 私も上原美優さんに同じものを感じてました。暫くして生い立ちの再現ドラマを番組で見ましたが、酷い貧困と孤独の中で育った人でした。それを見て更に「この人、大丈夫なのか・・」と思っていたら・・。 (16/09/04 13:59)


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