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不信のとき

Author:伊藤 博文 ( Profile )
心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。
    〜聖パウロの言葉より〜

 ■ 2014/12/07 (日) 運命


人間の運命は実は決められているという考え方がある。

昔読んだ立花隆の「臨死体験」下巻に「マッド・サイエンティスト」と呼ばれた
科学者のジョン C リリーの体験が書かれてあった。

脳と心の関係を研究していた彼(リリー)は、自分の脳に電極を差し込む、
またLSDを服用しサマディータンクという重力が0になる特殊な浴槽で
瞑想する等の過激な実験を繰り返していたが、
ある日、瞑想中に二人の「ガイド」と称する霊的な存在と遭遇する。


二人の「ガイド」が彼に示した世界観はこうである。

・この世界に実在するものは広大な「知的ネットワーク」のみであり、
 人間存在とはこの「ネットワーク」から分派された仮の存在、
 死とともに「ネットワーク」に再吸収されることになっている。

・人間は自由に生きているように見えるが、その運命は「ネットワーク」の
 「偶然の一致制御センター」によって巧妙に操作されている。

・この世界とは「知的ネットワーク」の自己観照の場であり、
 ビッグバンをくり返しながらあらゆるものを生み出し経験を重ねてゆく
 ティーチィングマシンである。

この本を読んだのはずいぶん前のことだからうろ覚えだが、こんな内容だったと思う。
荒唐無稽なSFだが、しかし50を過ぎた今になって思い返すと、
あながち的外れな世界観でもないような気もする。

人間はただ生きているのではなく何かに生かされているという感覚は間違いなくあるし、人間にピグマリオン効果のような力があるのは何故なのか?

中学の時、国語の授業で太宰治の「走れメロス」を教材として習った。
その時、国語の女性教師が「勇者たるもの、運命を信じないんですね。」
と断定した口調で話していたのを思い出す。

だが・・・今の自分には
運命を左右する何者かの存在を否定することはできない・・・そんな気がする。

自分の同級生で成績優秀・スポーツ万能だったが大学入試に失敗し
ノイローゼになって自殺した男がいた。かたや以降30年こけつまろびつしながら
愚かしい人の世を歩いてきた自分の人生をありがたいと思わずにはいられない。

生きていくのは辛い事が多いが、それでも面白い























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ゆうたろう 相当昔に見たアルタード・ステイツって映画でありましたね。アイソレーションタンクに入ってLSD使って感覚遮断して変性意識状態に入っていくみたいな。若い頃はSFやサイバーパンクとか大好きで、他にティモシー・リアリーとかも、雑誌の記事ああれば読むくらいであまり詳しくはないですが好きでした。「ターン・オン、チューン・イン、ドロップ・アウト」って標語も当時良くわからないまますごく気に入ってました。またその関係の本とか読んでみたくなりました。 (14/12/07 21:21)


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