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人生??? |
■ 2006/05/04 (木) 初めて感じたこと |
何日かまえ、かってに手が動いて文章を長く書いていた。
したの文章の中に出てくる私という人はこの文章を今打っている私とはべつじんのようであるけれど、しかしその文章を打った手は一緒だ。 今打っている私と、したの文章を打った私とは別人のようで、そして文章の中に出てくる私もまた別人のようにしかおもえない。 私は誰がこの文章を書いているのか知らない。 いか、いんよう ↓↓↓ どうしてあの時は気が狂ったように文章が書けたのだろう、今はまったく何もかけないのに。 こうやって書いている何かだって、結局は再び読み返すことはないのかもしれないだろう。だが、あのとき、僕には気が狂ったように文章がかけたのだ。 書いた言葉が散って散って、かいた自分でも忘れてしまって、そうなって一体そこに何が生まれるんだろう。何も生まれてないんだろう。だけれど、それを書いたとき僕は気が狂っていたのだ。なんでも思い通りにかけると思えるくらい、気が狂っていたのだ。 かく言葉が何も浮かばないのはなになのか。浮かぶもの全てが空虚なのはなになのか。まったくかけない自分はまともなのか。今でも狂っているのか。かけないくらいなら狂ってしまいたい。でもかけないのだから、狂うことも出来ない。 狂っていたと思うのはたとえば、そのときはかくこともできないのだけれど、自分でまったく住んだことのないところにいったときに、どんどん迷い込んでしまって他人行儀な家々が立ち並んでいてその全ての家々が恐ろしくて、一生そこからでられないんじゃないかとおもったことがあった。そこに住んでいる人にはあたりまえの光景なんだろうけれど、私には地獄にしか思えなかった…。あたりまえの光景があっても、それはじぶんにとってはあたりまえでない。それだけのことで、なんだか自分がそこにいてはいけない人間だという感じがしてしまって、しかし勝手がわからないからどうやればそこから出られるのかわからない。出口がないところをぐるぐる廻り続けて、なのにその出口のないところは自分がもともといたところじゃないから出口はあるはずなのだ。出口が欲しかったのに、誰も教えてくれなかった。ほんとは、その辺に住んでいる人に聞かなかったから、教えてくれたのかもしれないのだけれど、でも「ここの出口を教えてください」なんてことを言ってもたぶん困ってしまって教えてくれなかっただろう。だから、狂っていたときの自分でもそれはわかっていたので、聞けなかったんだと思う。あるいはもしかしたら、そうではなくて、そこに住んで生活しているだけの人がなんだか地獄の住人みたいに思えて怖かっただけなのかもしれない。確かに怖かった。そのときの思いで中で一番怖かった記憶があるのは、アパートの階段の下で幼稚園か小学生くらいの子供を遊ばせていたおばさんだった。子供のほうもなんだか空恐ろしかったけれど、おばさんのほうが怖かった。何で怖かったのかをすこし詳しく書くと、ようするによそ者出て行け、といわれそうな気がしていたのだけれど、ぐるぐるまわっていたそのときはそこからの出口がまったくないと思って困っていたので、つまりそこから出て行けといわれても出て行きようがない。といって出て行かないとなんだか暴力を振るわれたり、権力のある何かに話を持っていかれそうな気がしてどうしようもなかったのだ。出て行きようがないところで出て行けという圧力を受けるのは、ほとんど死ねといわれているようなものだろう。このあたりから出て行け、この周りから出て行け。うちの周囲に近寄るな。うちの家族に手を出すな。手を出すくらいなら死なせてやる。なんだかそういわれそうな恐ろしい感じがしたので、何も言えずにぐるぐるしていたのだ。要するに僕はそのとき命を失いそうなほど恐れて、心細い感じでいたのだ。今でもそういう感じになることはあまりないけれど、でもそういう気がしたことは確かなんだ。 それ以外でも、とても怖い思いをした思い出がある。電車に乗って行ったことのないところに行ったときのことだけれど、窓の外を眺めてそのとき電車に乗っていたのだけれど、ちょうどそのころ西日がぼくの背中から指してくるかっこうで、電車のまどの外をながめていたときのことだ。おてんきのいい日の夕方くらいで、西日がとてもとおくまで差し込んでいた。いろいろなものが西日を照りかえしていて、なんだか血が通ったみたいに見えてそれは綺麗だった。電車がすこし山を切りとおしたところを通ってそのときはコンクリートで固められた山の切り口のところ以外、西日もなにも見えなかったのだけれど、それが切れて視界が広くなったとたん、大きな眺めが広がった。そのとき見えたものがとても気持ち悪かったのだ。みえたというのは、はるか向こうにというか、唐突に地平線まで広がっているのではないかと思うくらい向こうまで遠く、丘陵がせりあがっていて、そこにびっしりと家が建ちならんでいて、それが西日を受けて赤く赤くなっていたのだ。こうかいても何が気持ち悪かったのかまるでわからないけれど、気持ち悪かったのはそのいえたちが、なんだかびっしりと産み付けられた虫のたまごみたいに見えて、でもそれが頭のかたすみではただ新興住宅街みたいなところに人が住んでいる家がびっしりとたっているだけで、西日で赤く燃え上がって丘陵の稜線のところまで立ちならんでいるが克明見えているだけというのがわかっているのだけれど、けれどじぶんのところからみるとちいさなちいさな、どれもおんなじ形をしたそういう繭みたいな中にちいさくちいさく人が住んでいてみんな同じ暮らしをしているのだと、言葉でそう浮かんだわけではないけれどそういうイメージがほんの一瞬だけ思い浮かんで、そうなった瞬間にその家々はもう家ではなくて虫のたまごが並んでいるとしか思えなかった。もしほんとうに、丘陵の斜面にそんなに大量に虫のたまごがびっしりと並んでいて、しかもそのぜんぶが一キロとかそういう遠さからみて「虫のたまご」だと思えるくらい大きかったとしたら、一体どんな虫がそのなかで大きくなっているのか。そういう想像を言葉でしたわけではないけれど、「虫のたまごだ」と思った瞬間にもうそのことしか思えなくなって、金縛りにあったように体が動かなくなって考えられなくなった。けっきょく電車に乗っていたから、そのまま電車は次の山の切り口の中にもぐりこんでまた山の中の断面をかためているコンクリートで視界がいっぱいになって、そしてまた視界が開けたときにはもう普通の商店街が広がっていてすぐに踏み切りが目の前を通り過ぎていったりして、ある意味では普通の光景が広がっていた。だからぼくはそういう恐ろしい世界からふつうの世界に何とか戻されたのだけれど、あのまま家の中で大きな虫が眠ったまま大きくなっていっているような世界に残されたらどうなっていたんだろう。それをおもうと今普通に生きているのがなんだかとても有難いような、そういう気持ちになる。 もちろん、その世界がまたいつか開けるんだろうという気がしていて、それかくことにつながってくるんだろうと思うのだけれど、いまのようにこちらの世界に深く足を突っ込んでいてきるとそれはどんどんなくなってきてしまう。狂いたいくらいだけれど狂えない。 ↑↑↑ いじょう、いんよう 今日、童貞を捨てた。 歳の行ったソープ嬢が相手だったけれど、なかなか射精できなかった。 そういうものなのだろうか? |
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コンドウマサヒロ 25才で僕は童貞です (10/09/01 20:25)
(´・ω・`)しょぼんぬ 長いので、今度印刷してじっくり読んでみます(´・ω・`)。 (06/05/05 23:45) 4と5 ある世界・光景が立ち現われるさまがありありと描かれていて、吸い込まれるように読んでしまいました。不思議な文章ですね…。 (06/05/05 00:49) ソープの虎 ちみの脳ミソを変えるには風俗を極めることだね。じゃないと一生つまんない人生だよ。 (06/05/04 22:24) 645 ソープは高いとこいっとこうね。 (06/05/04 12:18) 645 ソープ気持ち良かった? (06/05/04 12:16) |
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