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忘れ物


 ■ 2010/04/12 (月) 1年前


出張11日目。
今日も晴れて気温も上がった。

PCを開けると、前の会社の同期から会社を退職する旨のメールが届いていた。
理由は何となく分かった。



去年の今ぐらいの時期、僕は鬱病と診断された。
1ヶ月休業後、会社からクビを告げられた。
それから半年間、僕は全てに無気力だった。いわゆる引き篭もり。

前職はとあるIT企業だった。
世界的に有名な某企業である。

入社前の僕のイメージは、激務だけど華やか。

ある意味、当たっていた。激務といえば激務で、1週間連続睡眠時間1時間って言う事も
あった。
新人研修後直ぐ、客の情報システム部に対し僕一人でプロジェクト改善を
要求された。先輩のフォローは勿論あるが、基本的な会社のスタンスは
「自己解決できないならば辞めろ」

給料はその分良かった。気が付いたら給料日の連続だった。
お金を使う時間が無い分尚更だった。月十数万のアパートの家賃とカード代が引かれる
位だった。

それでも疲れは感じなかったし、自分自身成長して周りを蹴落としてやろうと必死だった。気が付かないうちに、何かが積もっていたのかもしれない。

そして4月のある日、突然体に異変が起きた。
食欲がまったく無くなってしまったのだ。
何を食べても味覚が無く、もどしてしまう。
ふと、自分が今何をしているのか分からなくなってしまった。
どうしてテレビを付けたのかとか、どうして顔を洗うのかとか、どうして
生きているのか、とか。

友人にこの症状を話したら、心療内科に行った方がいいと薦められた。
病院で、鬱病の項目テスト(?)を行った結果、圧倒的に鬱病の症状が高いと
医者に言われる。ドクターストップ、休職届の申請。

その会社は僕のような症状になる社員が多い、と後で聞いた。
毎年自殺者も出ている。僕の3つ上の仲の良かった先輩も、その半年前に亡くなった。
死因は不明だが、僕も一歩手前だった。もしかしたら、その先輩が止めてくれたの
かもしれない。

別に会社がそこまで社員を蔑ろにしているわけではないと思う。
福利厚生はちゃんとしているし、給料も高い。
でも、入社前に想像できなかった事は、会社の圧倒的な無機質感だ。
PCであればCPUの調子が悪ければリブートすればいい。ポンコツであれば
買い換えればいい。

でも人は違う。リブートも買い替えも出来ない。

鬱の症状が改善された後も、どこかにスイッチがあったかもしれないが
僕には見つけることが出来なかった。

その後、運良く現在の会社に就職する事ができた。
しかし僕は自分の過去を会社に伝えていない。




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 正確に言うと頭文字ではありませんが・・・w (10/04/12 22:35)
th1969 Iが頭文字の会社? (10/04/12 22:01)


 ■ 2010/04/11 (日) 晴れてもなお


出張11日目。休み。
久しぶりに晴れる。太陽がのぞく。

昼間からホテル近くの飲み屋でビールを飲む。
豚肉の炒め物と一緒に頂く。

台北はこの6年で著しく変化している、気がする。
タバコも全面禁煙が基本。

ふと店のテレビを見ると松井の特集をやっていた。
野球の人気は高いので、松井を知ってる人も多いのだろう。
基本的に台湾は、親日かな。でも昔の歴史を引きずる人も多い。

その飲み屋も店長は流ちょうな日本語を話す。80歳近いらしいが
やけに丁寧な標準語だ。

「あいにくお札が切れておりまして御不便おかけ致しますが・・・」

そんな丁寧に言わなくても・・・・

占領中相当厳しく日本語を教え込まれたのだろうか。
笑顔で話す裏の、何か薄暗いものが僕の頭の中でスピンアウトする。


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 ■ 2010/04/10 (土) 台北好日


出張10日目。最終日。
夜7時。がっつり雨。
オフィスを出て、
MRTに乗りホテルへ移動する。

電車で特にすることがないので、ふと前に座っている子を見る。

見た事がある顔で、聞いた事がある声がする。

それは懐かしい顔で、懐かしい声だった。Aだった。
Aは相当驚いていた。まあ、こっちはこっちで電流が走った状態だったけれど。

気づいたら降りる駅で降り損ねていて、とりあえず一緒に復興駅で降りることにした。
外はもう4月なのに肌寒く、マフラーをする人も結構いた。

6年。

その時僕は大学生で、短期留学で一カ月ここにいた。
Aとはクラブで知り合った。話をするとたまたま、同じ学内の学生だった。
それから台湾にいる間はほぼ一緒だった。
台湾人でおおざっぱな性格で、抜けている所が可愛かった。

6年か。

とりあえず復興駅近くの居酒屋(日本のとはちょっと違うけど)に行った。
まだまだ外は寒いけど、中は禁煙だった為テラスに座ることにした。

Aは席を立って、しばらくして戻ってきた。
前吸っていたタバコを覚えていたらしく、それを買ってきてくれた。
僕もAが吸っていたタバコを覚えていた。でも今のは違っていた。

何から話せばいいか迷った。
6年前、日本に帰国してから確か1カ月くらいは連絡を取っていたが、
自然に無くなった。考えるのをやめるようになっていた。
たまに夢に出てきたが、そのうち消えていった。

Aには今彼氏がいるらしい。僕も今彼女がいる事を言った。

改めてAを見ると、まったくと言っていいほど昔と変化がない。
くりくりした目や口元に、ちょっと前より化粧が濃くなった位で
ほとんど時間が戻ったような感じだった。

記憶から消えかかっていた彼女が、こうして目の前にいると妙にリアルで
生生しいもんだと思う。

そのころより僕は多少広東語が話せるようになっていて、Aは褒めてくれた。


注文しすぎて余った串物をどうしてくれるんだと店主に怒られたので、気まずくなってさっさと店を出た。

クラブに行こうとAが言い出したので、どうしようか迷った。
6年前にはなかった101ビルの地下にいい所があるのは知っていたが、次の日の朝が早いので断った。

次の日がもし休みだったら行ったかな。

いや、行ったら間違いなく、色々まずいことになると思う。。
普通に可愛いし。。楽しいし。

6年。

確かあの時は夏休みだったのでむちゃくちゃ暑くて、どさっとスコールに良くやられた。
良く考えてみたら一度も好きといったことはないし、言われたかな。。記憶にないな。

う〜ん特に成長もしてないし、、人間はそんなに変わらないのかな。
少しずつ、ズレが出て、例えば吸うタバコや化粧や就職などで、それで人間は変えられていくけれど。

それにしてもあれだけ日本語教えたのに、完全に忘れてやがった。
ほんと、なんも変わってないよ。


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