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統合失調症でも生きていけるっ!Author:うつから復活 ( Profile ) 妻と二人暮らし+兄弟猫の まんだらくん♂となゆたちゃん♀の 二匹の医療猫(セラピーキャット)との闘病と平穏な日々の日記 |
■ 2009/06/25 (木) 患者としてどうすべきか第二弾 |
「患者としてどうすべきか」発症2〜3年ごろの場合
☆前置き とにかく難しい。それは書くこともだし、病状が多岐になるし、 患者自身もどの位置に居るか判断してもらわないといけないし、 お医者さん相手に上手くいっている場合とそうでない場合もあるし、 内容が多岐に渡ることとデリケートになることだ。 だから書くのに時間が掛かるし、校正も慎重になる。 あえて「うつから復活」が書いているので乱暴な面はある。 ☆状況の例(羅列で順番は無い)個人差が大きい、本人目線の話し a)もうすっかり忘れてしまってバリバリ生活している、何の症状も無い、薬も飲んでいない b)日常生活に通常に戻っている、何の症状も無い、薬も飲んでいない c)日常生活に通常に戻っている、何の症状も無い、予防的に処方薬を飲んでいる、不安も無い d)日常生活に通常に戻っている、何の症状も無い、予防的に処方薬を飲んでいる、不安がある e)日常生活に通常に戻っている、少々症状が出る、通院している、不安は無い f)日常生活に通常に戻っている、少々症状が出る、通院している、不安が少しある g)日常生活に通常に戻っている、少々症状が出る、通院している、不安がある h)日常生活に支障がある、不安は無い i)日常生活に支障がある、不安が少しある j)日常生活に支障がある、不安がある k)日常生活に支障がある、困っている l)日常生活が困難、不安は無い m)日常生活が困難、不安が少しある n)日常生活が困難、不安がある o)日常生活が困難、困っている z)その他 ☆例としての状況(自分の体験談) 状況としては(z)のその他。ひどい状態だった。順を追って話そう。 誰が聞いても知っている大手の某N社の完全資本の子会社ソフトウェア会社で忙殺されているのに 他人のサボリまで引き受けて残業3桁時間は当たり前の状態から社内派遣状態で移動し少し楽になった頃、 上司と人事からひどい仕打ちを受けてウツを発症する。移動させてもらうが作業効率は酷く低下し、 自信を失って自己判断決定が出来なくなっていく。 医者から診断書をもらって私傷病休暇をもらい、呆然としていた。 ただ気持ちは焦るばかりとなり1年6ヶ月の期限を焦った気持ちのまま1年2ヶ月で切り上げて無理やり復帰する。 何も仕事は与えられず、座って待ち2時間以内にリーダーに「仕事は無いですか」と問い掛けるが 「座って」としか返事はもらえない。座り続けることが困難になり、席を外してトイレや私用電話をする。 戻っても仕事は無い。他の人は山盛り仕事をしている。座り続けることが困難なので事前に予定を聞き 許可をもらって午前半日休暇や1日休暇をとる。だが1ヶ月後に人事は突然呼び出し、 「俺の顔にドロをぬりやがって」と言われ2時間くらい謝り続けた。 「上司に責任もある、とってもらう」と言われパニックになる。 そんな状態ですぐ「自己都合か会社都合か選んで退職しろ!」と迫られる。 妻と共に八丈島へ逃亡し、浜辺で海を眺めつつただ涙を流していた。 たぶん2、3日後に組合に電話して状況を伝えたが、組合に人は大勢居るが誰一人仕事をしていない。遊んでいる。 実質、委員長と書記の2人しかうごいていないのを知る。無力だった。会社を去る。 会社を辞めてしまえばただの無職。肩書きが無い自分がいかに無力か打ちのめされる。 さらに病状は悪化した。ここから記憶は日々途切れ途切れとなり寝たきりが始まる。 ただ自分ですることは、寝ること、トイレに行くこと、食べること、たまに妻と話すこと、となる。 思考は自己否定ばかり。ここで2〜3年後の状況となる。(前置きが長くてスマン) 病状は日々悪化して、記憶が1日と持たない。 寝たきりの生活で自己否定の思考がついに自己存在の否定になっていく。 「自分は価値が無い」「出来れば生まれる前に生まれることを無かったことにしてもらいたい」(でも出来ない) 「自分は生きていていいのだろうか」「妻を解放したらどうだ」「呼吸していていいのだろうか」などの 存在否定を膨大に脳内で思考していく。 生きる事にも積極的に死ぬ事も出来ず、呆然としながら、 スパイダルコのセレーテッド(波刃)の折り畳みナイフを取り出す。妻はぐっすり寝ている。 首の動脈にあてたまま思考する。「生きる?死ぬ?やめる?」 当然、大量失血なら確実に死ぬ。たぶん、痛くて、大量失血で寒くて寒くて、そうとうかなり痛くて、 首の動脈にあてたまま「生きる?死ぬ?」これだけが脳に残り、何時間が経過しただろうか・・・ スズメがうるさく鳴いている、朝日が差し込んでいた。朝になった。太陽が照っている。強烈な日差し。 自分と無関係に朝が来た。たぶん、夜が来て、また朝が来るだろう。 世の中の体勢は自分と無関係に日々が過ぎて行くだろう。生きていても、死んでも。 ナイフを置いた。腕が疲れ、脳が疲れ、とりあえず「死ぬ事を保留」した。 生きることを選んだワケでは無く、死ぬことを選んだワケでは無く、ただ保留した。 疲れてナイフを仕舞い、ただ寝た。病状は一旦止まった。 死ぬことも出来なかった。そう思ったが、それも保留した。 発症2〜3年頃だった。あとから思い出しても記憶がほとんど無い。 ☆例としての状況(妻の体験談) 2、3年目というと退職、自宅療養、ひきこもりと盛りだくさんだった。 医師には「速攻で会社を辞めろ」と乱暴とも取れる言われ方をされながらも、 その後1年3ヶ月は正社員のまま、辞めて3ヶ月アルバイトとして勤めていた。 その間ちょこちょこ休んではいたが、長期休暇は取っていない。 それができる会社なら、医者の言うとおりもっと早くに辞めることもできたことになる。 当時の上司は「必要とされていると思えば、病気も早く治る」という考えだったので、 辞めるまでの間仕事は減らなかったうえ、後任者の指導もあったので常にオーバーワークだった。 やっと退職し、アルバイトも辞めた私は、家族に頼んだ。 「ゆっくり休みたいから、3ヶ月間好きなだけ寝かせて」 実際に好きなだけ、特に日中に寝るのは難しかった。 特に一日家に居る母は、口うるさかった。 「今だけなんだから」「ちゃんと治るんでしょうね」「いい歳してゴロゴロして」などなど 病気で弱っている私の尻はずいぶんと叩かれた気がする。 母は憶えていないらしい。きっと我慢はしてくれていたのだろう。 蟲の居所が悪い時に言ったのだろうが、こちらとしてはオチオチ寝ていられないことで、 気に病んだり怨んだりもした。 今となってはこの辺りは過去の些細な問題となっているが、当時は重大問題だった。 そんな風だったので3ヶ月たっても治ることはなかった。 そのままひきこもりに似た生活に突入した。 私の気持ちとしては(g)の状態だったと思っていた。 医者は「困ったらいつでも来ていいから」と言ってくれていた。 家族は「だらだら、ゴロゴロしてばかりいる」と文句が多かった。 当時を知っている友人は「目が死んでいた」「言動が変だった」と言っている。 私自身の思いと、医者、家族、たまに会うだけの友人では見解が一致していない。 今思えばまだジタバタしていたし、無理もしていた。無理が利くとも思っていた。 再就職しなければと焦りはあったが、実際には身動きがとれずにいた。 実際の状況は(j)に近かったと思う。 困るという感覚はなく、ただ不安だった。 物事の捉え方がかなり鈍く狭くなっていて、困るという感覚に辿り着けなかっただけだと思う。 生きづらさは抱えていたが、自殺しようとは考えなかった。 子供の頃に散々考えて、それは馬鹿げたこと、もったいないこと と結論付けていたのが良かったのだと思う。だから今も生きている。 あの3ヶ月を心から満喫できていたら、今頃は治っていたかも知れない という幻想には長い間縛られたが、過去に戻れる訳ではないし、戻りたくもない。 ☆例としての状況(妻から見た自分の体験談) 2、3年目の夫は正常な日常生活が送れなかった。 睡眠も食事も規則性というものがほとんどなくなっていた。 できる事は眠れる時に眠らせ、食べられる時に食べさせる事。 病院に付き添って、思考力の無さをカバーする事も必要だった。 自分の経験から、極力おせっかいは焼かない様に気を付けていた。 とにかく不安を訴えられた時には「そうだね。つらいね」と 気持ちを受け取り「大丈夫。今は焦らないでもなんとかなる」と言っていた。 「かんばれ」とか「しっかり」がどれほど夫を追い詰めるものかは解っていたが、 実際はそういう気持ちも持っていた。 言えないのはもどかしかった。敏感なこの頃、夫は薄々感じていたかもしれないが、 夫本人に記憶が無いので実際のところを知る術はない。 もしかしたら夫は自ら生きることを辞めるのではないかと、覚悟をしたのもこの頃である。 ときどき波が去って、少し元気そうになった時ほどこの不安は大きかった。 実際に自殺を考えてナイフを首に当てて、一晩過ごした事を知ったのは、ずっと後になってのことである。 今現在考えると、その時に目を醒まさなくてよかったと思う。 かえって逆上させて追い込んでしまったかも知れないからだ。 今思えば大きな山場だった。私たちはなんとかその時期を乗り越えることができた。幸いだったと心底思う。 ☆後書き あがくことは、悪いことでも、良いことでも無い。あがくことしか出来ない人はツライのだ。 こちら側は、ワラや、棒板や、浮き輪や、救命ボートや、客船や、いろいろ投げ込んでいる。 どれをツカムかは自由だし、つかまなくてもいい。 プクプクと沈んで行けば底に付く、底に付いたらあとは浮き上がるだけ、静かに漂って いずれ、ぷはっ、と浮かんで、疲れない立ち泳ぎが出来ているようになる。 そこでまたツカムかどうか、陸に近づいているか、考えてみればいい。 「患者としてどうすべきか」さらに続く |
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うつから復活 詳細を長く書くと更にヒドイのだが、今現在は誰も恨んだり悔やんだりしていない。まったく気にならない過去となった。時間が癒すとはよく言われるが、まったくその通りだ。ちなみにその子会社は多くの地方支社を含め吸収という名で潰れた。人事課はアウトソーシングされそこの社員は居なくなった。その後、リストラの嵐で正社員切りが行われた。同期入社の友人はよく残れたと思う。腐敗さんも天然?さん提供の医者の言葉の薬サイトを読んで下さい。長いですが。 (09/06/27 02:28)
腐敗官僚 さっきから「患者としてどうすべきか第二弾」を10回くらい読み返している・・・・喩えで悪いけど、惨たらしい歯痛を歯痛止めを飲み続ける事で耐えているだけとしかみえない。それは決して治療ではない!「歯痛」の原因を根底から取り除かなければ全身を蝕んでしまうのではないですか? (09/06/26 22:04) 腐敗官僚 これって会社による「殺人」じゃないですか!N社の労組って御用組合なんですか?なにより、仕事で成果を出しているのに評価されないのはキツイよ。「やってらんね〜よ!」ってすごく無気力になるのは俺でも経験がある。(こんなに酷くはない・・・)共産党系の労働問題に強い弁護士とに相談して法廷闘争に持ち込みマスコミに晒すって行動を起こすべきではないですか?こんな事が罷り通るならこの国はケダモンが跋扈する無法者の巣だよ。 (09/06/26 21:51) うつから復活 もし、出版のアカツキには、状況が詳細になります。まぁ、無職日記なんでこの程度で。 (09/06/25 20:14) いつも眠れない人 ちょっとだけ似てます(^^)自分もアメ横でナイフ数本買って握りしめて寝てました。一部上場企業につとめてた頃の話です。。。 (09/06/25 10:43) |
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