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無色の妄想日記タイトルを変更しました。 現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。 ありがたいことです。 旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。 今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。 残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。 ただ・・・それだけ。 |
■ 2014/08/02 (土) 日々雑感 |
暑くなってきた。
本格的な夏ですね。 気分(意識)はジェットコースターです。 ことことと時間をかけて上っていても、何かの拍子に奈落に落ち込む。公園のジェットコースターならば、下った勢いでまた上るのですが、意識は落ち込んだままです。何かの拍子とは、多くはニュースです。愚かしくも悲惨なニュースをてんこ盛りで報道していますね。悲しいことですが、一般庶民が生きている社会のこれが現実です。 ユングの心理学の本を読んでいると、苦しい時が貴重な学びの時だと言う。鬱々としたり、いらいらとしている脳みそに「サイクル」という言葉が浮かんでは消え、浮かんではきえする。やれやれ・・・なんなんだ!?と、考える気力もないままにそのままにしていた。すると、7月30日の早朝3時くらいに目が覚め、また「サイクル」という言葉と同時に、「妄想 時の枝道」の内容が浮かんだ。ノートに一気にメモした。これで、「妄想 時の枝道」の完結が出来る。・・・こんなものか(苦笑。 単調だが穏やかな日々を送っている。 大家さんは朝もぎたての野菜を持ってきてくれる。きゅうり、なす、トマト・・・と。また、茹でたとうもろこしも。ありがたいことです。本当によくしてもらっている。考えてみると、私の人生で一番の時を過ごさせていただいているようだ。崩壊家庭に育ち、カラスと同じように、意味なく嫌われてきた私の人生です。今、この時を大事にしたい。 単調な日々だから、特記すべきと思うことだけをメモに残す。 7月15日 今日、風呂に入りに行った。 市役所の裏の福祉センターの前で、私服の警察官から「ちょっと人を探している」といわれ、道端に誘導された。その警官はズボンのベルトに警察手帳らしきものをぶら下げて、「福島県機動警察」の文字が入った文様を見せた。今の私服警察官はこのようにしているのか!?名前を聞かれ、荷物を見せてくれという。私が声を荒げると、車からもう一人が降りてきた。さてさて・・・・!? 別にやましい物は持っていないから、また、旅の途中で経験済みだから別にいいけどね。私を狙い済ましたかのような動き・・・と、感じた。本物の警察でも、裏ではどのようなつながりがあるか、どのような息がかかっているかはわからないからね。 昨年の夏。 尾行を受けたり(下手な尾行・・・わざとか)、信号待ちのときに急発進した車が突っ込んできたりしたことがあるがね。しかし、それからぷっつりと動きが止まっている。何らかの抑止力が働いたか!?まあ〜「わかっているぞ!みてるぞ!」という警告なのだろうと考えていた。原発マフィアか!?大陸・半島系のマフィアか!?・・・それとも・・・と、いろいろ妄想が膨らんでいたがね。そのような状況になると、膝がガクガク、ブルブルになると思うが、変に恐怖心がおきてこない。スパイ小説の主人公・・・ちょっと大げさだが・・・のような感じかな!?まあ〜私がやっていることはいつ阿武隈川に浮いてもおかしくないことだからね。このように考えているから、まだ今日も生きていることに感謝するだけですね。 監視されているのはわかっている。 月に一度のネットからの情報収集。色々ときな臭い動きがあるようですね。さてさて・・・どのような動きになるのか!? すべては目には見えない世界の同胞に丸投げです。私はただ、心の銘ずるままに動くだけ。 一人でも多くの人がこの世界のゆがみに気づき、目覚める努力を始めると、無理なく、自然と舵が切られる。 「除染しました」の掲示板から転載。 6月18日 開成山公園 地上50cm 除染前 2.06μSv/h → 現在 0.14μSv/h 広場中央 2.45 → 0.25 広場中央 2.49 → 0.22 幼児広場中央 2.70 → 0.27 開拓者の群像前 2.42 → 0.17 八角堂中央 2.67 → 0.14 児童公園中央 2.73 → 0.16 後方広場中央 2.92 → 0.67 バラ園入り口 7月11日 2.06 → 0.14 広場中央 2.45 → 0.27 広場中央 2.49 → 0.21 幼児広場中央 2.70 → 0.23 開拓者の群像前 2.45 → 0.15 八角堂中央 2.67 → 0.14 児童公園中央 2.73 → 0.15 後方広場中央 2.92 → 0.45 バラ園入り口 6月17日 五百淵公園 地上50cm 除染前 2.33μSv/h → 現在 0.30μSv/h 7月14日 除染前 2.33 → 0.30 6月18日 酒蓋公園 地上50cm 除染前 2.44μSv/h → 現在 0.21μSv/h 7月14日 2.44 → 0.19 6月17日 麓山公園 地上50cm 除染前 1.64μSv/h → 現在 0.18μSv/h 7月14日 1.64 → 0.32 6月11日 21世紀記念公園 地上50cm 公益財団法人郡山市観光交流振興公社 除染前 2.07μSv/h → 現在 0.48μSv/h 7月23日 2.07 → 0.46 私の体調は変わりない。腸はあいかわらず快腸。倦怠感なし。歯が一本抜けた。目がかすむ。老眼か!?長く本を読むと、眼精疲労で疲れる。体重59kg。変わりなし。あっかんべ〜して結膜見ると赤い。貧血なし。 しかし、このような事をやっていると、そのうち、多くの人が「政府、学者、マスコミが大丈夫だ!といっているんだ」と、石もて追われかねないね。戦前、戦中より巧妙に刷り込み、誘導されているからね。その為の民主党政権だったのでしょうね。振り子が触れるように、右から左へ・・・そして、現在、思いっきり右に触れている。 7月18日 ウクライナで”マレーシア航空機”が撃墜された。 ”マレーシア航空機”・・・!? インド洋で消息を絶ったらしい航空機も”マレーシア航空”だったね。この機のその後のニュースはどうなっているのでしょうね。 さてさて・・・!? 一般市民が窺い知れない世界でどのような動きが起きているのでしょうね!? 夢を見た。 昔「幽遊白書」という漫画を見た。 その中で、とぐろという悪役がいる。化け物じみた悪役。とぐろが夢に出てきて暴れまくっている。周囲の人は逃げ惑っている。私も悲鳴を上げながら逃げている。逃げている途中、おなかを殴られた女性と一緒になり、殴られたあとを見ている。おなかと背中に大きなあざがある。殴られたのはおなかだけ。背中のあざは、おなかの衝撃が出来たらしい・・・!?目が覚める。 何なのだろうか!?何を意味しているのだろうか・・・!?わからん。 7月19日 ニュースではなく、女性の評論家の話の中に、イギリスだったか!?児童買春の事を言っていた。著名人の多くが関与しているようだ。以前、キリスト教の牧師による児童虐待の話題がにぎわった事がある。キリスト教という笛を吹いて、集まってきた子供たちの中から、自分(牧師)の欲望のいけにえを物色していた”ハーメルンの笛吹き男”とかした牧師。キリスト教の信者たちはこの事実をどのように感じているのでしょうね。私はキリスト教の信者ではないが、聖書にある「目覚めていなさい」という言葉をどのように解釈しているのでしょうね。私が選択した知識の「シルバーバーチの霊訓」によると、スピリチュアルの最高指導霊はイエス・キリストとのこと。教会への盲従・隷属を霊的な愛情、謙虚さ、信仰心の表れとして合理化しているのでしょうか。心の問題であり、幼い時から刷り込み、誘導を受けているから、疑問に感じる事自体が難しいものなのでしょうね。「天国・地獄論」で雁字搦めにされている。 現在は、本当にカオス状態ですね。かの組織も開き直っているのでしょうね。それだけあせっているのでしょう。計画の進捗具合が芳しくないようだからね。それだけ、気づき、「目覚め始めた人」が増えてきている証左でしょう。マスコミによる刷り込み・誘導も力を失ってきているようだしね。ただ・・・日本は!? 7月23日 ギャンブル合法化に向けて動いているようです。 人類進化の道より、退化の道を選択したいようだ。困ったものです。ネットで色々と情報をあさっていると・・・ね。国会議事堂の妖怪議員たちは色々と画策しているようです。アメリカに寄生しているかの組織の指令でね。 しかし、敵味方論では、敵の中に味方あり。味方の中に敵ありです。 だからこそ、一人ひとりがこれまでのゆがめられた判断基準である知識・常識・教義を横に置き、誰一人として例外もなく持っている”理性”を判断基準となし、自身の脳みそを自身で使い、考え、感じ、判断できるようにならなければならない。そして「目覚めた人」に。これまでのように外の指示に従っているときには「責任」はないかもしれないが、目覚めた人を目指す限りは「責任」というものはついてくる。 7月27日 阿武隈川沿いを散歩していると”純白”の鳥を見た。ほんとに純白という形容に値する白い鳥。くちばしも白っぽい。大きさはからすくらい。いつもカラスにご飯を上げているから比較できる。アルビノか!?アルビノだったら目を見ればわかるが、判別できない。 7月29日 純白の鳥の死骸を見た。血に染まった羽毛が散乱し、羽根だけがあった。襲われて、胴体は食べられたらしい。なんか・・・悲しい。 近頃、命について非常に敏感になっている。それも、人間以外の命にね。 |
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■ 2014/08/02 (土) 言葉と感性と民族性と土地 |
河合隼雄著「日本人の心を解く」より引用
自我、自己、自然 人間と宇宙の関係を心理学的に調べてみると、自我と自己の関係についてのユングの理解が重要になる。 そこで、東アジアにおける自己の概念を明らかにする助けとして、ユングの立場に基づいて論じてみたい。 「概念」といったものの、自己とは実際のところ決して概念化されえないものである。 ユングは自我を意識の中心として、自己を意識と無意識の両方の領域を含むところの中心であると定義した。また、ユングは自己というものは直接に知ることは出来ないけれども、象徴やイメージを通じてのみ意識に上ってくることができるとした。したがって、自己は誰にとっても同じように存在しているけれども、それぞれの人の意識のユニークな内容に沿って、異なった現れ方をするのである。 日本語でego、self、natureに当たる言葉はそれぞれ「自我」「自己」「自然」である。 どの言葉にも「自」という漢字が含まれるのがわかる。 「自」は「みずから」とか「おのずから」とも読むことが出来て、逆説的なことに、それぞれ「自発的に、自分の自由意志から」と「自然発生的に、ひとりでに」ということを意味する。それは、西洋人には矛盾することのように思われるかもしれないけれども、日本人にとってはそうではない。 自我意識に立場からすると、それらは相容れないものであるけれども、「じねん」の立場からするとそうではない、といったほうがよいかもしれない。 「自」の持つ二重の意味が、自我、自己、自然についての日本人の理解に含まれるのである。したがって、夢は自我、自己、自然に属しているので、日本人がもともと理解している意味での「じねん」の流れにある。 結論付けると、宇宙におけるすべてのものは、それがあるがままに流れ、あるものが別のものに象徴しているとする必要などない。それらは単にそこに存在するのである。・・・・略。 庄司和晃著「認識の三段階連関理論」より引用 日本の「雪月花」の語るもの 「雪月花」とか「花鳥風月」とかは、一般に、日本人の心情を示すものとして扱われている。ときには詠嘆的なものとしてさげすまれることもある。普通、消極的なものとみなされているのだ。一面の真をつくものであろう。が、日本人の思想表明という積極的な面で見直されていい事柄ではなかろうか。いわば表象的思想といえるものがそこにはあるからだ。 これに類するものには、ほかに、「山川草木」「道」「虫(ムシ)」「地水火風空」「山水」、などがある。貫通しているのは「表象の論理」である。論理学上のカテゴリーという点から見れば、それらは、前カテゴリーとも呼ぶべき一群だ。カテゴリーを、仮に、抽象的カテゴリーと具象的カテゴリーとに分けるとすれば、後者に属するものになる。 これらの一群の持つ「表象の論理」は、日本人の思考の特性を解き明かすめどになるものではなかろうか。前代における知識人の思想作りや論理作りの積極消極両面を浮上させることにもなろう。大衆側はどうであったか。虫送り行事の「ムシ」はただのむしではなかった筈だ。盆花の「ハナ」もまた然り。他面から言うと、コトワザの豊富な国でもあるようだ。 こうした点から見ただけでも、日本という国は表象の研究にはことのほか適した風土だといってよいのではなかろうか。なにしろ、風月花のごとく、こんなに精神的に「雪」「月」「花」を高めた国民はいないのではなかろうか、と思うからである。 引用終わり。 日本人・・・いや、倭(大和)の民の感性を言い表しているのではないでしょうか。 現在の「お金」中心の社会。「命よりお金」の感覚とは正反対の感性です。人も自然の一部であり、このまま行くと、自然に淘汰されるだけではなかろうかと危惧します(このことは、「妄想 時の枝道 完」にメモした。) 地球先住民族として、なぜに”倭(大和)の民”が存在しているのかを、地球人類の一員として、世界中の心ある民が考え、感じ、判断するときが来ているのではなかろうか。現在、画一化への道を暴走しているように感じて仕方がない。私は「英語教育」を否定するものではない。が、教育だけではなく、世界秩序なる言葉を連呼しながら、画一的な社会作りに邁進しているのではないか・・・と、思えて仕方がない。 人は違って当たり前、民族も違って当たり前です。それぞれの歴史が国民性を創り上げているのです。それぞれの民族が置かれた環境、土地柄などがその民族の言葉、習慣、習性を形創っているのです。だからこそ、欧米のコピーではなく、それぞれの民族が和合できる環境を創り、お互いの違いを認め合い、その上で和合できる国際社会、ひいては地球社会を目指すべきではないかとも思う。 安倍さんも、“国家百年の計”を口にされるのならば、”地球人類の千年の計”をお考えいただきたいものです。それが、この時期に日本国の総理大臣に登場した責務ではないでしょうか。かの組織は、家畜社会の計を千年の計で推し進めているのですからね。 |
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■ 2014/08/02 (土) 妄想 時の枝道 完 |
サイクル・・・そう、人類の進化のサイクル!?
原始時代から科学技術の進化の過程。幾度、同じサイクルを繰り返してきたのか!? 科学技術の進化に人類の意識が伴わない。唯物主義、思い上がった科学万能主義に陥り、独りよがりの環境破壊、人類の我よしによる、他の生き物を絶滅に追い込む。口さきだけのきれいごとを繰り返し、多くの人類を洗脳、刷り込み、誘導しての混乱と破壊の繰り返し。命(人の命だけではなく、人類以外の生き物の命を指している)よりお金の世界。 混乱と破壊の繰り返し。幾度、繰り返せば気が済むのか・・・!? 宗教なるものを作り出し、怒り、悲しみ、憎しみ、妬みの無限連鎖を創り、そして、信者の意識エネルギーを収奪し、混乱の世界を維持している。 嘘を土台とし、嘘を塗り重ねての世界。 世界各所に聖者と言われる人(当時は狂人と扱われ、宗教信者による殺戮が繰り返されてきている。そして、時代を経るに”聖者”の称号が与えられる)が現れるが、排除されてきた。 時代背景、民度は異なるが、時の支配階級による「欲」による支配は続いている。 まさしく、無限連鎖である。 意識はエネルギーである。 発したエネルギーは循環する。 個人の意識エネルギー、民族の集合意識エネルギー、各宗教信者の集合意識エネルギー・・・と。悲しみのエネルギー、怒りのエネルギー、憎しみのエネルギー・・・と、絶対値を持つ力として循環する。その力を利用し、地球という惑星に結界を張り、地球外の生命体の干渉を排除してきている。 科学技術が発達しても、意識が技術の進化に伴わなければ、「欲」による破壊に暴走する。 幾度繰り返すのか!? ・・・・・。 ひとつのサイクルが終わろうとしている。 ひとつのサイクルが終わるたびに、惑星地球の安息の時が訪れる。サイクルのはじめの原始時代。地球自体の復元力により、また、自然環境が戻されるとき。 そして・・・。 戦争、人類による自然の循環の破壊による自然界の暴走(異常気象等)による終焉。 繰り返されてきたこと。 ひとつのサイクルが終わり、人類一人ひとりが自ら選択した道を歩み始める。 宗教では、本道というものがあるようだ。信者たちは、その本道なるものを目指しながら信心に明け暮れる。 人それぞれが選択した道。 それは、その人が、どのような思いで意識エネルギーを発したか!?発した意識エネルギーが、周囲にどのような影響を与えたか!?その総計で決まる。言うならば、自己責任である。どのような言い訳、責任転嫁も聞かない決定である。 人類のすべての人が、それぞれ新たなサイクルの世界に進む。 同じサイクルを繰り返す人・・・新たな次元世界のサイクルに入る人・・・と、歩む道は異なる。 過去、宗教による終末の到来、アセンション、予言による新たな世界の到来・・・と、色々と言われてきた。 すべてが嘘ではない。 すべてが真実ではない。 どの道を選択するかは、一人ひとりの意識エネルギーによる。今、この時にどのように意識エネルギーを使っているか・・・である。 一人ひとりの意識レベルにあった道が用意されている。そして、その道を歩むことになる。宗教で言われているような第三者による選別はない。自身で選択した道である。 過去、幾度もサイクルの終焉を迎えている。 ウッキーペデアより引用 オーパーツ。 オーパーツは、考古学上その成立や製造法などが不明とされたり、当時の文明の加工技術や知見では製造が困難あるいは不可能と考えられたりする、主に出土品を指す用語である。ただし、正式な考古学用語ではなく、そういった出土品の存在を強調して考古学上の通説に疑義を唱える意図で主に使われる。 こう呼ばれる物品は、なぜ存在し、どのようにして作ったのかが未だに解明されていないと主張される。現代科学の水準を超えるような未知の超古代文明の存在や、古代宇宙飛行士説の根拠とされることがしばしばある。 実際には全てが説明不可能なものではなく、その時代の技術で作成可能なものも多くある。また、近代の発明でその頃には存在しなかったとされている技術が、一度見い出されて後に失われていた技術(ロストテクノロジー)であるということもあり得る。いわゆる超古代文明や宇宙文明に依らずとも、情報の散逸によって文明が著しく後退した時代もあるため、一度失われた後に再発見された技術や知識も少なくない。一例としては「アレクサンドリア図書館」がある。 出土した時代での製造が困難あるいは不能かの判断は、発見当時の考古学的・工学的知見をもとに行われる。そのため、例えば現在の感覚では想像がつかないほどの膨大なコスト(時間、人的資源など)を費やして製造した、出土当時の考古学的知識よりもその文明の実際の行動範囲が広かった、等の事情で、のちに製造可能と判断されたものも今なおオーパーツとして語られることが多い。 このほか、出土した遺物の解釈の誤解や、分析の失敗、誇張された解釈などにより、充分に製造可能でも「実際にありえない」ような器物だとみなされているケースもみられる。一般にオーパーツとして名の挙がる遺物の少なからぬものの解釈に疑問が投げかけられ、議論をかもしている。さらには、それらの誤解や誇大解釈が一人歩きして誇張され、超古代文明説を補強する材料として利用されている場合もある。 また、オーパーツが一種の見世物としてや好事家の関心を惹く対象でもある。そのため、売名や詐欺的な動機での贋作や捏造も数多い。オーパーツとされる遺物のうち真に学術的にその価値を認められるものは、捏造と確定したものから疑惑レベルのものまでも除外すると、ごく限られる。 ピリ・レイズの地図 ピーリー・レイースの地図を常識ではありえないとし、オーパーツだとする立場の人々の主張は以下のようなものである。 南極大陸の陸地の完全な描写がなされている。 南極大陸は、発見が1818年、全陸地の地形の地図化成功が1920年であるが、この地図には1513年当時、未発見であり、しかも氷に閉ざされていて当時の技術では観測不能であるはずの南極大陸の輪郭が描かれている。 南北アメリカ大陸の海岸線が描かれている。 コロンブスのアメリカ大陸到達は1492年であるが、それから20年少々しか経っていない1513年に海岸線の調査が進んでいるわけがない。 地形の歪み方が正距離方位図法のようである。 地形の歪み方や位置が、地図の図法の一種「正距方位図法」を用いて描いたものによく似ているが、正距方位図法でこれほどの地図を作るには、各地点の緯度、経度を正確に計らなくてはならない。しかし、経度の測定法が確立するのはクロノメーターが発明された18世紀である。 古代の原子炉遺跡 核爆弾が空中で爆発すると、数百万度という超高温の火球が出現し、超高温の熱線と致死量の放射線が周囲に放射される。同時に空気が一気に加熱されることで爆発的に膨張し、衝撃波が発生する。この衝撃波が地表に達すると、地表の土や埃が舞い上がるため、地表ではあたり一面が暗くなる。さらに、爆発時の放射線により土壌等が汚染され、放射能を持つようになる。 紀元前10世紀頃に起きた大戦争を語り伝えた「バラタ族の戦争を物語る大叙事詩」を意味する『マハーバーラタ』をはじめ、古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』、『リグ・ヴェーダ』には、この大気圏内核爆発を想像させる記述が見つかっている。 超高温の火球=太陽が一万個集まった光り輝く柱 強烈な熱線=池の水が蒸発、猛火に焼かれた木々のように倒れる戦士たち、火傷で逃げまどう戦象、灰と化す住民 衝撃波=恐ろしい風、うなる雲、揺れ動く太陽 衝撃波で舞い上がる土埃=方向感覚を見失うほどの濃い闇 放射能汚染=髪の毛や爪が抜け落ちた死体、毒された食物、鎧を脱ぎ捨てて体を水で洗う生存者 以上のように、記述は具体的で、広島での被爆体験談とも酷似しており、とても想像だけで書いたとは考えにくいというのが肯定論者の主張である[2]。 モヘンジョダロ遺跡[編集] インダス文明の古代都市モヘンジョダロの遺跡は周囲5平方キロの広大な遺跡であるが、現在発掘が進んでいるのは全体の4分の1ほどの地域である。 遺跡で見つかった白骨遺体46体は突如、死がやってきたような状態であった。そのうちの9体には高温で加熱された跡が残っていた[3]。 また、『ラーマーヤナ』の記述に基づき戦闘の日時と場所を特定した研究者によると、炭素14の分析もして戦いの期間を紀元前2030年から紀元前1930年の間と特定したものの、モヘンジョダロにおいては400年程度の食い違いが見られるという。ずれの可能性としては放射能の影響が考えられるがはっきりしない[4]。 古代核戦争の研究者ダヴェンポートは、発掘対象から外れていて、現地の住人が「ガラスになった町」と呼んで近づかない場所[5]を訪れたと報告している[6]。 そこは、黒いガラス質の石が、800メートル四方をびっしり覆っているという場所で、黒いガラス質の石は、高熱で溶けた砂が再固化したものと判明している。黒いガラス質の石は、テクタイトであるとされる。付近では、この他に溶けてくっついたレンガや、ねじ曲がったり気泡が混じってガラス化した壺の破片などの遺物も見つかっている。これらの高温加熱遺物やガラス化した地域については大規模な火災・火山の噴火などの諸条件が偶然重なって起きたまれな現象であるというのが一般的な考古学者の見解であるが、モヘンジョダロ遺跡のあるインダス川流域において、大規模の火山活動の痕跡は確認されていない[7]。 このような広範な範囲の砂が溶けてガラス化するという現象はこれまで自然界では見つかっておらず、同様の風景は今のところ地表で核実験が行われた場所(砂漠)でしか見つかっていない[8]。 また、壺が原形を保ちながら溶けかかった状態で固まるという現象は、超高温の熱線が極めて短時間に照射された状況を想定しない限り考えにくい[9]。なお、広島市にある広島平和記念資料館には、これらの遺物同様半ば溶けかかりながらも原形を留めたガラス製の一升瓶や、表面のみが溶けた瓦などが展示されている。 ダヴェンポートは、モヘンジョダロで発見された遺物をローマ学科大学に持ち込み、ブルーノ・デイ・サバティーロ教授(火山学)やアムレート・フラミーニ教授(岩石学研究所)らに分析を依頼した。その結果、問題の遺物は、1000度から1500度の高温で短時間に加熱されたらしいという結果が出たと報告している[10][11]。 上記の研究結果に対し、下記のような反論がされている。 まず、モヘンジョダロが核攻撃されたのであれば、モヘンジョダロに高度な超古代文明の探索を求める事は無意味である。なぜならば、攻撃した側の文明に核兵器を製造する高度な技術が有するのであって、攻撃された「モヘンジョダロ」に高度な技術があったわけではないからである。また、核爆発の後遺症があまりにも局所的である。一部のレンガのガラス化で、核爆発の後遺症は説明できない。さらに、どこの文明が核兵器を製造したかを証明すべきである。しかし、最も考慮すべき点は他のオカルティスト達の標的になっている遺跡のように、証拠とされる品物が、実は「発見者」や「オカルティスト達」によって捏造された可能性である。ダヴェンポートは「ガラスになった町」を「地元でタブーとされている場所」として正確な場所を明らかとせず、第三者が確認したわけではない。ダヴェンポートの発表当時と違い、現代ではGoogle Earth等でモヘンジョダロ周辺の衛星写真を簡単に閲覧できるが、800メートル四方もの広さがある「ガラスになった町」らしきものは確認できない[12]。「ガラスになった町」が実在しないのであれば、そこから発見されたという遺物の信憑性も失われることになる。 モヘンジョダロで見つかった遺体についても、モヘンジョダロはインダス文明期以降も洪水や火災が原因で興亡を繰り返していたことが分かっており、一時期はスラムと化していたこともあった[12]。そのため、放置された死体が見つかっても別におかしくはない。 引用終わり。 妄想、空想、出鱈目とどのように思われようがかまわない。 ホピの予言では、過去4回(確か・・・うろ覚え)の大絶滅があったという。種人を残し、淘汰されたとのこと。 私はこのようなことを”人類のリセット”と、呼んでいる。 唯物主義、科学万能主義に偏り、拝金主義による環境破壊、他の生物の絶滅、人類同士の殺し合い・・・。人類の我よしの行為は、人類以外の生物のはた迷惑になるということすら理解できていない。 ・実験星という使命を帯びた惑星地球という視点から。 幾たびのサイクルを通じ、サイクルの終焉のたびにアセンションが行われている。 意識エネルギーと肉体の構造変化を伴った新人類の製造。 現在の地球環境は、多くの刺激に満ちている。環境破壊に伴う意識的刺激、各種添加物による細胞レベルでの刺激、環境ホルモン等による遺伝子的刺激、各種化学薬品(公害)による刺激・・・と、多くの刺激にさらされている。そのような中で、突然変異といわれる(別に突然変異ではないのだがね。変わるべくして変わっただけ・・・笑)眠っていた遺伝子の中の覚醒が始まっている。 地球という惑星は、新たな人類の身体を創り出す為の実験星・・・。 このような妄想もできる。 今回で「妄想 時の枝道」を終わりにします。 雑談でもよしが・・・のスレッドにメモしてきたが、現代に入り止っていた。私自身の環境の変化、意識の変化もあり、続けることができなかった。 ただ、ひとつ言える事は、この「妄想 時の枝道」は、私がメモしたのだが、私の意志でメモしたのではないと思う。なぜならば、メモしている途中で、”もうやめよう””書きたくない”と、幾度も思った。しかし、思う直後に猛烈に書きたくなる衝動に襲われ、妄想が沸いてきた。私の身体を使い、目には見えない存在が書かせたのだと”責任転嫁”をしようとは思わないが、この思いが私の正直な思いです。 |
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