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爺放談


 ■ 2013/12/13 (金) 最低な人々・・・・


最近気に止まった記事があった。

その記事とは

「女性器損傷(FGM)廃絶に向けて」

と言うものだ。

あまり聞きなれない事だがこれはいわゆる「女子割礼」と言う儀式で主にアフリカ大陸に現存するアフリカ人女性達への通過儀礼でその歴史は古く、現在も約1億2500万人もの女性達がこれを受けているし、今後もこの儀式は存続する。

この「女子割礼」は具体的には4パターンあり。


1 クリトリスの一部あるいは全体の損傷を伴う包皮の損傷を指す「クリトリス切除」

2 小陰唇の一部あるいは全体の切除を伴う包皮およびクリトリスを切除する「切除」

3 クリトリス、小陰唇、外陰唇の一部もしくは全体を切除した後、膣口を縫合して狭め  る「縫合」

4 陰唇を突く、陰唇を突き刺して穴を開ける、引っ張り出す、クリトリスと周辺組織、  あるいはそのいずれかを焼くなど「切除」や「縫合」に該当しない「未分類」 


一般的には@とAが普通で全体の約8割がこのタイプで過酷なBは15%(ソマリア・アフリカ北部)でそれ以外はCに当たる。


先進諸国ではこの自傷行為をユニセフを中心に廃絶の方向に導いている、その理由にはこの行為そのものが誘発させているアフリカ人女性達への残虐性や性器そのものへの損傷及び障害、感染症などでユニセフの調べではアフリカ全土で約2500万人もの女性達がその被害を受けているとの事からこの活動が生まれた。

具体的にはアフリカ諸国の政府に直接この野蛮な行為をあらゆるデータと共に「人権侵害であり、健康面で長期的に悪影響を及ぼし、心にも深い傷を負わせる」とし、各政府に根絶に向けた啓発・教育活動に取り組むよう国に求めている。


しかし、この行動は芳しくない。


多くの実施国では禁止法が規定されたり、刑法の改正により「女子割礼」を受けさせた者への刑罰が定められるなど、法整備も進められているが、多くの人が禁止法の存在は知っていながら、いや、禁止法の存在を知っているほど、法律の制定には廃絶に意味はないと答えている。


その理由には、やはり古くからこの風土で培われてきたこの行為を「悪」と捉える事が出来ない事、また、それよりもこの「女性割礼」は。


アフリカ人女性達がこの儀式を支持し行われている事が最大の要因だからだ。


事実、このユニセフの絶滅運動はアフリカ人男性達からは支持されている、しかし女児達の教育、育成は女性達に決定権があり、いくら旦那であろうとこの分野には口を挟めないしきたりが古よりあり、これに従わざるを得ないという。


では何故?この様なしきたりが現在も続いているか?


アフリカ全土には男女共に「女性器は不浄の物」という意識が根強くあり、これを清めると言う儀式で、その悪いところを除去することで、子どもを健康に産むことができる体になり、性病の蔓延や不妊治療にも繋がると信じられている。


そしてさらにアフリカ全土では「処女性」を重くとらえ「女性割礼」を受ける事が「処女」と認定している意識があり、逆を言えば「女性割礼」を受けなければ娼婦と位置付けられ、結婚や社会的地位に大きく影響が出る事からだ。


この様な理由によりユニセフを代表とする「女子割礼廃絶」は難航を極めている。


同じ様に日本でもこの問題を取り上げている機関があり、大学やNPOと女性達を中心に廃絶に向けて動いている。


しかしこの行為は何かおかしくないだろうか?


アフリカ人からこの問題を解決してくれと要請があったのか?

それはまず無い!

何故なら現在も多くのアフリカ人たちはこの行為を享受しこれを後世に残そうとしている。

もちろんこの儀式に反対している人たちもいるだろうがそれはその国の人達が自らの手で解決する事が本懐で出なければ意味がない。

他国から押し付けられれば必ず遺恨を残す。

このユニセフを代表とするこの行為は先進諸国の驕り以外何物でもない。

自分たちのモラルや文化はそれほど崇高なものなのか?


物事の善悪を自らの水準で推し測ってそれにそぐわなければそれを悪行と断罪し、文化水準の遅れた後進国だから我々の様な高度な文化水準に引き上げようとする・・・

大きなお世話の何物でもない!

これが本当の皆が嫌う「上から目線」の最たるものではないか?

内政干渉は外交において一番デリケートで大事な要素だ。

どんなに自国と違った価値観でもそれを認めたうえで外交をすることが鉄則であり、それを出来ないのであれば他国との接点を持ってはいけない。

確かに伝染病やその他の他国に脅威を与えるような事案は別だがそれ以外は認める度量が必要である。

もし、この事案が正当な行為だというなら後進国はほとんどにおいて先進国に合わせなければならなくなる。

ガンジス川で体を清める行為、裸族、食文化、ありとあらゆる所にまで波及しかねない。

しかし彼等はこの論にこう反論するだろう。

「程度問題」だと。

程度とはなんなのだ?

どの尺度なのだ?

この事案は確かにセンセーショナルで話題性も高く、ほとんどの国々がこの自傷行為を好意的に見る国は少ないし多くの人達から賛同を得れそうではある。

特に女性票はかなり勝ち取れそうだ。

しかし文化とはその国固有の物であり、それが全世界の国々と違っても何の問題もない。

それがどう残虐に映っても、どう過酷の物であっても、それがその国の文化であり、他国の人間がつべこべ言うものではない。

その国が、自国の文化に疑問があるなら、その国の人々が自身で変わっていくことが本当の姿であり、それこそが本当の文化である。


こんな当たり前の様な思考も持てず、自身の行為をさも「善」と信じて疑わないこの様な人間に、その他の人達や物事について語られたり問われたりするのを見ると吐き気を催すのは私だけだろうか・・・・







お名前   コメント

腐敗官僚 判りますw 要するに女性蔑視を肯定する方なのですねw  (13/12/20 01:10)
まりあ 時間がたてばきっと落ち着きますよ。あなたらしい、もうちょっと剥き出しの文章でも良いかもしれないね^^ 文章は被せ過ぎるとわかりづらいので;;; (13/12/14 22:22)


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