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爺放談 |
■ 2009/04/20 (月) 虚構と搾取のアイランド・・・その@ |
前回に引き続き沖縄県の実態を少し詳しく書こうと思います。
その為にはまず沖縄の歴史から入らねば現在にまだ残っている県民の感情を伝える事が出来ませんので簡単に書きます。 そもそも沖縄は「琉球王朝」として日本とは離れた独自の文化を有した国でした。 現在の中国との貿易を中心とした王朝の政策は一時期は繁栄した時期もありますがそもそも産業をあまり持たない政策と世界の国々の台頭により、とうぜん繁栄を維持できず衰退の一途を辿ります。 この時期に薩摩藩が琉球王朝に侵攻し結果的には日本の属国となりますがこの見解はさまざまで、琉球王朝の中国に付くか日本に付くかの選択がかなりいい加減で、その場その場で王朝にとって良い方を選択し、風見鶏政策に業を煮やした薩摩藩が取ったものという見方が正しいでしょう。 1879年に「明治12年」琉球国は長い歴史に終止符を打たれ、鹿児島県に一度編入し、その後直ぐ「沖縄県」となります。 すごく簡単ではありますがこれが沖縄県の歴史の一部です。 これを前提にその後の、どうして沖縄は全体主義的思考、中国的思考を持ち、一部の富裕層に搾取されていくのか?を書いていきます。 時は大東亜戦争終戦、日本は連合国に破れ沖縄はアメリカに接収され、沖縄はアメリカとなるのです、当時の事を良く知る沖縄在住の方々にその時の話を聞くと、ほとんどの方は「経済的にも生活全般についても安定はしていたが、アメリカ人の横柄な態度にはいつも辟易としていた・・・」との話をしています。 実際、沖縄が経済的に一番疲弊したのは本土復帰直後ですから、この方々の感想は実感として本当でしょう。 そんな中、アメリカ人の横柄極まりない行動にやるせない思いを抱いていた県民にとって一人の男が立ち上がります。 その男の名は 「瀬長 亀次郎」 彼は、沖縄の人々にとっては現在もヒーロー的存在で、言うなれば沖縄のネルソン・マンデラの様な人物でした。 彼のとった行動は、米軍占領下の沖縄で沖縄人民党を組織し、圧制に対する抵抗運動を行い、当然米軍の反感を買い米軍による策略で投獄生活や市民権剥奪などの迫害を受けるも彼は真っ向から体制に反発し、沖縄県民の代表として圧制に立ち向かった男でした。 彼の行動に触発された市民も少なくなく、特に沖縄での小中学校の先生達は彼の勇気を糧にし、アメリカからの脱却!沖縄の本土復帰を切に願い、どの沖縄県民よりも先頭に立って亀次郎同様壮絶な戦いを繰り広げました。 その甲斐あって、沖縄は1972年(昭和47)に見事復帰を果たしました。 しかし・・・・沖縄市民にとって本当の苦難はここから始まるのでした・・・・ |
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コメント
はいむるぶし まりあさん まりあさんもミステリアスな方ですね〜!^^沖縄には来られる事はないのですか?もし来る予定などがございましたら一声運動宜しくお願いします!最高のおもてなしを用意しておりますので!^^ (09/04/22 17:50)
はいむるぶし 告発者っち 厳密に言えば日本全体がそうだおが〜〜〜〜〜!^^ (09/04/22 17:44) まりあ 殿の実家の関係で、たまに東京の浅草や六本木辺りに出没します^^ あ、それに今住んでいるビルはチン貸ですよw (09/04/21 22:07) 告発者 沖縄はアメリカの植民地だおガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!! (09/04/21 20:13) はいむるぶし まりあさん 次回もお楽しみに!^^ところでまりあさんは東京は白金か松濤にお住みだとばかり思っていました、関西の方なのですか?私も出身は関西ですのでその辺りも奇遇ですね〜〜〜!赤い糸伝説はこんなところにも有るのですね〜!^^ (09/04/20 22:03) まりあ あ、次回に続くのですね。しばらく静観しています(*^_^*) 私もいつか殿方と近畿地方のカラクリを書いてみようかなぁw (09/04/20 21:45) |
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