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爺放談


 ■ 2009/04/09 (木) 差別と言う事・・・・・


社会を生きて行く上で、どんな人でも一度は差別を受けた事があると思う。

それはどの様な社会制度であろうとも人間社会において不可避なものでしょう。

しかし人はそんな理不尽な物に対して理性と知識で抗おうとしています、それは教育と言う力、はたまた宗教と言う教えに縋る、また人によっては自己啓発というセミナーにより意識改善を図ろうとする人達も居る・・・

しかしこれまでに、これらがこの「差別」と言う魔物に対しての特効薬としてはどれも今一つ効果が無いようです。

ではそもそも差別とはどう言う意識から出てくるものでしょうか?

それは多分私は「区別の延長」に有るものだと思います。

人は何時も、どんな物に対しても区別をしている、その区別は比較と言う物差しが働き、それが適正な比較となれば問題ではないがここにどうしても主観が入り込み適正な比較を歪めてしまいます。

比較される物が形有る物でしかも比較しやすいデータ等が添付されている物、例えば工業用製品などはそこに主観の入り込む余地が無い為極めて正確な比較が出来るがしかしそうでない物、例えば美術品等のような主観が大きく左右するものに対してはどうしても自己都合の主観が入り込み手前勝手な比較論を展開しがちになってきます。

この程度ではさほどの問題ではないがしかしこの相手が人となってくると穏やかではないでしょう。

物に対しても有る程度の比較をしてしまう人間が、これが人となると、同種なだけに更に手前勝手で自分有利な比較論を構築する、これが差別と言う魔物を作る構造ではないでしょうか?

「いや!自分は差別などをしたことが無い!」

「私は区別と差別は別物と思います!ゆえに私は区別はしても差別をした憶えはありません!」

こんな声も有るでしょう、しかし実際はどうでしょうか?

少し昔の話ですがこんな事件がありました。

ある有名旅館に元ハンセン氏病患者の団体が宿泊をしたいとその旅館に言った所、その旅館はその希望を断り、それを不服とした団体は公に訴え、世間をにぎわせた事件です。

結果的にはその旅館は世間の非難にあい、その直ぐ後経営悪化と風評を理由で長い歴史に幕を下ろしました。

当時の論調では、旅館の取った行為は非人道的で弱者への差別と・・・メディアを筆頭に世論でもその意見が多かったがその行為はどうでしょうか?

少し視点を変えて考えてみると、巷に有るスーパー銭湯などに良く見かける「刺青をした客はお断り!」という看板はどうして容認されているのでしょうか?

これは差別と言う点では全く同じ事だとは思いますがこれには誰も異論は出ません。

差別を受ける側で差別かどうかが問われるのではこれは偽善と言わざるを得ません。

そもそも弱者と言う定義すら曖昧です、この場合で言うと元ハンセン氏病患者の団体は弱者で刺青をしている人達は強者と言う事を世間では判断し、その根拠は「自分は健常者で彼らは大病を患った!」と言う完全な主観のみで弱者を判断していることでしょう。

実際にはこの団体はもう完全に治癒しておりますが、ただ、見た目が多少問題が有るということです。

その意味ではこの団体も刺青をしている人達も断る理由は同じ意味になりますが同じ事をしていてもその差は歴然です。

ここでもう一つ問題なのは、刺青をしている人達には黙認と言う差別をしていることです。

差別と言うのは直接手を下す事だけではないでしょう、社会的な孤立を促す姿勢も間接的な差別と言う行為でしょう。

刺青=悪という意識は自分と区別し、その様な行為をしている人達はどこか横暴で悪い事をしていると言うような自分との比較論を勝手に刷り込んでいる・・・・

私はこの事件は世間的には悪者扱いになった旅館だが、実は本当の被害者だと思っています。

なかなか人と言うものは相手側に立った視点と言うものが持ちにくく、自分を中心にした思考になりがちです、また、そんな人ほど自分は被害者で差別を口にします。



おおよそ、「自分は差別などしたことが無い!」とか「差別を無くそう!」などと声高に言っている人は私から見れば傲慢極まりなく、そんな人ほど差別と言うものの本質を分っていない人達でしょう。








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はいむるぶし はむさん 横暴なんてとんでもない、それが正論です!むしろ人はこの事を踏まえた上で社会を生きて行く方がより健全です。差別と言う心理が無ければある種の不幸を閉ざすことが出来る反面、発展や努力、向上心まで失うことでしょう、人はそんなに器用な者ではありません悪い面だけを取り除くことは出来ないのだから。 (09/04/10 21:20)
はむ 自分は差別などしたことが無いと声高に言ってはないですが、実は思っている口です。でも実際は口や態度には控えてるつもりでも、心の中では相手を見下してると感じることもあります。それはすでに差別の芽であり自分の偽善ぶりを垣間見ます。差別を無くしたほうがいいに決まっているとは思いつつも、差別って人間の本質のひとつで完全に無くすことなんて実はできないんじゃないかって思うのは横暴でしょうか。 (09/04/10 00:34)


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