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話題
欲望の河。夜のドラマシリーズ。 |
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1100夜目
no.1100 ( 記入なし05/12/25 17:07 )
駅に向かう途中に少し長い踏み切りがあるんですが
その脇に花が供えてあったんです。
それを見た友達が「きっとここで誰か無くなったんだね。かわいそうに」と言って
手を合わせたんです。
2人で踏み切りを渡りましたが、私が渡り終えたのに友人はまだ踏み切りの真中あたりで
りで呆然としているんです。踏み切りが下りようとしていたので「早く!」
と言うと、はっとして走って来ました。
「どうしたの?」と聞くと「分からない。足が動かなくて・・・」
「子供の声で一緒に遊ぼうって言われた。」
むやみに供花などに手を合わせるとよくないらしいです。
no.1101 ( 記入なし05/12/25 17:13 )
これは俺が体験したマジな話。
大学3年生だった頃、俺はレポートを書かなくてはならず夜中に必死で
教科書を広げていた。そして、明日までの締め切りに間に合わないと判断
し、無理を承知で友達に写させてほしいと電話でお願いをする事にした。
(夜中の1時に電話をする俺もどうかと思うが)
俺は受話器を上げて友達の電話番号にかけた。…しかし、受話器の向こ
うからはよく聞くメッセージが聞こえた。
「この電話番号は現在使われてません」
あれ?間違ったかな。とも思いながらも何度もチェックし、かけ直すが
同じメッセージばかりが聞こえる。俺は、仕方がないのであきらめて寝る
事にした。そして、床について電気を消して、その十分後、
「TRRRR…」
電話がなった。
俺「はい、もしもし」
*「……」
俺「もしもし、もしかして○○?(んな訳ないが)」
*「…さよなら」
*「ガチャッ」
結局その人が誰だったのか分からない。
だれなんだー。教えてくれー。
あと、その友人は電話番号は変えてないそうです。
no.1102 ( 記入なし05/12/25 17:14 )
入院していた某大学病院に、軽く傾斜している廊下がありました。
当時、車椅子生活だったのですが、そこの廊下に差し掛かると、
妙にコントロールが悪くなって困っていました。
それに、とても寒くなるんです。
慣れない車椅子で神経を使っている所為かなぁと思っていましたが、
或る日、見つけてしまいました。
床の真中に、うっすらとついている手形に。
上の方(出口があります)に縋るような感じで、大きく開いた掌でした。
怖いと思えば、何でも怖くなるものです。
恐らく、その手形も工事の際についてしまったモノで、何も怖がる事は
なかったのかもしれません。
でも、長期入院中、何度かあった廊下の拭き掃除の後、2・3日で再び
浮かび上がってくる汚れ(傷)って、あの手形だけだったんですよね…
no.1103 ( 記入なし05/12/25 17:15 )
俺の友人は去年だけで電車の飛び込みを三回見たそうだ。
住んでる場所が八王子なんで、中央線で二回見たらしい。
あと一回は出先の埼京線。
友人曰く、飛び込みを目撃する前に、動悸が激しくなる
らしい。眩暈と吐き気がして電車を降り、ベンチで休んで
いると遭遇するそうだ。
今年、たまたま一緒に電車に乗ってて、俺はその話を聞いた。
気分が悪いから駅で休みたいけど、また嫌なもの見るから
我慢するとか言ってた。そのあとすぐ、電車が駅で止まって
アナウンスがあったから、多分事実だと思う。
no.1104 ( 記入なし05/12/25 17:24 )
昨日法事があったので実家に泊まりました。
仏間の隣の部屋で寝てたんですが、何かが
仏間に居たようで、ずーっとビニールの布団入れ
を触っている音がしていました。
最初猫かなーっと思っていましたが、そのうち
ふすまを触る音とか聞こえてきて怖くなり、布団ごと移動
しようと戸を開けると全然違う方向から猫が。。。
ちょっと怖かったです・・。
no.1105 ( 記入なし05/12/25 17:24 )
学生時代ひとり暮らししてたときの話。
親が心配してオートロックつきのアパートを借りてくれたんだけど、
ありえない時間(12時とか)に、玄関のチャイムが鳴る。小さいアパートで、
住宅の玄関ドアのサイズのオートロックですぐ閉まるから、住人の後にくっついて入るなんて不可能なのに。
自分は朝練とかあるから、その時間は爆睡中なんだけど、なんかけっこう毎晩あったみたい。
それがね、目が覚めちゃったとき聞いてると、順番に部屋のチャイムを鳴らしているんだ。
次の部屋に行くまでの間が、何かの勧誘ではありえないほど、ゆっくりで。ノックしてくるときもあって。
3〜4分してもう行ったかなあと思って、ちょっとスタンドの電気つけたら、ドアをバンバン叩かれたときは、マジ怖かったでつ。
アパート自体も変だった。病人というか、狂人というかが続出で。
夕方帰ってくるときに、玄関があいていて、同い年くらいの奇麗系の男子がしゃがんでいるみたいだったから、
玄関掃除かなあとおもって通り過ぎて、翌朝早朝またあいているから、何だろうと思ってみたら、
そいつが、壁におでこくっつけて、3センチも離れていない壁をギロっとにらみつけながら、
「アクマガイル、アクマガイル」とかなんとか、ずっとつぶやいているの。そのあと、その人は、引っ越していっちゃったみたい。
下の階に、ちがう学科の娘がいたらしいけど、教室で失禁して(大のほう(><)
1週間療養して復帰して、そのあと過呼吸発作でゼイゼイやってた(失語症にもなったらしい)けど、
構内でガソリンかぶって火をつけて焼身自殺未遂したって大騒ぎになった。
この娘も引っ越して、実家にかえっちゃったけど、なんかそのあと出産したとかきいた。18歳で!
男女関係のもつれとかいうやつで精神不安定だったのかな。
悪い場所って変な気を集めるのかも。あのアパートを出て1年近くになるけど何事もなくて良かったでつ
no.1106 ( 記入なし05/12/27 23:01 )
父方と母方と、両方のじいちゃんを亡くしとるのだが
どっちの時も死んだ当日は朝から強烈に嫌な感じがした。
虫の知らせってあるぞ。
no.1107 ( 記入なし05/12/27 23:03 )
オレもあるな。
朝、顔洗った時ふと鏡を見たらヒビが入ってたんで
何か嫌な予感がする・・・と思った瞬間に電話が鳴り、
すごく可愛がってもらっていた祖母が亡くなったと
連絡があった。
no.1108 ( 記入なし05/12/27 23:04 )
夜勤の巡視時に、誰もいない階段から『まって!』と声がした。ふりむいても誰もいない。
まてねーよと心の中で思い、仕事つづけた。
no.1109 ( 記入なし05/12/27 23:26 )
弟が足の怪我で長期入院していた時
退屈して、地下にある霊安室のあたりに一人車椅子で探検に。
いきなり「パシッ!ピシッ!」と周りに音が鳴り響き、
車椅子の車輪がガタガタ痙攣みたいに動いたそうな。
以来懲りて探検は止めたようだ。
no.1110 ( 記入なし05/12/27 23:27 )
>1109
冷静な対応だな…。
no.1111 ( 記入なし05/12/27 23:30 )
二年前の実話です。
ヨルダンの砂漠で迷子になりました。
周りは一面砂と空。
砂に埋もれてるきれいな人骨が友達に見えて安心感すら感じた。
夜になると急激に寒くなりそいつと自然に添い寝をした。
それから3日間がたった。
まだ2月だったので昼間でも日ざしはきつかったけど、気温はさほどでもなかったのが助かった。
その日奇跡的に通りかかったトルコ人バックパッカー二人組に助けられ、
数キロ離れた遊牧民のベドウィンの家につれていってくれた。
着いてすぐ子供達に歓迎されあれこれ話しかれられたがアラビア語はまったく理解できなかった。
その家の家長はアリという人だった。アリはこの家で唯一英語が話せた。
僕が日本人だということを話すとアリは思い立ったように歌いはじめた。
「しあわせんあら、、手を叩こ。しあわせんあら、手を、、」
僕が「何でその歌しってるの?!」とびっくりして聞くと。
何年も前に一緒に数カ月、移動しながら暮らしていた日本人がいたことを話してくれた。
その話が出た時点でトルコ人の片方ハッサンが言った。
「さっきまでお前の隣にいたやつだよ。」
助けられたばかりで、すっかり気が弛んでいたところなだけに衝撃だった。
ああ見えてあそこは彼のお墓だったのだそうだ。
「日本人は友達思いだな。」と言ってアリは笑った。
信じられないという思いもあったけど、
その笑顔を見てその日本人は満足のいく一生を送ったように思われ、悪い気分にはならなかった。
数日後、体力を回復した僕は出会ったトルコ人の勧めでトルコへ渡り、ロシアを経由して日本へ帰国した。
骨になっていた彼の名前はアリが「たわし」と言っていたので「たかし」とか「ただし」みたいな名前だと思います。
no.1112 ( 記入なし05/12/28 19:22 )
古い工場の話し。
そこの工場では、いつも夜になると変な音が聞こえてきたらしい。ぺ
ちゃくちゃと早口でしゃべってるような、なにかを食べてるような音。
まあ、古い工場だから配管を伝って遠くの音が聞こえても不思議では
ないし、近くに大きな道もあるから結構な騒音がしてたらしい。夜中で
も荷物の搬入搬出はあったし、おまけに近所には野良猫が大量にいたか
ら、夜中に静かな方が不気味な場所ではあったたしいけど。
で、そこに本社から新人が転勤してきた。その新人ってのが、結
構いい大学を出た人で、将来の幹部候補として現場の経験を積む為
にその工場に来たらしい。
その、新人が遅番で夜中まで仕事をしていた時も当然、例の音が
した。それを聞いた新人、いきなり立ち上がって帰ってしまった。
新人が一人位いなくなっても仕事に支障はきたさなかったらしいが、
さすがに仕事中に帰るのはまずい。翌日、工場長に呼ばれた。
no.1113 ( 記入なし05/12/28 20:03 )
で、新人の言うことには夜中に何人もの人間の話し声が聞こえた
為、怖くなって逃げ帰ったと言う。
しかし、一緒に仕事をしていた人間は何も聞いていない。仕事が
嫌で嘘をついているかと思い、工場長がさらに問い詰めたところ。
確かに聞こえたと言う。ただ、それは日本語ではなく韓国語だった
と。最初はラジオかなにかの音だと思ったが仕事場にラジオはない
し、外からではなく室内から聞こえたと。
例のぺちゃくちゃいう音は韓国語で話す声だったらしい。ただ、
その工場では韓国語が理解できる人間がいなかった為誰も気にして
いなかったけど。その新人ってには、幸か不幸か韓国語がわかった
んだそうな。
その後は、その新人は深夜にまで勤務時間が延びない、早番だけ
にシフトを固定して、じきに転勤していった。ぺちゃくちゃいう音
は、今でもするらしい。
で、この話を聞いたとき、当然ながら戦前に朝鮮人が日本に連れ
て来られたって、話しを連想したけど、さすがにその工場もそこま
は古くないってことだし、その周辺に朝鮮族がいたって話しもない
らしい。なんなんでしょうね。
no.1114 ( 記入なし05/12/28 20:03 )
自分、数年前までK察の人間でした、大学を出てすぐ東京都T島区の警察署に配属。
自分はT大出のいわゆるキャリア組で(自慢に聞こえたらスマソ)、いわゆる期待の星。
そういう背景もあって、お偉いさんたちには自然可愛がられる傾向に。
で、ある日署長サンに飲みに誘われた。自分はもう、着替えおわって帰り支度が済んでいたけど、
署長はまだ制服姿でしかももうひとメール打つから待てと言う。
暇を持て余してまた自席につき、ぼんやりと閑散とした室内を眺めていると、
目の前にぽん、とバインダーが投げ出された。
「キミも、いずれ知ることになるだろうから。暇潰しに呼んでて。」
そういうと署長はまた席に戻り、カタカタとキーボードを叩く。
厚さ2cmほどのプラスチックバインダの背表紙には「雨宮さん」と書いてある。
なんだろう。パラパラとページをめくる。
調書や、現場写真。いわゆる、捜査資料の類がファイリングされている。
そして、その内容を読んで愕然とした。
本当に、なんというか、このスレにあるようなオカルトチックな事件の集大成。
そして、そのほぼ全てが未解決。1ページめくる毎に、ぞくぞくと背中に悪寒が走る。
キツネ憑き(?)の窃盗事件容疑者の写真とか、顔つきが半端じゃない。
人間の顔じゃない。洒落になってない。怖い。
事情聴取の調書にも、素で「ケーン」とか「キキキ」とか書いてある。
いろいろ他にもあったけど、マジでこれ以上は勘弁。割愛します。
no.1115 ( 記入なし05/12/28 20:39 )
1/3ほど読んだところで、署長にファイルを取り上げられる。
「はい、そこでストップ。続きは、キミが署長になったらね。」
そういうと、署長はそのファイルを自席の鍵付きの引き出しにしまった。
頭がボーっとして、脇にイヤな汗を書いていたのを覚えている。
池袋の小料理居酒屋で署長に話を聞く。簡単に言うと、以下のような感じ。
K察にも所轄毎に、いわゆる「成績表」がある。
検挙率、とかそういうふうに考えてもらえばいい。
で、K察とはご存知地域密着型のサービスゆえ、様々な側面で「地域格差」
が出るのは否めない。
例えば、所轄により、どう頑張っても「科学捜査では解明できない」事件が
多発するエリアがあるらしい。
そういったエリアでは、当然事件解明に至る確率は低下する。
そのような地域による評価の較差をうめるべく、70年代あたりから
特定の条件を満たす特殊な事件に関して、その評価の対象から
暗黙のうちに除外される、というルールができていたらしい。
それが、雨宮さんファイルに綴じられているような事件である、と。
「で、雨宮さんて、誰なんですか?あのファイルの名前・・・」
自分がそう聞くと、署長は胸のボールペンを取り出し、
和紙の敷物に一文字、「霊」。
「な、上のとこ。雨、だろう。」ニヤニヤする署長さん。
また後日、俺はそのファイルの事が気になり、署長に再度見せてくれと
頼んだところ、「気にするんじゃない。忘れておきなさい。」と、
ピシャリと一喝されてそれ以来。
その後、その署長といろいろゴタゴタがあって、K察もやめてしまい、
今はお気楽サラリーマンやってます。
なんていうか、まんまXファイルでした。
同期の話では、B京区、A立区の所轄にも同様なファイr(ry
書いたあとで、ちょっとヤバいかなと思ってるんで、
とりあえず、フィクションですということでよろしくです・・・
no.1116 ( 記入なし05/12/28 20:40 )
この話しは不動産E社で働いていた友人Sから聞いた話しです。
高卒で不動産屋に就職したSが入社から半年を過ぎた11月頃に、Sの友人Tに賃料が安く駅から近い物件を紹介してくれと
頼まれ築15年の古いアパートだが和6 洋4.5 風呂トイレ別ユニットバスの木造アパートを紹介しました。
Tは物件の下見後即契約しそのアパートへ引っ越しました。
翌年3月にTの友人M(Sの友人でもあります)が上京して来てTのアパートで新居が決まるまで同居する事に成りました。
Tは洋間にパイプベッドを置いて寝て、Mはその横に自分の布団をひいて寝ていたそうです。
数日たってMがTに自分は和室で寝たいと言い出しました。
TがMに理由を尋ねるとMは申し訳なさそうにこう話しました。
「居候している身でTを脅かすようなことを言うのに気がひけて今まで黙っていたけどもうだめだ、壁が薄くて隣の部屋の
人のTVの音や声が聞こえるのはまだ我慢出来るが押入から人が毎晩出て来るんだよ、夢か幻覚かもしれないが
あの顔を毎晩見るのは絶えられ無い、押入の無い和室で寝ればあんな夢は見なくて済むんじゃないかと思って和室で
寝たいと言ったんだ」
Tは引っ越してからそんなおかしな体験を一度もしていなかったし、ましてSにはお化けが出るとこ紹介したら殺すからな
と何度も念を押していたので笑ってMの話しを聞き流したそうです。
それから毎晩03:00頃にMがTを起すようになったそうです「マジで今出たんだって」Mは毎回真顔でTにこう言ったそうです。
Tは半信半疑ながらそこまで言うならオレがそっちで寝てやるからお前はベッドで寝ろと言って翌日はTとMで寝る場所を
交換しました。 今日はMに起されないだろうと思って熟睡していたTはその日もMに起されました。
「お前の上素通りしてベッドで寝ているオレんとこに来やがった」
Tはてめえいい加減にしろ!と言ってMと取っ組み合いの喧嘩をしましたがお互い疲れたところでMが真剣な顔で隣室で
誰か死んでいるのかも知れない、それでその幽霊がこっちの部屋に出てきているのかもしれない、Sに一度確認してみた
方が言い、こう言い出しました。
no.1117 ( 記入なし05/12/28 21:13 )
その日のうちに会社に出勤していたSを呼び出して3人でMの話しを詳しく聞いたところ次の事が判りました。
毎晩03:00頃に出てくるお化けは押入から音も無くすべるようにMの寝ている場所まで来ていた事。
そのお化けには手も足も無く黒く長い寝袋の様な形で寝袋の様な胴体から出ている頭は長い白髪頭で
顔は判らない事。
恨み言など何も言わずただ老婆のような泣き声だけ聞かされる事。
昼間でも押入か隣室から老婆の押し殺すような泣き声や唸り声がたまに聞こえて来る事
(Tは入居してからそんなものは全く聞いた事が無い)。
Tが居ない時に押入の天井と床板を外してみたが何も無かったこと。
Sは押入側の隣室の入居者へ分別ごみの出し方で注意する事があったので、3人で飯を食いに行った後
隣室の中年男性を訪ねました。
用件を伝えた後Sはさりげなく中年男性に隣室の騒音などについて聞いてみました。
その中年男性はMが話したお化けを見たといったような話しはしませんでしたが、Tの部屋側からお婆さんの押し殺すような
泣き声や唸り声がたまに聞こえて来る事、隣室の嫁さんを見かけないがお婆さんを置いて引っ越したのか?
などといった話しをしました。
そこでSが隣室の住人は昨年引っ越しており今は学生(T)が住んでいると伝えたところその男性は驚いた様子で
今も嫁にいびられているお婆さんの声が自分の部屋にたまに聞こえてくる、あの声は何だ?とSに詰め寄ったそうです。
Tの部屋にもどったSは隣室の人もMがと同じ様に泣き声が聞こえると言っていたと2人に話したところ、
TはSに業者に頼んで押入近辺を調べてくれと頼みました。
そこでSがその前にオレがちょっと見てみると言って押入の壁板をトントン叩いて調べ出しました。
Sは調べているうちに床板や他の壁板がコンコンという軽い音を返すのに、押入と風呂を挟んだ壁板だけ
ボンボンといった何か詰まっている様な音を返し、またその壁板が少し膨らんでいるのに気付きました。
Sがそこで板を外すと黄色い袋のようなものが見えました。
Sはこれはヤバイと思い会社の先輩と大家さんを読んで壁板全部を外し後から来た警察官がその
袋を引っ張り出しました。
取り出された袋は黄色い寝袋で中に何か詰まっている様にズルッといった感じで出したそうです。
寝袋を押入から出した後警察官が寝袋のチャックを開けようとしたところTが突然「オレの部屋で開けるな!」と
興奮して警察官に怒鳴りました。
その場にいた全員がこれはもう事件がらみだと確信していたため寝袋は部屋から持ち出され警のワゴン車で開けた所
やはり仏さんが入ってました。
no.1118 ( 記入なし05/12/28 21:15 )
これは結構有名な事件なのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、事件が起きた十数年前は
今騒がれている子供の虐待死事件のようにボケ老人問題で介護疲れの親殺しや無理心中事件が
多発していました。
そんな中で起きたのがこの姑塩漬け殺人です。
事件の概要はこういったものでした。
Tが入居する前に嫁と姑がその部屋に入居していた(契約は10月まで有ったそうですが嫁は8月に退去)
姑は嫁の実母でなく旦那の母親。
旦那が女をつくって失踪、嫁と姑がこの部屋へ引っ越してきた。
姑は旦那以外に身寄りが無く旦那失踪後は嫁が面倒をみていた。
嫁は自分を裏切った旦那への復讐を姑に虐待と言う形で毎日繰り返した。
食事を満足に与えず、頭から熱湯をかけたりアイロンを押しつけたりかなり惨い事をしていた。
(ご遺体の腕などから折れた針が何本も出てきたそうです)
姑は老後の面倒をみてもらっているという負い目から痛い痛いというだけで逃げ出さなかった。
ある日嫁が姑が布団から出てこないので様子を見ると死んでいた。
嫁は怖くなって姑をゴミ袋で何重にも包み中に漬物用の塩を大量に入れ更に寝袋に入れて押入の板を外し
そこに押し込んで隠した。
嫁の退去後に別の入居者が偶然死体を発見し警察が捜索し嫁は逮捕。
no.1119 ( 記入なし05/12/28 21:16 )
わたしが以前勤めていた法務局の話しをします。
そこは今はもう統廃合されて存在しない出張所なのですが、
とある歴史の古い町の、昔の遊郭の傍にありました。
私がそこに勤めていたのはほんのわずかなのですが、
一緒に働いていた女性たちが次々と病気や怪我など災難に遭うのです。
その出張所にいて妊娠した女性は必ず切迫流産になりましたし、
無事に産んでも免疫系の難病にかかった女性もいました。
肩こりや腰痛がひどくなり動けなくなって辞めたバイトも女性でした。
海水浴中に素足でウニを踏み抜いて半年苦しんだ女性、
盲腸が破裂して死にかけた女性もいました。
元々喘息の持病や腎臓が弱かった女性などもあっという間に悪化して入院、
その後退職しました。霊感の強かった女性は毎日水晶の数珠を持って
仕事をしてましたが日に日にやせ細り、一年経たずに辞めました。
逆に体がぱんぱんにむくみ医者に行っても原因の判らなかった女性もいました。
一番怖かったのは、首が痛いと言って休んだ女性。
頸椎の神経に傷がいったそうですが、よろよろと診断書を持って
役所に来たときにこんな事を言いました。
「なんだか、左耳のあたりから肩口にかけて、袈裟懸けに斬られたみたいに痛いの・・・」
ひょっとしたら、あの出張所のあった土地は、昔遊女の投げ込み寺でもあったのかもしれません。
no.1120 ( 記入なし05/12/28 21:43 )
従兄弟が昼にテレビを付けたまま、食事をしていたんです。
そしてそのテレビには、何の変哲も無い昼ドラマが映っていました。
しかし、急にそのドラマとはマッタク関係の無い、白無垢衣装の花嫁
(和のやつね)の上半身が画面右下に出てきたらしいのです。
しかも無表情に見つめる、ほとんど動かず。
しかも、その後ろでは何事も無いようにドラマが展開されていた。
不気味に感じた従兄弟はテレビを消し(リモコンの無い時代だったのでスイッチをバチンって)
昼ご飯の片付けを始めました。
台所で食器を洗っていると、さっきのドラマの音が又聞こえて来ました。
「ん?と思い、見に行くとそこには・・・又さっきの花嫁が映っていましたと。
慌ててコンセントを抜き、その後は何も起きなかったようです。
no.1121 ( 記入なし05/12/29 03:18 )
もう30年以上前の父の話です。
父は5人兄弟なのですが、3女のお姉さんが飲酒運転のトラックに轢かれて
亡くなりました。ほぼ即死だったそうです。
父は末っ子だったので姉弟と言っても年が離れており、
兄弟の中で、もちろんそのお姉さんからもかわいがられていて
とてもショックだったそうです。
ある日何の気なしに父が庭を写真に撮ったら…例の写真が撮れてしまいました。
地面から30aくらいのところまで、まるでそこから生えたかのように
足だけがはっきり写っていました。
父は庭には誰もいなかったといいます。
でも穿いているズボンのすそが少しだけ見えていて、
それは当時、家族の中でおしゃれだったそのお姉さんしか穿いてなかった
ズボン(パンタロン?)でした。
それで父は『ああ、姉貴だ』と気づいたそうです。
no.1122 ( 記入なし06/01/01 20:05 )
俺が感じたのは、なるべく不幸な目に合わない事が幸福なのだと。
どんなに金持ちでも、辛い目に合って財産を作った人は、
性格がひねくれてるのが多い。
苦労して成功しようとせず、感謝の気持ちを忘れず、
地味に無難に生きてるのが幸福だと思う。
no.1123 ( 記入なし06/01/03 17:39 )
麩見たいな生き方だ。のど越しも感じないし歯ごたえもない・・・
普通が一番ってのより有り難味がなさそうだ。
それとも単なる言葉の解釈の違いか・・・
no.1124 ( 記入なし06/01/03 17:46 )
人がいかにして生きるかという問いの答えは
おそらく一つではないだろう
その中で自分の答えを見つける
それが哲学の利用の仕方
no.1125 ( 記入なし06/01/03 17:57 )
怖い話。今住んでいるマンション、隣は中年男性一人暮らしのようなのに、留守中に生活音がする。
オバサンらしき歌声もたまにしてる。でも引っ越してきて三年間一度もそのオバサンを見たことがない。
男性が留守だと新聞受けから新聞があふれかえっているけど、やはり歌声とか水音は聞こえる。
まぁ、体調悪いとかヒキ奥さんかもしれないけどなんとなく不思議。
あと、夜中の三時にハイヒールを履いて徘徊している音がする。
廊下をカツカツ歩いてきて、毎回必ず家の玄関より二三歩前でUターンして戻っていく。
最初は前述のオバサンがスナック勤めとかで夜中に帰っていると思っていたけど、廊下ぞいにはうちと
そこの家しかないのに、Uターン。意味がわからないけど毎晩聞こえる。
怖いから出て見たことはない。招き入れちゃってもイヤだし。
no.1126 ( 記入なし06/01/03 19:42 )
福岡と佐賀の県境にダムがあって、よく釣れるんだわ。
朝一が狙いなんで夜中に峠を走ることになるんだけど、
途中に小さな祠があって、なぜかいつもお灯明がともってる。
まあ、気にせずに走り去るんだけど。
あるときそれがともってなくて、どうしたのかなと思いつつ
走り去ろうとしたら、子供の声で「まってよ」て聞こえた。
no.1127 ( 記入なし06/01/04 20:04 )
一人暮らしをしている時、チャイムが同じ時間にしかも朝の5時頃。
よく聞いたら隣も鳴らされてるらしい。
出ないうちに隣のチャイムがなる。
そこの階ほとんど連続して次々と。すっげ気持ち悪いから出なかった。
ある日用事で4時頃帰宅。駐車場が離れているので(結構歩く)
チャイムのことを思い出し暗いしこえーなって歩いて誰もいなかったから
よかった〜と思って後はエレーベータ乗るだけだと思い
エレベータ上がった瞬間チャイムが、かすかに3階らへんでなってんのに気付いた。
5時のやつは酔っ払いだろうと思ってしかも4時20分頃だったし
気にしないで5階まで上がると女がたってて人がいたから普通にびっくり
してその女と入れ替わって俺は5階で降りてそいつはエレベータに入っていった。
そしたらそいつがもう一回下に降りずにまた開けたんだよ。
急に叫びながら包丁持ってこっちに走ってきたので非常階段から凄い勢いで逃げた。
ああゆう時って本当言葉も出ないと思ったよ。
自分がわからなくなって逃げ切った後、警察の問にも耳が入らず手足の震えが止まらなかった。
あの女の狂った目は霊より(見たことないけど)も本当怖かったです。
今も正体は不明。
no.1128 ( 記入なし06/01/04 20:26 )
上野村民の証言。山の畑で野良仕事をしていると、そんな山奥にいるはずのない
スーツ姿にアタッシュケースをさげた中年男性に、「東京はどちらの方角ですか」
と聞かれたそうだ。
no.1129 ( 記入なし06/01/04 21:37 )
隣の市にあるダム超山奥。
凄いよマジで。
仲間の弟が高校のバスケ部のロードワークでよくそのダムまで走らされてるらしい。(一応ちゃんと整備されててランニングとかMTBの人とかよくいる。昼間は、ね)
そこの駐車場に一台のセダン車が停まってたんだと。
まぁ駐車場だし何も不思議なことはない。
でも車はそれから2日経っても3日経ってもその場所にいる。
いい加減部活の連中とも「おかしくねーか?」と言い始めたのは一週間ほど経ったんじゃないかという頃。
恐る恐る車に近付きよく見ると窓には黒いガムテープの目張り。
ドアを開けずに山を下りて警察呼んだそうだ。
車内までホースが伸びてて 排ガス自殺だったそうだ。
ダムまで行ったんなら飛び降りた方が苦しまずに死ねるだろうに…。
他にも、地元のタクシーが真夜中にダムまで女(幽霊でなく自殺志願者)を乗せたとか…そんな時間にダム行こうとする奴それ以外考えられないって気付けよ運ちゃんorz
その女は自分名義で新しく家を買った(建てたのでなく売家を購入)後すぐにノイローゼになり自殺したそうな。
no.1130 ( 記入なし06/01/04 21:44 )
学生時代鰻屋でバイトしてた。
出前もやっていたのでよく行かされた。ある時、マンションの一室に出前に行った。
インタフォン押すと、扉を開けておっちゃんが「金持ってくるからちょっと待ってな」
と言って、玄関に鰻を置くように言う。
玄関に鰻を置いておっちゃんを待ってると、なんか左の耳元で変な音がした。
「うーーーーーっ」って感じの低い音。なんだろうと思って左の方を見てみ
ると下駄箱の上の方に飾ってある絵(油絵で、西洋人だと思うけど老婦人の
肖像画)があってそれが音を出してる。
おっちゃんがお金持ってきたときもその音がしてたのだけれど、お金を渡し
ながらこんなこと言われた。
「ああ、聞こえてるか?これなんかたまに唸るのよ。気にせんといて」
普通のことのようにあっけらかんと言うわけです。気にするなっていわれて
も・・・
no.1131 ( 記入なし06/01/07 22:03 )
普段はつけないはずのラジオが夜中の3時トイレに起きたらついてた。内容はわからんがおっさんがボソボソなんかしゃべってた。
no.1132 ( 記入なし06/01/07 22:05 )
単なる偶然と思いますが、当時かなり鬱になった話を披露します。
今から27-8年ぐらい前に親父の会社の社宅が新築となったので引越しするこ
ととなりました。社宅自体は100世帯が住めるぐらい大きな建物でした。
引越しして2年ぐらい経ったとき我が家の斜向いの部屋のAさんが突然癌で亡
くなってしまいました。当然残された家族はそのまま社宅に居残るわけもい
かずに葬式後ひっそりと直ぐに転居されました。転居後の話として管理人が
Aさんの表札がなかなか外されず、一苦労したなどがあり、Aさんがよほど
現世に未練を残して亡くなったんでは?なんて噂が飛び交ったりしていまし
た。確かに当時小学生の息子さんがいたり、若くして亡くなったAさんのこ
とことを思うと、そのような噂が出てもおかしくないような状態だったこと
を当時小学生だった自分も憶えています。
それから1年後にBさん一家が我が家の斜向いの部屋に引っ越してきました。
Bさん一家は夫婦と3人の娘の5人でした。当然、その部屋であったことなど
全く知らずに引っ越してきたのですが、この手の話の性質上、数ヵ月後には
前の部屋の借主の話はBさんの奥さんの耳に入ってしまい、Bさんの奥さん
は気味悪がり、早く部屋を出たいなどと周りに漏らしたりしてたそうです。
その数ヵ月後にBさんの次女が小学校でふざけていた際に鉛筆で目を突くと
いう事故が起きました。失明寸前の大きな怪我でしたBさんの奥さんの懸命
の看病もあり失明は免れました。しかし次女が完治する頃には、看病疲れの
Bさんの奥さんはやつれ完全に体調を崩してしまってました。もともと自分
の住んでる部屋の過去の話を聞いてノイローゼ気味になっていた奥さんは自
分の体調不良は自分が癌に侵されているからだと勝手に思い込んでしまい、
娘3人を道ずれにガス自殺をはかってしまいました。Bさんが会社から帰宅後
に発見したそうです。会社側の考慮もありBさんは家族の葬式後、ひっそり
と直ぐに転居していきました。
no.1133 ( 記入なし06/01/07 22:15 )
当然その部屋は開かずの部屋となり、後に誰かが住むということは無く
なりました。その後その部屋で夜中に電気がついていたの目撃したとか、
ベランダに人がいたのを目撃したなどの噂が社宅内で絶えず出てました
が、我が家も親父の仕事の関係上、それから5年後その社宅から引越し
することとなり、その後すっかりこの事件のことを忘れてました。
一連の事件から20年ぐらいたった3年前、兄貴から「Bさんが首つり自
殺したって記事が新聞に出てた」ということ聞きました。Bさんはその
後再婚し、取締役まで出世していたそうですが、会社の経営がうまくい
ってなかったことを苦にした自殺だったそうです。その話を聞いたとき
鳥肌がたち鬱となりました。単なる偶然では考えられないような気がし
てならないのですが・・
ちなみにその社宅はH県にありましたが、会社自体が倒産してしまった
ため、取り潰され今は一戸建ての宅地になっているそうです。次にその
土地に住む人には何も起こらないことを願います。でなければ単なる偶
然とは思えないので・・
no.1134 ( 記入なし06/01/07 22:15 )
20歳くらいの時、中学の同級生と一緒に花火に出かけた
キャンプ場へと続く山道の途中で
少し広くなっているところがあるからそこに車を停めてダベることにした
持ってきた花火も終わり、夜10時を回って
車も通らなくなり静かな夜だった
下の方を見ると、高速の灯りなどがキレイで
ちょっと盛り上がって昔話などをしていた。
遠くにすごく明るい光の固まりがあった。
とにかく凄く明るくて、しかもデカイ。
みんなで「なんだろうね?」、と言いつつ見ていたら
フッと消えてしまった。
しかし、とにかく光の固まりが尋常じゃない程に大きかったので
素人野球のためのナイター付けている球場かな、と思っていた。
(実際はそちらの方向に野球場なぞ無かったわけだが)
帰るためにその辺を片づけていたら
後ろの藪の向こうに頭部大の灯りが見えた。これもすごく明るかった。
見えては、見えなくなり、また見える。
多分、山道を走る車のヘッドライトだと思っていたが一向に車が来ない。
(後から思えば、車のエンジン音なんか全く聞こえなかったわけで)
なぜだか、あの時皆テンションが高くて
(中学卒業以来久しぶりに会ったので懐かしかったんだな〜)
不思議な事もそう変だと思わずに過ごして帰ってきた。
no.1135 ( 記入なし06/01/07 22:20 )
自分はビルの常駐設備の仕事をしております。
現在の現場は赤坂という、都心でも官庁も近い賑やかな場所です。
このビルに常駐勤務するようになったのは、去年の夏ぐらいから…
築35年という老ビルでして、入った頃は特に何も感じない建物でした。
ところが一昨日の晦日、遅くまでいた各階の入館者が21時には皆帰り、
あとは1階の警備室の警備と、地下1階の設備の自分だけになりました。
自分のいる地下1階の管理室は、同時に仮眠スペースでもあります。
自分も簡単な作業を済ませ、紅白を見て24時半には睡眠に入りました。
深夜2時頃だと思います。
バチン!
プラスチック製の定規で、机の上を叩くような音を夢の中で聞きました。
次第に夢から現に醒めて来た気がし、またバチン≠ニ音がします。
いやいやながら意識がはっきりし出した頃、またバチン!
おや?何だろうと思い、目を見開き、耳を澄ませました。
しかしそれ以後音はしません。
変だなあと思いつつ起き上がると、洗濯物を洗濯機から出すのを忘れていた為、
地下2階のボイラー室に行きました。
そこには洗濯機があり、いつも通り洗濯ものを干そうとしたんですが、
室内にカタン≠ニいう物音がたて続けにします。
ネズミかもと周りを見回しましたが、余り隠れるのに適した場所はありません。
たちまち気味が悪くなり、管理室に戻り、灯りとテレビをつけ、
ベッドの中に潜り込んですっきりしない年越しをしました。
実はこの晦日、昼飯時の外出の際、近くに建つプルデンシャルタワーに
散歩がてら行ってみたんです。
もしかしたら変な霊を持って来たのかも知れません。
あの定規の叩く音はラップだったんでしょうか…
no.1136 ( 記入なし06/01/08 19:30 )
海外派兵は可能性はあるが大拡大は無理。対西欧の観点として、少なくとも存命中信長は
キリスト教国の布教の裏の目的に気づいてなかった。万一アジア大陸に拡大した場合西欧が黙ってるはずがない。
西欧も最新技術を日本にもたらさないし、信長が革新的だったとしても西欧との諸分野技術力の格差を埋めるのは無理。
西欧を敵に回せばどう転んでも勝ち目はない。
大陸戦の観点として、言うまでもなく兵站の問題がある。水軍技術は朝鮮に及ばないし(海戦の性質そのものも違う)、
制海権を失えば猿の場合と一緒。陸では同じ条件で戦えば明、朝鮮より日本の方が戦闘技術で勝っていたので、上で言うとおり
兵站の問題を解決できれば朝鮮半島までなら占領する可能性はあるが、大陸で拡大するのは絶対不可能。
大陸規模では兵站問題を朝鮮半島戦のようにはいかない。食文化が全く異なる中国各地で、米を基本とする兵糧の統一獲得は不可能。
ましてあれだけの規模を侵略軍だけで統治、拡大するのは無理だが、当地の人間の大多数が異島異民族である日本人に心服するはずがない。
(というか明人は日本人を格下に見てるはず)。日本人が当地で悪虐を働くのは明白で民間レベルの反乱も多発する。言うまでもなく
軍事勢力の組織的反乱は起きるし、当然大陸で日本勢力が恒久的政治力を持つことは不可能で撤退を余儀なくされる。
そもそも海外侵略はあくまで少ない可能性であって、猿のように途中で頭がイタくならない限り信長はそんな愚かな事はしないと思われる。
信長は攻略目標を、戦術的よりまず戦略的に攻めるタイプの政略家であって、全く別文化異民族の国(日本どおりの戦略が通用しない)
へ漠然と武力優先で攻勢をしかけるタイプの武将ではない。
よって信長が長生きした場合の変化として地理的情勢の変化はほぼ考えられない。国内の変化を考えた方が現実的だし、
具体的変化の想定がしやすい。
no.1137 ( 記入なし06/01/08 21:52 )
統治手法は俺の想像を超えると思う。歴史人物として信長は日本で最も革新的で優れた頭脳をもっていると思う。
しかしそれでも、結局信長は当時の日本の多くを変えることができたわけじゃないし、
長生きしても限界があったはず。実際存命中の織田家中の家臣団構成や領国整備は
西洋のそれに遠く後進している。もちろんもともと日本が遅れているのは当然だし、
天下擾乱期に統一前に死んだので信長の力が発揮しきれなかったわけだが、
問題はその後進性の度合い。信長は斬新で画期的な手段・方法を導入し、
新しい考え方を持っていたが、実際当時の日本の体質を近代化しうる『制度』としての改革は、
全く行えていない。
ましてや、統治能力以前に、大陸戦で史上最大規模に膨れ上がる軍事規模では、超えられない壁がある。
実際当時西欧の先進国をもってしても、少なくとも一国では中国大陸の占領統治はできないと思う。
信長という人物が突出した天才であることは確かだが、信長の治める日本が国家として発展していたわけじゃない。
結局のところ信長の先進性と日本の実情には能力に大きな開きがあり、少なくとも信長の考えのレベルまで日本を
変えることはたぶん無理だったと思う。仮に信長延命で日本が大幅に発展できたとしても、いうまでもなく西欧のレベルとは
次元が違う。なお、上で言ったが大陸で大拡大すれば西洋が黙っていない。西洋と日本の軍事技術は
質的に二回りも三回りも格差がある。これを日本全国のレベルを根本的に西洋に対抗しうるようにするのは30年では不可能。
というか、量産工業力、製鉄技術、物資・マテリアル需要、馬種の違いは、何年経とうが追いつくことは無理。
no.1138 ( 記入なし06/01/08 21:52 )
日本史上最大のロマンだ。スペインの無敵艦隊(アルマダ)がイギリスに惨敗したのが
1588年、信長艦隊が出来ていたらアルマダなど蹴散らしたのではあるまいか。
朝鮮出兵より海軍力を生かしルソンからジャワあたりまで制海権を持ち貿易を盛んに
行ったのではないかと思う。当然豊臣・徳川政権はない。日本は当時の先進列強になって
いた可能性が高いのではなかろうか。よって産業革命も100年くらい早まっていたかも。
西洋西洋と言っているが、信長の時代の話である。
西洋さんとぶつかるのは当然だが、
それを言うなら、ポルトガル、スペインなどなど条件は同じ。
また、信長の所有した火気の数量は圧倒的で、
当時の欧州の全体数から比較しても堂々戦え対峙できる。
no.1139 ( 記入なし06/01/08 21:53 )
鉄砲に関してだが、当時日本は世界一の鉄砲普及国だと言われていて、あながち嘘ではないと思う。
しかし戦時の隊構成での鉄砲率は必ずしも高くない。16世紀中期には西洋先進国では国軍レベルでの鉄砲兵率
は2,30%ほどあったが、当時の日本は諸家の軍もそれほどの率はない。つまり数ある鉄砲を主力兵器として実戦配備
することが十分にできていない。さらに鉄砲の性能の問題がある。日本の鉄砲は伝来したポルトガル鉄砲に
比べ、飛距離が長かった(鋳造技術がないために鉄を叩いて砲身を作ったので、強度が高まった)が、
それは同形状の鉄砲の話。西洋では見られた鉄砲の技術革新は、日本ではほとんどなく、以来も伝来時のものと
大差がなかった。また、火気といっても鉄砲限定である。日本では大砲が普及しなかった(日本が山がちで運河もないため、
大砲を実戦配備するのが困難だったことと、製造技術の後進性のため・もし日本に大砲が普及できたと仮定すると、
日本城砦は全く要をなさなくなったはず)。大陸規模に拡大すれば大規模な野戦が発生するわけであり、
砲兵部隊を要する西洋軍と開けた地で戦えば合戦は一方的となる。また鉄砲・大砲だけじゃなく、兵科分類の後進性の
問題もある。西洋は槍兵、鉄砲隊、砲兵、騎兵と兵科分類が確立していたのに対し、日本は様々な武器が入り混じっての
未分離状態であったことは周知の事実である。そもそも在地武士が管轄内の農民を率いて小隊をなし、
その連合体として軍隊を構成する(特に貫高制下ではこの性格が顕著)のでは近代的な兵科分類ができるはずがない
(西洋では社会の身分構造と軍構成は別物となっている)。これを克服するためには武士支配社会を放棄する必要があり
もし信長がこのことに気づいたとしても、自らの支配身分を捨ててまで国民国家的近代構造を目指すはずがない(やろうとしても
百年単位の時間がかかる)。西洋が当時先進国であれた理由として、この国家構造の質の違いが挙げられる。
つまり、世襲支配者が国を率いるのではなく、(名目的にせよ)国民に選出された人間たちが政治を行う形を
とれない限り、いくら信長が優秀であったとしても日本を改革しうるのはせいぜい1代限りで安定せず、
結局日本を先進国化する流れは継続できない。よってあと30年かそこらで日本の体質がそこまで発展するのは
無理がある。
no.1140 ( 記入なし06/01/08 21:54 )
鉄砲の火薬についてだが、原料を自給できず正式な国交を持たなかった軍雄割拠の
日本では、西洋レベルの弾薬の供給システムを作りようがなかった。鉄砲の数の多さに対して、
それらを効率的に回転させることができていなかった。
西洋の国家構造についてだが、↑のように国民国家とか近代的とか言ったのはあくまで日本と比べての話です。
まだ世襲王室もいたし、民主的な国民国家なんて成立していなかったが、日本の武士支配体制より
制度化されていて支配者の権力も無限じゃないってことが言いたかっただけ。
no.1141 ( 記入なし06/01/08 21:55 )
確かに信長が稀に見る天才であるとは俺も思う。俺が言いたいのはこういった日本の実情があり、
当時の日本のキャパシティーの限界の枠を、天才である信長を持ってしても、しかもあと30年かそこらで、
壊して超えていかせることに無理があると思ってるってこと。もちろんキャパの範囲内で様々な革新があったのではないか
とは思ってるよ。しかも他の名将などではできようがないことを、信長なら簡単に達成しえたこともたくさん
あったはず(逆に信長だからこそできないこともあると思うが。信長は他人にはない欠点をもっている)。
が、信長の限界値よりも日本社会の限界値の方が限定要因となっているので、超えられない壁があるって考えてます。
no.1142 ( 記入なし06/01/08 21:55 )
信長は合理主義者なので資金的・人的にも膨大で利の少ない朝鮮出兵はしない
と思う。前にも述べたが堺の見直し・キリスト教の容認などの政策を見るに
やはり貿易立国を目指すのではないか。当時の日本人の海外進出は目覚しく
ルソン・インドシナあたりには日本人町も多数存在した。元来日本人は海洋民族
であるのでこのあたりのつぼは信長には観えていた筈なのだ。
no.1143 ( 記入なし06/01/08 21:56 )
信長は反抗するものには完膚なきまで
叩き潰している。延暦寺、越前一揆、長島の一向一揆は戦闘と言うより虐殺に近い。
また、浅井・朝倉は殺しただけでは気が済まず髑髏の杯まで作ったと伝聞がされては
逆らう方も必死である。本願寺も朝廷から仲裁が入らなかったら潰すまでやっていたであろう。
また当時の毛利は両川隆景、元春が健在である。隆景は先を見越して秀吉とは
良好な関係にあったようだが本気で潰しに来られたら話は別だろう。瀬戸内は小早川が押さえているのだから
四国か九州を先に取らなければ守るだけなら5年は行くだろうと言ったまでだ。
実際状況は多少異なるが武田は長篠で壊滅させたにも拘らず滅ぼすまでにそれから7年も掛かってるし
どちらかといえば内部崩壊で自滅したといった方が近い。姉川でも勝ったにも拘わらず浅井朝倉を滅ぼしたのは
それから3年も掛かっている。信玄・謙信には遂に1度も勝てなかったしそのための北条との同盟である。
軍神信長でもまともにやったらそれくらいの時間がかかるのである。
no.1144 ( 記入なし06/01/08 21:59 )
対して秀吉は簡単に言うとアメとムチ方式といえる。大軍勢で包囲して散々脅かした後「降伏しない?」
とやって凋落させてしまう。しかも本領はほとんど安堵で家格によっては敗軍の将にも拘わらずそれなりの
待遇をもって迎えている。これが通じなかったのは北条と島津くらいだろう。
現に5大老のうち信長・秀吉に1度も抵抗したことのないのは前田ただ1人である。(個人としては宇喜多もだが)
この懐柔策によって秀吉はたった8年で統一を果したのだと俺は思う。
ただ、このやり方の限界は戦らしい戦がなかったため論功行賞で与える土地がなくなってしまったことだ。
落ち度のあった者の知行から少し削ってみたり金銀をばら撒いたりしたが武士の欲しいのは土地である。
多少ボケが入っていたとはいえ朝鮮出兵は信長の継承でもなく誇大妄想でもなく功臣に与える土地、あるいは
物品の調達を目的とした国家的追いはぎであったといえるが、これがいかに非効率であったのかが判断できなかったのと
日本で始めて兵站部隊を確立させた男が現地徴発を命じたところに晩節の汚れと、
タナボタで天下人になったために国家経営のビジョンがなかった悲しさがあると考える。
チト話がずれた。
no.1145 ( 記入なし06/01/08 22:00 )
1つ聞きたいんだが大陸云々言ってる人は当然日本を統一した事を前提にしてるよな?
本能寺がなかったとして後何年で全国を掌握したんだろう?
天下統一と言っても京を押さえただけの話でようやく武田を潰して後顧の憂いを
払拭したのが1582年当時の実情で、中国以西、北陸、関東以北はほとんど手付かずのまま。
実際それらの各方面に兵力を分散させて完全に手薄になったところを突かれたのが本能寺だろ。
信長のやり方は恭順しなければ殲滅させるというものだから毛利辺りでも追い詰められて
本気で抵抗したら5年は軽く持つだろうからその調子でやってて
大陸に行くほど足場が固まってたかどうかだよな。朝廷を潰すかどうかだけでも
展開は全く変わってたろうし。
俺は信長が基地外でなかったら対等外交は求めてもシナも欧州も交易による巨大利権に
利用したろうと思うから出兵はなかったと考えてるよ。
no.1146 ( 記入なし06/01/08 22:14 )
本能寺の変当時・織田軍団に相対していたのは毛利・長曾我部・上杉・北条だ。
ただ北条は徳川と縁戚でありまた以前は対武田で同盟を組んでいたこともあるのでいい所
で手締めになった可能性がある。滝川一益が敗れた神流川の戦いは本能寺以後である。
長曾我部は丹羽長秀が準備中・毛利は羽柴・明智で侵攻目前・魚津城は落城と作戦は順調で
あった。秀吉の統一は1590年で8年を費やしているが徳川軍の加勢も期待できる
ので少なくとも1590年より早く実現していたのではないか?
no.1147 ( 記入なし06/01/08 22:14 )
ところで、マリアナ沖海戦のスプルアンスの評価は高くないか?
結果として完勝したんだから全戦闘機で護った決断そのものには文句言わないが、
マリアナの七面鳥撃ちの件を出して「敵味方の情勢を冷静に把握して防空したスプは名将、敵の防空
体制を知らずに未熟なパイロット長距離飛行を強要した小沢は無能」というのは納得いかない。
no.1148 ( 記入なし06/01/09 03:03 )
そもそもアウトレンジ戰法は、對米開戰前からの既定の戰術。
アウトレンジ戰法の功であれ罪であれ、小澤中将に背負わせるのは
筋違いと云うものです。
マリアナにおけるスプルアンス提督の手腕を云々するのに
いちいち小澤中将の名を出すのは、愼んで頂きたい。
no.1149 ( 記入なし06/01/09 03:04 )
ただ味方の錬度とか、もう少し考えることもできたのでは、と。
マリアナの前から日本の航空隊が米艦隊に有効なダメージを与えられないことはORまともにやってりゃわかったはず。
それと錬度が著しく低いことはわかってたんだし、どの道すり潰すしかないんだったら上陸部隊を狙ったほうが、とかね。
勿論小澤一人の責任ではなく日本軍の悪癖とも言えるが、どのように戦うかそれなりにフリーだったはず
最強機動部隊を上陸部隊のサポート護衛ユニットとしてしか見ないスプルーアンスの発想は
ミッチャーの提案を蹴ってるし米軍でも非難する人は多かったがキングやニミッツには評価されているしね。
比較することもそれなりに大事だとは思うが
no.1150 ( 記入なし06/01/09 03:04 )
スプは上陸作戦支援を優先して防空に徹した決断には悪いこと言わないし、
「日本艦隊を撃滅するチャンスを逃した」との批判は真珠湾で再攻撃と同じく後知恵だと思う。
ただ日本の戦記ものに見られる「レーダーとVT信管を信頼して敵の攻撃は防げると判断して防空した名将」って評価が気にくわない。
※ミッドウェーの南雲ももし急降下爆撃隊が攻撃失敗で日本海軍の大逆転勝利になったら
先制攻撃を受けた危うい現実があっても「敵味方の情勢を冷静に把握して防空に当たった名将」といわれてそう。
no.1151 ( 記入なし06/01/09 03:05 )
冷静沈着の代名詞みたいなスプルーアンスだが、艦砲射撃(陸上目標
ではない)の機会があると、やはり心躍ったようだ。44年2月、トラッ
ク諸島を攻撃した際、脱出を図った駆逐艦「舞風」を戦艦部隊が「嬲り
殺し」にした。必死の抵抗をみせた駆逐艦になかなか有効弾を得ること
が出来ないのを見たスプルーアンスは、思わず射撃緒元に口をはさみそ
うになった。一旦、戦闘状態になった場合、艦隊司令官といえども個艦
の指揮権は、艦長にあることを忘れかけたという彼らしからぬ話だ。
それに「懲りた」のか、マリアナ海戦のとき、接近する日本機の編隊
に対して、「各艦、防空戦闘に入れ」と命じた後は、艦橋の椅子に腰掛
けて本を読んでいたそうだ。小沢治三郎も大変な男を相手にしたものだ。
no.1152 ( 記入なし06/01/09 03:06 )
サンゴ海海戦について調べていたら艦隊保全思想のためにヨークタウンを取り逃がしたとの記述が多くて困惑。
確か瑞鶴に残っている飛行機ではヨークタウンをし止めるどころか返り討ちにされかねないのに。
no.1153 ( 記入なし06/01/09 03:32 )
5月8日の海戦後(翔鶴大破後)、稼動機が何機残っていたのか、
よくわかる資料ってないのかな。十何機しか残っていなかった
という資料を見たことがあるが、霧島那智先生説だと60機以上
残っていたそうだが。
これならヨークタウンへの第2次攻撃は十分可能だ。
no.1154 ( 記入なし06/01/09 03:32 )
原の判断は、やはりどうかと思うな。瑞鶴は
無傷だったのだからヨークタウンに止めをさせたかもしれないね。
ミッドウェーの山口少将は稼動機15機で第3次攻撃をかけようと
してた訳だし(こっちのほうが後だが)。
no.1155 ( 記入なし06/01/09 03:33 )
珊瑚海で2隻とも沈めていればミッドウェーは・・・だったのかなぁ。
no.1156 ( 記入なし06/01/09 03:33 )
珊瑚海の翔鶴並の被害(三発被弾)なら、飛龍・蒼龍でも沈没まではいかないよ。
逆にミッドウェイの時の四空母のような状況で被爆すれば、翔鶴・瑞鶴でも沈没するだろうけど。
no.1157 ( 記入なし06/01/09 03:34 )
南太平洋もあの損害ではなぁ、米側も南太平洋は負けてないって主張してる人いるみたいだし。
ホーネット失ってもあの時期に日本側の空母勢力を実質再建不能まで壊滅させたからって、
第二次ソロモン戦はワスプも沈めたし引き分け?
no.1158 ( 記入なし06/01/09 03:36 )
空母決戦のみで考えても珊瑚海海戦は勝ちではないよ
良くて引き分け
けど南太平洋はたしかに航空機の損害は日本側が多いけど自分は勝ちだと思ってます
no.1159 ( 記入なし06/01/09 03:37 )
空母隊空母の決戦の割にはマイナーだよな南太平洋海戦
なんでだろ?
no.1160 ( 記入なし06/01/09 03:40 )
決戦前にソロモン周辺をウロウロ。そのうち飛鷹のエンジン故障、瑞鳳は爆弾1発で離脱だし。
その後、40ミリ4連装に撃たれまくって飛行隊は壊滅。やはり勝敗は微妙だから。
no.1161 ( 記入なし06/01/09 03:41 )
真珠湾・ミッドウェーは双方の艦隊や航空戦力も大きいし、戦史の流れを特徴付けるインパクトがある。
だけど南太平洋海戦はガ島の命運を変えるだけの効果をもたらさなかった。
ま、珊瑚海よりは華やかかなあw
no.1162 ( 記入なし06/01/09 03:41 )
日本側損失92機のうち味方近くで着水が23機ある
米軍はホーネットの直後に位置取って強力な対空砲陣を張る予定だったノースカロライナが
流れ魚雷で離脱していたのが不運だった。エンタープライズが助かった一因はサウスダコタが
すぐ後ろにいて対空砲で援護していたから
あと、日本側は着艦後に損傷が激しすぎて廃棄(甲板から海に落とす)が結構あった。
no.1163 ( 記入なし06/01/09 03:43 )
俺、理大出身なんだけど
所属していたゼミ室の窓から自衛隊の敷地が見えるンよ。
というか、もうすぐ目の前を自衛隊の方々が行軍(?)してたりしたわけ。
で、ある日徹夜で分析をしていて、ちょっと一段落ついたもんでゼミ室で仮眠とろうかな・・
と実験室からゼミ室に入ると何か窓の外が騒がしい・・・
こんな夜中に自衛隊も大変だな・・・と思いながら窓の外を見ると・・・・・
確かに軍装した人たちがぞろぞろと歩いてるんだが
なんかおかしい。暗闇に目が慣れて彼等の服装が識別できるようになると
自衛隊の見慣れたユニフォームではなくなんか古臭い
そう、まるで旧日本軍兵士のような格好・・・・
そんな兵士が何十人もぞろぞろと暗闇の中をあるいていた・・・
アレはなんだったんだろう?コスプレ??
no.1164 ( 記入なし06/01/09 03:53 )
呉の海自学校にある桜並木から時々、ザッザッと部隊が行軍するような音が聞こえることがあるそうだ
その音を聞いて、「嗚呼、英霊がやっと帰国なされた」と自衛官の皆さんは手を合わせるそうだ。
文芸春秋文庫の「現代の怪談」にこのような話が掲載されているよ
no.1165 ( 記入なし06/01/09 03:55 )
戦後 B-29のパイロットが 旅客機のパイロットとして 日本に来たとき夜 静岡あたりの上空で 夜間戦闘機月光に取り囲まれたって話を以前 雑誌で読んだことがある!
no.1166 ( 記入なし06/01/09 03:55 )
高校の頃、友達の家に泊まりに行ったときのこと。
近所にその友達の通っていた中学があったので、肝試しというわけでもないけど
夜中に行くことになった。
夜中の学校はそれなりに雰囲気があったけど、特に何かあるわけでもなく、
校庭で話し込んでた。
ふと校舎を見たら1階の角の部屋(教室ではなく、用務員室のような部屋)が
チカチカ光っていた。
電気が消えている部屋でTVをつけている感じ。
「用務員さんか?」でも人の気配は無い。
小石を拾って皆でその部屋に軽く投げてみた。
何回か投げていたら、俺の投げた石がコツンと窓に当たった。
その瞬間にチカチカが止んだ。
少しあせったが誰も現れることもなかった。
ふと校舎を見上げたら、時計の針が凄い勢いでぐるぐる回っていた。
ま、結局何も起きなかったんだが。
no.1167 ( 記入なし06/01/09 04:01 )
これは俺の友達の女の子Aが体験した話で、コピペでもない。Aが友達と二人で池袋の△コーナーにあるカ○オケ館に行った時のことだ。
その日は平日で空いてるからか、二人は8階(だったかな)の大部屋に通されたらしい。
二人はそれぞれ歌を歌いはじめたが、そのうち友人が何か嫌な予感がして、気分が悪くなってしまう。
友人を心配しながらも次の歌いたい曲の番号を入力するA。しかし画面に現われた曲名は・・
「首吊り」
恐らく番号の入力ミスをしていたのだろうが、怖くなってすぐに停止したという。
さらに帰り際、レジで精算するとき、なぜかその部屋の入室人数が3人になっていたらしい。
店員も戸惑って訂正したが、あの部屋には何かいるのかも。
no.1168 ( 記入なし06/01/09 04:02 )
コンビニに車を置いてとなりの黒いベンツを見たら運転席に一瞬、額縁
に入った黒いリボンの肖像写真が見えた・・気がした。
良く見るとそんな物はなかったのだが、なんでそんな物が見えたのかブ
キミだ、コンビニに入って、しばらくして出てきたらベンツはすでに居
なかった。
no.1169 ( 記入なし06/01/09 04:25 )
先月加入したばかりの携帯電話を紛失しました。仕事上困るので、さっそく翌日に
金銭的安い新規登録で新しい電話に替わりました。
加入手続きをしてだいたい2時間くらいしたときでしょうか新規の電話が鳴りだしま
した。新しい番号は誰にもまだ連絡しておりません。しかし不思議なことにその番号
には見覚えがあったのです。 先日紛失したはずの私の電話番号でした。
私はぞっとして出ることが出来ませんでした。
なぜかと言うと電話をなくした場所は夜景を見に行った山頂公園のがけの下で昔、
レイプ死体遺棄事件があったところだったからです。
無くした場所がわかりながら探さなかったのもそういう理由からでした。
翌晩、友人達の電話番号を聞き直すため親友のワンルームを訪ねました。そこで
友人から奇妙なことを聞きました。 昨晩、私の前の電話番号に掛けたら女性が出
たそうです。 友人はてっきり私の彼女と思ってました。なぜかと言うと「あしたのよる
2人で家行くよ。」と言ったらしい・・・・・
no.1170 ( 記入なし06/01/10 19:34 )
北海道Y市の高校に通ってた頃の話です
私は親元を離れ、N寮に入っていました
入って直ぐ、先輩に「ここは出るよ」と話を聞き以下の説明をされました。
ちなみに、その寮は建物は古く、小さな病院みたいな作りでした。
(トイレなど水周りはタイル張り、床と壁はコンクリートっぽい物に緑の色塗り)
この寮が、まだ近くの会社の寮に使われていた頃、新入社員の人がいじめを苦に二階のトイレで
自殺したらしい、その時の恨みつらみを壁一面に書いてあり、その文字はまだ消してなくトイレ
閉鎖されたままだと言うのです。
確かに、二階の一番奥にトイレがあり入り口は南京錠で閉ざされていました。
私自身、幽霊を信じていなかったし先輩の手前「物置に使ってるから、鍵を付けてるだけなんじゃないですか」と説明し、ドアをがたがたと揺らしました。
4月のその時にしてはとても寒かったのですが、北海道だし、建物の作り上こうなのだろうと納得しましたが・・・
しばらく何事も無く過ごしていました。
8月に入り寮の管理人が急に変りました。新しい管理人は年配のおじさんでした。
引継ぎも落ち着き、管理人が二階の物置を掃除すると言い出しました。
もちろん、そこはあのトイレなので先輩や同級生もみんな嫌がり手伝いませんでしたが
私は信じてないので、立候補しました。
その時が来て、鍵を開けてドアを横にスライドすると長い間、開けていなかったのか
開けた瞬間に、「ぶわん」と中から風が出ていき、その後中に空気が流れ込んだような感覚に教われました。
no.1171 ( 記入なし06/01/10 19:41 )
中は薄暗く、光があたらないのか8月にしては、ひんやりとして気持ちが良かったです。
3個の個室と、4個の小便器、その間という間に荷物がおいてありました。
それを廊下に運び出しているうちに、すっかり怖い話の事など忘れていましたし
気づけば怖がってた人たちも手伝っていました。もちろん壁にも、落書きなどありませんでした。
荷出しも終わりに近づき、最後の個室に取り掛かっていた時
私は「おわぁ」という声を出してしまいました
個室の壁に文字が見えたのです。荷物を全部出して確認すると
「OOのせいで死ななきゃならない」「OOを呪ってやる」「先に行ってるからな」
等、たくさんの恨みつらみが書いてあり、本人の名前と年月日が書いてあったのです。
S A 昭和56年9月21日 OOを怨んで
さすがに飛び上がってしまいましたが、一週間もすると怖さも薄れ、面白おかしく人に話していました。
すっかり出来事も忘れた頃、(私は二階の部屋を友人と二人で使っていました)
夕方?6時ごろ一階の部屋から
「やっべ〜」というなんだか泣きそうな声が聞こえました
なんだろうと思い窓を開けようとそっち側に近づくと、窓の外から誰か覗いていたのです。
(北海道は二重サッシで、一枚あけていました)
脅かす風でもなく、睨んでる風でもなく、ただ見ていました。
びっくりして、固まっている友人を引きずって外に出ました。
一階の人に聞くと、「窓の外に気配を感じ外を見ると、二階を覗いている人がいる
でも、よく考えると胴だけが長い」そこで思考能力は限界になり
「やっべ〜」と言う悲痛な叫びが出たようです。
あまり怖くないですね
no.1172 ( 記入なし06/01/10 19:42 )
友達から聞いた話ね。
おじいちゃんが未だ若い頃の話だけど、朝暗いうちに漁へ出かけると、途中で
何か細長い物がぷかぷか浮かんでたんだって。
何となく、人っぽい感じだったんで、板切れでも持たせてやろうかと思って、
船をそっちへ近づけたのね。
(今は違うけど、昔は水死体を見つけたら、戸板をその側へ入れてやって
「今は漁の行きがけだから拾ってやれん。帰りに居ったら拾ってやる」と
言い聞かせて行ったんだって。行きがけに水死体を見つけると大漁になる事が
多いから、それで水死体の事をエビス様って呼んだらしいの)
ところが、近づいて見るとそれは人じゃなくて、人のような形と大きさをした
褐色のクラゲだったから、(なあんだ)と思って行き過ぎようとしたら、いきなり
真ん中辺に白っぽい人の顔がすうっと浮かんで来て、そいつがおじいちゃんの顔を
見て、ニマッ…と笑い、そのまま海へ潜って行ったんだって。
恐くなったおじいちゃんは、船に積んであったお酒を、海にも船の上にも撒いて
一目散に港へ帰り、それから1週間漁に出かけなかったって。
no.1173 ( 記入なし06/01/10 20:28 )
池袋のとあるホテルはマジでヤバス
仲間3人と、ある理由で同じ部屋に居たんだけど
夜中の3時くらいに廊下から男女が言い争ってる声が…うっせえな!と思いドア開けたんだけど
誰も居ない。
おかしいな?と思ったが気分転換で「エロビ観るか」ってTVつけたらスイッチが切れたり入ったり
これってやっぱアレだろ?
東口のとある公園そばの安いホテルとだけ晒します。
no.1174 ( 記入なし06/01/10 20:32 )
仕事休みの日、昼過ぎまでゴロゴロしてたらピンポン鳴ったので
ドアに向かったら子供の声で「宅配便でーす」なんて言ってるのが聞こえる。
一応ドアスコープ越しに見たら近所では見かけない女の子が2人。
あんまりピンポンしつこいんで、ドアちょっと開けて「昨日遅くまで仕事だったの。
お願いだから休ませてくれる? 遊ぶならあっちに公園あるよ」と言ったら
一応「分かった」って帰って行ったんだけど・・・
それからちょっとしてまたピンポン連打。
無視してたらくすくす笑いながら郵便受け覗き込んで「いないんですか〜?いるんでしょ〜?出てきて下さーい」
・・・と。
どっかのウチにたまたま遊びに来てた子達だったんだろうけど、チョト恐かった。
襲撃があったのはこの日だけだったけど、人をダシにして遊ぶなよ・・・(TAT)
no.1175 ( 記入なし06/01/12 20:02 )
夜、残業して帰宅したら隣のアパートの階段のところに妙な人影(女性)が。
違和感を感じつつ、その階段下の駐輪スペースに自転車を置きふと横を見ると、紙袋みたいなものを
頭にかぶった30前後の女性が、階段の昇り口まで降りてきていてこっちをじろーっと睨んでいた。
怖くなって、すぐ近所にあるコンビニに避難して30分ほど時間をつぶして恐る恐る帰ってきたら、
まだ隣のアパートの階段の2階の降り口にその女性が立っていた。
さすがに今度は明日も仕事があるからと、意を決して直ぐ横の自分の部屋の玄関にかけこんだが。
窓からこっそり様子を窺っていたら、1時過ぎくらいには居なくなっていたので一安心した。
後で不動産屋のおっちゃんに聞いたところによると、その女性は隣のアパートで引きこもった挙句、監視されてると
窓にダンボールとかを貼り付けたり(部屋は真っ暗だったそうだ)奇行が激しくなってきたので、家族に引き取って
もらった人だったらしい。
no.1176 ( 記入なし06/01/12 20:06 )
俺の父が20年以上前に体験した話なんですが、母が
おなかに俺を妊娠している時に父の身の回りで変なことが
起きるようになったそうです。例えば歩いているときに
上から植木鉢が落ちてきたり、(近くに人が居て教えて
くれてギリギリで当たらなかった)父が家に一人なのに
階段を上り下りする音や誰も居ないのに人の気配を感じ
たり人の影があったり。父は母が妊娠中だったので余計な
心配をさせないように内緒にしていたそうです。
立て続けに身の回りで不審なことが起きるので知り合い
の方にお祓いをしてくれるところを紹介してもらい、
今まであったことを全部話したそうです。そこで父はこう
言われたそうです。『生霊ですね。あなたの家は結婚、
妊娠と良い事が起きてるのであなたを妬んで出てしまった
生霊です。その生霊はあなた達夫婦が知っている人です、
けど本人は自分が生霊として出てしまっていることは
知りません。その生霊が誰だかわかりますが、教えます
か?』と、けど父は身近な人が生霊と聞いたので父は誰が
生霊として出ていたのか教えてもらはないことにしたそう
です。
お祓いをしてもらいその後父の周りで不審なことはなくなったそうです。
no.1177 ( 記入なし06/01/12 20:26 )
二年くらい前の話なんだけど、友達と夜中にコンビニに行こうとしてて自転車で走ってたんだよ。
そしたら前方の路肩にワンボックスが停まってるのが見えて、スーツ着た男が
歩道に向かって何か怒鳴り付けてからそのワンボックスに乗り込んで発進していった。
おれが住んでるところは軽く治安が悪いからあんまり気にもせずに通り過ぎようとしたんだけど
その時に視界に変なものがチラッと入ったから思わず振り向いた。
見るとちょうどスーツの男が怒鳴り付けた場所に痩せた細いお婆さんがきちんと正座してて
手を合わせて何かボソボソ呟いてたんだよ。
なんだか物凄く気持ち悪かったよ。結局なんなのかはよくわかんないけど。
no.1178 ( 記入なし06/01/13 18:42 )
このスレカキコに対してのレスないなw
no.1179 ( 記入なし06/01/13 18:43 )
夜中の二時頃、コンビニに行く途中ですれ違った爺さん。
誰も乗ってない車椅子を押してた。今思えば杖の代わりにして
散歩でもしてたんだろうけど、マジ怖かった。
no.1180 ( 記入なし06/01/13 18:45 )
1年くらい前の秋に飲み会があって、その帰り道の話。
まあどこの町でもあるだろうけど、
普通の一般道なのに常に80キロ以上で車がビュンビュン飛ばしてる道路ってあるだろ?
俺の住んでるアパートってそういう国道沿いにあるから、まるで高速道路の端を歩くような気分で
ガードレールも無い歩道を一人で歩いてたんだよ。
そしてあと10分くらい歩けば自宅、って所で向こうから小柄で白髪のおっさんが歩いてきた。
まあ夜中の2時くらいの真夜中に面識が無い人間と挨拶するのもアレだから、
目も合わせないで俺もおっさんもスタスタすれ違い方向に歩いていったわけよ。
で、お互いの距離があと10mって所で突然おっさんが「ンアァー」って馬鹿でかい奇声を上げて
車がビュンビュン走ってる国道に走り込んだ。
決して善人を気取るつもりは無いけど、俺はびっくりして反射的におっさんの手を掴んで引っ張り戻したわけ。
一瞬でもよそ見なんかしてたら、確実にあのおっさんは車にはねられて死んだと断言できるタイミングだった。
もう俺は心臓バクバク、でも何故かおっさんはヘラヘラ笑ってる。
俺はさすがにカチンと来て「何考えてんですか、こんなことしたら死にますよ」と言ってやった。
で、そのおっさんの返答。
「いやぁ、俺こないだ家族に逃げられてよ〜…。単身赴任中によ〜、女房に男作られて…。
それで人間信用できなくなっちまってさ〜。兄ちゃん(※俺のこと)が俺を助けるかどうか試してみたくてよ〜」
その後も何か話してたみたいだけど速攻で逃げ出した。
正直かなりガクブルしたんで何所であったかとかは言えないけど実話。
no.1181 ( 記入なし06/01/13 18:51 )
実際に見たんだが、某大臣宅前に警官が立ち番していたら、
酔っ払いが20分程、「オマワリの人殺し!」とその警官を
罵り叫んでいた。しかも午前零時頃の話である。
寝静まった近所の住民が一斉に起き出してしまった。
no.1182 ( 記入なし06/01/13 18:52 )
そういえば高校生の時
学校から帰る途中に不自然に顔が隠れた女の子が居たな
べつに怖くは無かったんだけど不思議だった
no.1183 ( 記入なし06/01/13 18:55 )
お盆に千葉の九十九里に向う田舎道(周りは田んぼだらけ)を
真夜中に車で走っていたんだけど、白い着物を着た女性らしき
人が歩いていました。何かの風習なのかな?
no.1184 ( 記入なし06/01/13 18:55 )
この間夜の住宅街を急いでいたら、ちっちゃいおばあちゃんが歩いてきて、
「〜〜〜そうだから・・・〜〜〜・・・に気をつけなさいよ・・・あら・・!〜〜〜に〜〜〜なんか〜〜して、だめじゃないの・・・」
(〜〜の部分は何を言っているのか聞き取れない)
と話しかけてきた。怖かったしちょっとむかついたので「あ、そうですか」
と言ってダッシュで逃げた。あれは頭がおかしいおばあちゃんだったのか、
それとも普通にしゃべっていたのを漏れが勘違いしたのか、いずれにせよ
深夜のおばあちゃんは嫌だな。
no.1185 ( 記入なし06/01/13 19:01 )
厨房の頃深夜俳徊中に公園でバーコードオッサンが一人でブランコこいでました!
テラコワス
no.1186 ( 記入なし06/01/13 19:02 )
歳末とかの火災予防週間になると、夜もふけたころ、
あの鐘を鳴らして消防車が巡回するけど、あの消防車って、
人でない何者かが運転してそうで怖い。家の前通り過ぎる時に
こっそり窓から覗くと、なんか見ちゃいけない物見てる気がする。
実際は普通に消防士さんが乗ってるだけなんだけど。
no.1187 ( 記入なし06/01/13 19:04 )
中国には戸籍の無い人間「黒孩子」が存在する。
その人数は、実に韓国の人口に匹敵する数だという。
実際には存在しないはずの人間が何千万人もいる国・・・
これだけでも、ものすごい恐怖を感じる。
no.1188 ( 記入なし06/01/13 19:34 )
中国人の友人に聞いた実話。
中国にはよく道端で「あなたの将来占いますよ〜」なんてキャッチしてる詐欺師みたいなやつがいる。
ある時その友達が女の子3人位で街を歩いていると、一人の占いおじいさんが「ちょっとまって、ちょっとまって」
って声かけてきたらしい。
当然みんな無視してたらしいのだが、ずっとついてくる。
それでも無視してたら、おじいさんがそのうちの一人にむかって、 「あなた一か月後誕生日でしょ??」と言った。
実際、そのうちの一人がちょうど一か月後に誕生日だったらしく、驚いて立ち止まって、「なんでわかるの?」と気持ち悪がって占いをやってもらう事にしたらしい。
そのおじいさんは、その子に「あなた、その一か月後の誕生日には十分きをつけて。死の相が出ている。それを乗り越えれば大丈夫」と助言をしたらしい。
そしてその一か月後、助言むなしくその子は自宅のマンションから飛び降りて死んでしまった。
相当怖かったとその友達が言ってた。
原因は恋愛の悩みだろうと推測されているらしい。
no.1189 ( 記入なし06/01/13 19:37 )
世田谷だけど、
たまに宮澤家が見える道通るけど本当なんとも言えない気分になる
出来るだけ見ないようにするけど去年見た時はかなりシダが繁ってて不気味だったな
早く犯人が見つかれば成仏するだろうに
家を見てしまった時は、二階の窓からソワソワした母親が見てるような気がしてならない
みんな怖い思いしたんだろうな
no.1190 ( 記入なし06/01/13 19:48 )
俺の部屋、4階立ての3階なんだけど
よく上の階から水が漏ってくる。
一回目は5年くらい前でそのときは上の階の人が風呂の水出しっぱなしなのが原因だった。
そして去年の台風の時にまた水が漏ってきた。
初めは台風で水が漏っているのかな?と思っていたが、4階立て3階なので
それはありえないと思い、また上の階の人が水出しっぱなしにしているのか
と思って、台風でめんどくさいので大家に電話で連絡した。
そしたら大家は「今は上の階は誰もいませんが」って言われた。
一応調べてもらったけど、水道管とかは異常なかった。
一体あれは何だったんだろう……
この前テレビでやってた「ほの暗い水の底から」
を見てちょっと思い出した。
no.1191 ( 記入なし06/01/13 20:02 )
夜の川の音
近所の川に堰堤があって、そこで落ちる川の水の音が
無性に怖かった。
no.1192 ( 記入なし06/01/14 22:07 )
『隙間』が今でもダメ
・カーテンとカーテンの間の隙間
・ドアや窓が半開きのときの隙間
・押入れの襖の隙間
誰かに見られていそうで、そこに誰かの顔があったりしそうで怖い
no.1193 ( 記入なし06/01/14 22:09 )
幼稚園の時、友達の家の階段の所の壁に飾ってあった
モナリザの絵。常にこっちを見ている気がして恐かった('A`)
あまりに恐いので、遊びに行くたびに友達のお母さんに外すように頼んでいた。
後、別の友達の家の和室が使用禁止だった。
「なんで?」と聞いたら
「ああ、なんか居るから。」
と言われた((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
no.1194 ( 記入なし06/01/14 22:23 )
「しばらくお待ちください」の画面。
青い背景の上に白色で謎の紋様が描かれてるやつ。
滅多にお目にかかれないが、今でも怖い。
no.1195 ( 記入なし06/01/14 22:23 )
「この電話は、現在使われておりません・・」
のアナウンスが怖かった。女の人の声が機械的で。
no.1196 ( 記入なし06/01/14 22:24 )
小さい頃、じいちゃん家が怖かった。
(ばあちゃんの葬式が行われた部屋が特に。)
古い木造で、誰も居ないのに時々ミシッというのも怖かった。
先祖代々の思いが溜まって、よどんでいるような雰囲気が苦手だった。
家のにおいも、先祖が着ていた服と体臭を彷彿とさせて怖かった。
昔語りの好きなじいちゃんが、昭和の初めに家の前で撮った白黒写真を
見せてくれたんだが、家はほぼ当時のままなのに、
写っている人々が今はもう死んでしまって居ないと説明され、
とにかく怖くてたまらなかった。
no.1197 ( 記入なし06/01/14 22:25 )
果心居士(かしんこじ)とは、室町時代末期に登場した幻術師。生没年不詳。
七宝行者とも呼ばれる。織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、松永久秀らの前で
愚軒の雑話集『義残後覚』には、筑後の生まれとある。大和の興福寺に僧籍
を置きながら、外法による幻術に長じたために興福寺を破門されたという。そ
の後、織田信長の家臣になりたいという思惑があったらしく、信長の前で幻術
を披露して信長から賞賛されたが、仕官は許されなかったと言われている。
また、江戸時代の柏崎永以の随筆『古老茶話』によると、慶長17年(1612年)7月
に、因心居士というものが駿府で徳川家康の御前に出たという。家康は既知の
相手で、「いくつになるぞ」と尋ねたところ、居士は88歳と答えた。この人物が果
心居士であれば、1524年の生まれということになる。また、小泉八雲の『日本雑
記』に『果心居士の話』があり、果心居士が絵の中から船を呼び出し、船に乗り
込むとそのまま絵の中に消えていったという。
no.1198 ( 記入なし06/01/14 22:44 )
伝えられる果心居士の幻術は、次のようなものである。
猿沢の池の水面に笹の葉を放り投げると、たちまち笹の葉が魚になって泳ぎ出した。
上の術を信用しない男の歯を楊枝でひとなですると、歯が抜け落ちんばかりにぶら下がった。
松永久秀とはとくに親交があり、久秀が「幾度も戦場の修羅場をくぐってきた自分に恐ろしい
思いをさせることができるか」と挑んだところ、数年前に死んだ久秀の妻の幻影を出現させ、
震え上がらせた。
豊臣秀吉に召されとき、果心居士は秀吉がだれにも言ったことのない過去の行いを暴いたため
に不興を買い、捕らえられて磔に処された。しかし、このとき果心居士は鼠に姿を変えて脱出し、
それを鳶がくわえてどこかに飛び去ったともいう。
なお、これらは全て奇術の原理で説明できるものであり、「果心居士=奇術師」という説もある。
正体不明の人物で、実在そのものも疑われている。一方、それだけに、戦国の乱世を渡り歩い
た仙人あるいは忍者のような不思議な人物として、後世の伝奇物語などにしばしば登場する。
代表的なものに、司馬遼太郎『果心居士の幻術』(この話ではインドのバラモンの妖術に長け
ていたということになっている)、山田風太郎『伊賀忍法帖』、『忍法剣士伝』などがある。
no.1199 ( 記入なし06/01/14 22:44 )
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