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新・ぢゃんく屋日記

Author:th1969 ( Profile )

 ■ 2007/06/19 (火) ぐーだぐだと


今の会社はいいかげんである。

今月も給与は給料日に所定どおり振り込まれたが、明細は送ってこない。
いいかげん郵送でかまわないと思うのだが、I氏は直接会って渡すことに拘る。
こちらの帰りは定時でも遅く、最近は残業の日も多いので、会社に顔を出す事はもちろんのこと通勤経路上で落ち合うことも難しいのだが、それでも構わないから都合のいい日に連絡をくれと言ってくる。
理由は明白で、要するに僕がどういう状況で働いているかを、僕本人の口から聞きたいからなのだが、正直今の会社に対する信用度は相変わらずゼロに近いので、仕事が(比較的)順調にいっている限りは「Leave Me Alone(ほっといてくれ)」である。
もっとも先週の日記に書いたとおり、順調かどうかはこのところ微妙な状況になりつつあるのだが、もちろんそんなことはI氏には言えるわけがない。

長い通勤時間を使って、最近はいろいろと社会格差関係の本を読んでいる。
その中にあった一節で、失業で社会的に躓いた人間が「社会復帰」するには、まず当面の生活を何とかする手立てと、そこから将来に踏み出す二つのプロセスが必要だが、この二つの要件は互いがトレードオフ(相反する)の関係にある、というのを読んでふと思った。
ここの日記でも無職から脱した人は少なくはないが、二つ目のプロセスをクリアして本当の意味で「社会復帰」できた人は、意外と少数なのではなかろうか?
言い換えると、その日暮らしまでは何とかできても、未来の見える暮らしにたどり着いた人は、そういないのではないか、ということ。 そしてその日暮らしが何とかできる人にとって、未来の見える暮らしにたどりつくことは、相反するプロセスであるが故に無職である頃よりも困難なのではないだろうか。
これは無職からフリーターやワーキングプアに「昇格」するのはそう困難ではないが(もちろん個人差はある)、正社員といった安定した雇用層にたどり着くのが世代を問わず困難であることとも一致する。
本来なら、失業保険等で「その日暮らし」をしのいでいる間に、再就職を決めて「社会復帰」するのが、近代国家といわれる国でのセオリーであるはずなのだが、日本においてはセーフティネットの「需要」が拡大しているにも係わらず、「市場経済至上主義」政治家や「利益拡大主義」の経済界、「既得権益保護」官僚によってその網が小さいザル網になってしまった結果、このような状況に陥り無職やフリーターの「社会復帰」を困難にしているといえる。
僕等の未来は相変わらず明るくはない。

ついでに書くと、僕個人の未来も決して明るくはない。
T氏からここ(派遣先の職場)は利益が上っていないので、来月以降どうなるかわからない、と言われた。
そのくせ新人を(T氏の代わりに? なら誰が仕事を統括するんだ?)入れるという話も持ち上がっていて、派遣先の会社でも判断にあぐねているようだ。
同僚で友人のS氏から聞いた話では、今の会社はかなりこの派遣先に「御執心」な様子で、多くの人を同じ会社の別の職場へ向かわせているらしい。 I氏やA氏にも派遣される前「君が尖兵になってくれ」という趣旨のことを言われたのだが、その尖兵の職場が仮に撤退となったらどうなるんだろう?
前みたく(派遣先のエゴで)尻拭いさせられるのはご免こうむる。
また「魔女裁判」にかけられて屈辱を味わうくらいなら、辞めた方がマシかもね。

‥‥未だにいること自体、臥薪嘗胆だと思っているけど。



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