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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2012/09/29 (土) いさぎよく・・・。


潔く生き、潔く死ぬ。


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記入なし クマのエサになれば、潔くね? (12/10/07 09:10)
ふわり 僕は死ぬとき「悔いなし」とつぶやけるだろうか、たいへんなんだろうけど、たのしそうなとこもあるのねえ (12/10/04 23:52)
ルポ 人生は生きる事が全てですが、個々人の世界観、価値観によって生き方は百人百様になってしまいますね。 死をどう許容するのかが重要ですが、それすら多様なのが人の心というものでしょう。 結局は自己満足出来るかどうか、それしかありません。 (12/09/30 12:09)
すぴ子 やまとさん、山の方に行くなら熊に気をつけてね。要熊対策。 (12/09/29 22:06)


 ■ 2012/09/29 (土) 徒然に


今日は9月29日。
栃木県宇都宮市に来ている。昨日からホテルに2泊の予定。
大型の台風が接近しているようです。歩き、野宿をしていると外界の情報が入ってこない。道の駅で少し情報を得る程度。

歩き、寝て、食べての生活。

丸二ヶ月が過ぎ、福島の南相馬市から始まったこの旅は、肉体の終焉が先か!?経済的な終焉が先か!?・・・なんだが、そんな事も気にならなくなっている。周りの人たち、時に警官や疑惑の目で見ている人たちは、「お金」に関して関心が強い。犯罪の90パーセント以上はお金に関することであり、その他は性に関することが多い。私は所有欲、性欲が極端に低下している状態だから、これといって犯罪に走ることはないし、そんなことをしたならば、魂に泥を塗ることになる。犯罪に走るくらいならば、この肉体を滅する方がよい。

う〜ん、気持ち的に楽な状態が続いている。
やはり、ストレスが無い分、それだけ心に余裕が生まれているのでしょうね。肉体的には厳しい事をしているが、魂的には喜ばしい状況なのでしょうね。
いつまで続けられるかは解からないが、このままの状況は楽しいものです。

明日、この宇都宮のホテルを出れば、宇都宮の「道の駅 ロマンチック村」に行き、台風の影響を考えながら一気に日光の山越えを行う予定。

旅を振り返り、体のメンテナンスの大切さを思い知ることがあった。
福島県を歩いている時に、マタズレを起こしかけた。この時には、ちょっと・・・失敗したな〜という思いに囚われた。マタズレを起こすと歩けなくなる。左足の内股の皮膚に炎症が起こり、歩く度にズボンが摺れて痛くなる。体の手入れ不足ですね。
これ以降、体を拭く時には、しっかりと拭いて、休む事にしている。そして、近頃では、道の駅の公衆トイレでもウォシュレットが完備されている所がある。そのような所では、用を足さなくとも御尻を洗う習慣が出来た。

このような旅を続けている限り、体の手入れはしっかりとしないと、体が資本と言う事を忘れると大変な自体を招く事になる。要らぬ時とお金を使い、真理的にもめげる事になりかねないからね。


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 ■ 2012/09/28 (金) 9月28日


栃木県宇都宮市に来ている。
栃木県に入って、8日間野宿をしてのホテルチェックイン。
早速、洗濯と入浴。
いや〜〜〜〜〜やっぱり大浴場を独占しての入浴!気持ちいいね〜!日本人を感じる!
体に付いた垢をしっかりと洗い流し、ゆっくりと入浴。
茨城県をトコトコと歩きながら横断し、栃木県に潜入(爆笑、道の駅を泊まり歩きながら、野宿を繰り返してのホテルチェックイン。まことに、此処までくるとは思わなかったね。
今日は9月28日。
大阪を出発したのが7月26日。丸2ヶ月を過ぎる。まだ生きている!?自分自身不思議なものです。8月のあの岩手のアップダウンの道を汗だくになりながら歩き回り、夜は夜で藪蚊に襲われながら寝れなくてね。世間様では熱中症という話題が満載でしたが、私は・・・熱中症・夏バテからも見放されているようだ。

ところで・・・一般のホテルのパソコンでは掲示板の閲覧は出来なくされているようだ。参った情報統制です。真に参ったものです。アホどもが・・・・(怒・・・!

歩いている(野宿を繰り返していると)と世間様の情報から隔絶されているので、一般情報は皆無に近い。何が起きているのかさっぱり解からない。それでもよい、自分自身が「今」という時を生きているからね。はひゃはっはっは・・・という感じ。

9月7日
9時過ぎ、多賀のホテルを出発。
今まで6号線を南下してきたが、今日からは245号線を南下。残暑が厳しい。太平洋を眺めながら南下。天気がよく、穏やかな海の表情をしている。自然の姿。静と動。静かな穏やかな表情と、荒れ狂った時の激しい表情。地球の先住民たちは、この表情を知っているが故に、自然との共生、循環思想を持っていたのではなかろうか。日本民族(大和・倭)、アメリカ大陸のインディオ、オーストラリアのアボリジニ、イヌイット・・・と、世界中の先住民たちは迫害、弾圧を受けている。唯一、政治的、経済的に発言権を持っている日本民族(大和・倭)も、半日種族が日本人に成りすまし、やりたい放題をしている。

昼過ぎ、東海村に入る。14時頃原子力科学館を見学。何かと話題になっている原子力。

夕方、今夜はどこに泊まるか!?と、考えていた。公園、トイレ、駅・・・と、色々と考えながら歩く。そして、閑静な住宅地に迷い込む。私のような形をした者が、夕方、閑静な住宅地に迷い込むと碌な事は無い。こんな時は一刻も早く近くの駅に辿り着き、大きな町に移動するに限る。一般住民の態度が豹変し、警察官のような尋問口調になる。お互いが不愉快な思いをする。

電車に乗り、ひとつ駅を移動した。
那珂湊駅。その駅から歩いて大洗町に行く。那珂港町と大洗町を繋ぐ海門橋を渡ったところに「巌船 一里塚ロードパーク」が有り、其処に屋根付きの休憩所があった。トイレで体を拭いて、着替え、休憩所で野宿。
夜釣りに来ている人が多い。

9月8日
「茨城百景 大貫海岸」を見下ろしながら記す。
昨夜は大洗町に入った所にある休憩所で野宿。いつもの事ながら、難儀な事よ。
大貫海岸では、9月に入っても残る暑さの為に、海水客がわりかし多く、海水浴を楽しんでいる。この辺まで来ると311の災害は軽い方だろう。

犬を散歩させている若い女性と話した。
311の時の事を伺ったが、その女性は、昨年、引っ越してきたばかりで解からないとの事。しかし、友人がボランティアで被災地に行ったことを話してくれた。女性と話していると、軽自動車に止まり、男性が降りてきて、私たちのそばで聞いている。こんな場所で、私のような不審者と若い女性が立ち話をしていると、どこから見ても危ない雰囲気を醸し出しているのでしょうね。色々と事件が起きていますからね。地元の人が、護衛の為に立ち寄っていると思う。景色を見る振りをして、聞き耳を立てている。震災の話し、放射能の話となるにつれて、小難しい話により、ナンパ等とは次元が異なる世界だということに気づき、立ち去る。しかし、地元の人も偉いものです。自然とそのような行動が取れるのですからね。今の世がどれだけすさんできているかを物語るものです。

女性に礼を言って別れ、私は歩き始める。
茨城に入ってから51号線を歩いている。
それにしても、この残暑はいったいどうしたことか!?しかし、野宿をしていると、夜の冷え込みは徐々に厳しくなっているのが解かる。夜は冬用のコートを羽織って寝ている。まだ、寝袋は出してはいない。
51号線を歩いていて、気分的に気が変わったのか、354号線に入り、「道の駅 たまつくり」を目指す。
野を越え山を越えて歩く。歩く、歩く。ひたすら歩く。
まだ日があるうちに、「たまつくり」に通じる道に出た。ひたすら歩くが、徐々に闇は強くなる。途中で真っ暗になり、道は狭いし、交通量は多い。危険を感じ、途中に有る自販機のそばの休憩所で休む(ちょうど、屋根付きのベンチがあった)。そこで着替え、寝る用意。
自販機には時折買いに来る客がいる。スキンヘッドの若者が来たので、「道の駅 たまつくり」までの距離を聞いた。その若者は丁寧に答えてくれた。ありがたいことです。
休憩所には多くの蜘蛛の巣が張り巡らされていて、蚊が居なかった。
比較的ゆっくりと休むことが出来る。

9月9日
朝の天気は晴れ。
いざ、たまつくりに向けて休憩所を出発。どのような駅なのか!?
8時過ぎ、「道の駅 たまつくり」に着く。此処は、どのような雰囲気(波動)を持った駅なのか!?

多目的トイレで体をよく拭き、着替える。
天気はよい。着ていた衣服を水洗いして、バックと荷物に上において干した。乾きが早ければ、もう一着水洗いして干そうと思う。
この駅の雰囲気(波動)はどのようなものなのか!?しっかりと観察する。四ツ倉の様な事に成れば、早々に退散する。しかし、車中泊している方も追いし、敷地が広いから大丈夫そうだ。しかし、楽観視するのは止めている。経験上、楽観視は厳に慎まなければ無ければならない。気分的に落ちこむからね。

人生塞翁が馬! なんとかなるさ!

マンウオッチング。色々な人がいる。

早々、今日は髪を洗った。手洗い用の石鹸がトイレにつしているから、それでごしごしと洗った。気持ちよい。
このような生活をしていると、外部情報に接することが極端に少なくなった。世間ではどのような動きになっているのか解からないし、解かろうとも思わない。

「矢印」
「道の駅 たまつくり」のベンチで横になっていると、うとうととしてはっと目覚めた。目の前には青い空に白い雲。その雲の形に意識が向いた。「矢印」の形をしている。その時、本当に目覚めた。すると、雲の形は、私が視認したことを確認するように消えていった。う〜ん!?この事が何を意味することなのか!?雲の矢印は、私が進もうと考えている方向ではなく、逆の方向を示している。私は、たまつくりから355号線に入り、潮来の駅に行くつもりであった。そして、千葉に入るつもりであったが、雲の矢印の方向は、霞ヶ浦大橋の方向、つまり、茨城県横断のコースを取っている。私のちんけな表在の意識より、目には見えない世界の指示に従う事が正しい道という事を知っている。私は、茨城県横断コースを取った。

ここたまつくりは気持ちがよい駅です。
清掃作業のおばちゃんと話したが、気持ちよく受け答えをしてくれた。まあ〜最初の頃の私を観察する目には、色々な意味が含まれているが、私と話し、私の行動の意味を知るにつれて、共感してくれた。

9月10日
「道の駅 たまつくり」で目覚める。
今日も暑くなりそうだ。さてさて・・・といっても、今日、明日は此処で休養するつもり。354号線を進むにしても、公園、道の駅、ホテルを目安にすればよい。
朝、地元のおじさんと話す。
「どこから来たの?」から始まり、私が来た目的を話し、311の時の状況を伺う。311の災害、放射能と。しかし、方言が混じって、なかなか聞きとりにくい。(苦笑
しかし、言わんとしている事は理解できる。多くの人にホームレスのように見られ、白眼視されているが、中には私の行動を理解してくれ、「大変だけど、頑張って」と応援してくれる人もいる。初めの会話では、「大変だ!終わったら、どうするの!?」と、疑問視する人もいるが、話が進むにつれて、「男として生まれてきて、やりたい事を、夢を追いかける事が出来ずに・・・」と、言葉を詰まらせる男性もいる。私の話を聞いて、あこがれるが、「気持ちはわかる。しかし俺には出来ない」という方がほとんどである。多くの柵に縛られているから仕方が無いことだがね。

でもね、応援してくれてもらえるだけで、意識の世界ではつながりやすくなるから・・・。ありがたいことです。

徒然に記す。

「何もすることが無いのではなく、積極的に何もしない時間の心地よさ」

ストレスフリーに近い状態である。
この状態は、真に心が軽くなる。気力が沸いて来る。肉体的には過酷な状況下に置かれていても、あたかも、気力の鎧を纏ってるが如く、益々元気になってくる。人という生き物は不思議な生き物です。


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 ■ 2012/09/19 (水) 9月19日


古河のホテルで休養がてら溜まりに溜まっている旅日記を入力している。

9月3日
真性ホームレスへ一直線。
昨夜は高架の下で寝た。どこでも好きなだけ練れる能力が必要なのかな!?
岩手、宮城、福島の北側と福島の南側の人の態度は異なるように感じる。今後、茨城に向かうが、首都圏に近づくに連れて、荒廃の度も増してくるのでしょうね。これからは、毎日がホテル泊まりになるのかな!?
昨夜から空模様が猫の目の如く変わる。晴れたり曇ったり、雨降ったりと・・・!?

いわき市の市議選が行われるようだ。
立候補者は、「子供たちのために、検査体制を確立し、万が一に備える」というようなことを言っている。あほか!?なにあほなことを言っているのか!?子供たちの事を考えるならば、避難させろ!と言いたい。避難先を考えるのがあんたらの仕事ではないか!?真に言葉を気軽に使い分ける政治家たちです。まあ〜政治家は舌のスペアーをいくつも持っているし、もっていなければ政治家には成れませんからね。

立候補者たちにお聞きしたい!
「311後の貴方達及び、貴方のご家族はどのような行動をとりましたか!?」と。

9月4日
いわき泉駅のホテルを9時30分ごろ出発。
今日茨城県に入る予定。とことこと歩きながら、また休みながら河川敷の公園に着いた。ここで小休止。ここで、地元の男性に声をかけられた。しゃれたサイクリング車に乗った私より年上の男性。「どこから来たの?」。私は私の目的を話すと、男性は色々と話してくれた。その男性は音楽関係の仕事をしていたらしく、美空ひばりから矢沢永吉までの話をしてくれた。ただ・・・私の話を聞くことはせずに、一人でしゃべっている。よほど音楽関係の話がすきなのだろう。
311の事を伺うと、地震の時には動けなかった。動く事が出来なかったとの事。津波もこの公園まで来たが、太平洋側に比べて被害は軽微だったとの事。ただ、補償問題でこじれているようだ。この問題はどこの地域でもあるようだ。被害が警備であるがゆえに、他の地域からの避難者が集まり、その上、意図的な避難者に見せかけた人たちも集まってきている。この事は、安達でもいわきの四ツ倉でも聞いている事。利に絡んだ集団の動きですね。

14過ぎに勿来駅に着く。
勿来(なこそ)と読む。東北地方には、このような地名が多い。アイヌ由来か、大陸由来か!?

今日は茨城には入る予定であったが、何かに誘われるが如く、勿来の関によった。
勿来の関公園の下のトイレで体を拭き、着替える。トイレの構造が、観光地にふさわしく、左右にトイレがあり、中央は通り抜けの通路になっており、両側に長いすが備えられている。時折車が通るだけであり、のんびりできそうだ。
此処は福島県と茨城県の県境に当たる。
暇つぶしに、汗をかかない様にゆっくりと勿来公園まで歩いていった。すると、屋根付きの休憩所があった。今晩は此処で泊まろう。此処ならば、誰も文句は言うまい。下のトイレに置いていた荷物を取りに行き、休憩所でのんびりと夜を待った。

夕方、遠くでゴロゴロという音が鳴っていたが、時を経るに従い近づいてきた。雨も降ってきた。雷雨。天気予報では、上空の気圧配置が不安定となり、集中豪雨が所々で発生しているとの事。厳しい残暑と水不足だったから、恵みの雨となれば良いのだがね。
それにしても、此処で見る天の演劇は素晴らしい物である。迫力が違う。雷鳴、稲光、雨と、臨場感が違う。
夜中にトイレに立ち、他の休憩所に床机型の休憩所があり、しばらく其処で休んだ。うとうととして、目覚めると猫がいた。このたびで初めての猫との接触。荷物に置いてある休憩所に戻ってくると、猫は付いて来た。リックに「秋刀魚の蒲焼」一缶があるのを思い出し、あげた。お腹が空いていたのでしょうね、ばくばくと食べている。人懐っこい猫だから、捨てられたのでしょうね。明け方、私の手のひらから水を飲んだ。こんなことは初めての体験です。何だから嬉しい・・・。

9月5日
勿来の関公園の休憩所で目覚める。
少し上り、勿来の関公園まで行く。自販機が有った。
朝、野良猫君が隣でのんびりとしている。懐かれた様だ。う〜ん!?どうしよう・・・。地理が分からないから、どこに、どのくらい行けばコンビニがあるかが分からない。しばらく考えていると、勿来の関公園のトイレで何かやっている男性がいる。男性の所に行き、コンビニの場所と距離を聞いた。その男性は、トイレに集まる「蛾」を捕まえては写真を撮っている。
私に対して「蛾」は好きですか?という問いかけに対して、私は「あまり好きではないという答え。私は、「学者さんですか!?」と尋ねると、学者になりたかったですね・・・という答え。色々と話したが、その男性の車でコンビニまで載せてもらい、鶏肉の入った弁当を買った。
野良君に鶏肉をあげた。
温めたので熱かった様だ。しかし、食べてくれた。その後、犬が来たので追っ払った。
私は立たなくてはならない。「野良君よ、達者でな!元気に生きろ!」と、声を掛けてたった。直ぐに福島県と茨城県の県境。
歩きに歩き、北茨城市を歩き抜き、高萩市に入った。サイクリングしている若者からスポーツドリンクをいただいた。ありがたいことです。
現在、17時ごろ。
高萩駅に着く。コンビニでビール、弁当、ちょっとしたあてを買い高萩駅の横のバス待合ベンチに居つく。この頃になると、足の裏の皮の如く、面の皮も厚くなり、一々許可を取るという事をすることなく、眠れる場所を探す事を覚えた。これらも、この歪んだ、出鱈目な狂った社会の教えですね。悲しい事です。

9月6日
高萩駅のバス待合ベンチで目覚める。
高萩駅近くに野良ちゃんたちがいた。やせ細っていた。悲しくなる。持ち合わせの缶詰が無かったし野良ちゃんたちも警戒していて、私に近づかなかった。

「命」とは・・・!?
この物質世界に生まれてきた「命」は、「命」の続く限り生きようとするのは当たり前です。食べる、排泄する、子孫を残す。この当り前の事を、人類の身勝手な思考により閉ざされている動植物(命)が如何に多いことか!?その反面、自然を大切にしよう、命を大切にしようというスローガンが叫ばれている。この矛盾に気がついていない。
行け行けドンドンの直線思考により、支配、コントロール出来るものは大切にし、そうでないものは排除しようとする意識。地球先住民の一種族である日本民族(大和・倭)が一刻も早く目覚めることにより、意識の共振・共鳴を起こして循環思想に帰るべきです。

人類は大きな勘違いをしている!
このことも支配階級には通じないことですが・・・。

高萩駅を出発し、しばらく歩いていると海岸についた。
そこで犬を散歩している男性と話をした。私が来た目的を話し、311当事の事を伺うと、高萩は地震、津波の被害は大きくは無かったとのこと。ただ、津波が川を逆流して、多少の被害を出したとの事。股、放射能に関しては、問題の時期には全ての人がマスクをしていたが、1年も過ぎるとしなくなったとの事。「慣れですね・・・」と寂しそうに呟いた。政治家・御用学者の発言、マスコミの情報による誘導・・・。
私はお礼を言って分かれた。

重い足を引きづりながら、歩きに歩き、多賀駅に着いた。歩いている途中のコンビニの公衆電話でホテルの予約を取った。多賀駅で少し休んでいると、空模様が怪しくなってきた。
雨が降りそうだ。雨が降る前にチェックインしようとホテルを目指した。

歩くという行為。
この行為を続けることは非常に辛いことです。朝から晩まで歩く。時には夜どうし歩く事になる。歩き続けるということは辛いことです。足裏のマメが潰れても歩く事をする。歩かざるを得ない。肉体的には辛い事ですが、止めようとは思わない。巣穴を処分して飛び出したのだから、帰る所は無い。進むだけ!
しかし、今の気分は執着がなくなっている。肉体的には辛い事だが、心には執着が無くなり、拘束するものが無い分、自由で居られる。何物にも変えがたいものです。


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 ■ 2012/09/18 (火) 思いつき


スレッドが見れないから、こちらで情報を流す。
こちらを見ていたならば、拡散願いたい。

遠い記憶・前世以下の約束 http://farmemory.exblog.jp/16819074/

次元の変化を確認されている。
私自身は、私自身の肉体で感じている。このことは、紛れもない事実です。より多くの方が、この事実に対して認識することにより、現在、尖閣諸島等の日本と中国の紛争により、意識を逸らそうとする動きに牽制をする事が出来るのではないかと思う。
半島の猟犬を使い、中国のロボットを使った動きを牽制する必要があります。
心ある日本と中国の方が懸念している事態が起こされようとしているのです。牽制する為にも、心ある日本民族と漢民族の意識をあわせることにより、より良い事態の推移を願うものです。

決して踊らされてはなりません。

半島の猟犬どもはほっとけば自滅すると思う。
半島の問題は、半島の心ある人たちに任せておけばよいと思う。

In Deep http://oka-jp.seesaa.net/article/292767621.html

えぐいつぶやき http://ameblo.jp/nabesun/entry-11357876305.html


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 ■ 2012/09/18 (火) 9月18日


今日、茨城県を横断した。
太平洋側の51号線を右に折れて354号線に入り、霞ヶ浦の「道の駅 たまつくり」で泊まり、たまつくりで目には見えない世界からのシグナルを得て、354号線をそのまま進むことになり、今日埼玉に抜けた。と、いても、埼玉へは間違いで行ってしまっただけ。引返して、古河に向かった。
茨城県の西側は、連日「狐の嫁入り」のような雨が降っている。
なんか変な天候です。台風の影響で大きな気流の変化があったようですが、なんか変・・・!?
変といえば、私がスレ主のスレッドが閲覧出来なくなっている。

8月30日
早朝、4:00ごろ地震があった。
建物の揺れから、震度2〜3と感じたが、宮城県では震度5強の揺れであった様だ。ここは福島県福島市にある「道の駅 安達」。ここは盆地であり、空間線量が高い地域。
「道の駅 そうま」で野宿している時も揺れた。東北地方はよくゆれるものです。
「道の駅 安達」は、夜間も休憩所が解放されているから、休憩所内で寝る事が出来、蚊に悩まされることがない。嬉しいものです。今日もここで休養。
話し好きのおじさんと一緒になり、モトクロス、トラック、車の整備、政治、経済、輔車脳、お金・・・とうとう、いろいろな話をした。いろいろな話が出来るのが旅の醍醐味であるが、私は気をつけなければならない。

夕方、バイクで回っている若者と話した。
私の旅の話を、若者は神妙な姿で聞いていた。共鳴するものがあるのだろう。

8月31日
6時前に「道の駅 安達」を出発。
この駅は、私が経験した駅の中で一番の駅になる。
歩きに歩き郡山市に来た。途中、ショッピングモールで休んだ時に、私は両腕が真っ白になっていた。塩が噴出していた。おそらく首なども塩が噴出していたでしょう。それを見ていた男性がやってきて、私の隣に座った。私は何気なく話しかけた。すると、男性は、私が塩を吹いているのを見てやって来たとの事。炎天下を「道の駅 安達」歩いてやって来た事に対して、男性は感嘆していた。私の歩いている目的を話し、311のことを伺った。男性は、いろいろと話してくれたが、その中で、被害にあった地域のことを話してくれた。それは、盛土の地域。地域には、切土の地域と盛土の地域がある。切土の地域とは、山を削り住宅地にした地域であり、盛土の地域とは、切土の地域から搬出された土砂を埋め立てて作った地域。切土の地域は地盤がしっかりとしているから、地震の揺れに対しては強い地域であり、それに対して、盛土の地域は、湿地帯に切土の土砂を持ってきて埋め立てた土地であり、地震の揺れに対して脆く、土地自体のズレヤ液状化などの被害が大きい。そういえば、東京などは盛土の地域になる。埋め立てて、埋め立てて今日の大都会を築き上げている。あのビル郡の重さは如何程のものなのか!?とてつもない重量が盛土の地域にのしかかっている。また、東京湾の周囲は、石油コンビナート、天然ガス貯蔵地域になっており、東京湾が火の海になるという警告を発している学者もいる。その東京に、直下型の地震の噂が流れている・・・!?
郡山市に着き、ホテルに入った。
9日ぶりに風呂に入り、のんびりとする。しかし、そのホテルには大浴場がなく、部屋の風呂だから、今ひとつである(贅沢は言っておれない)。

フィリピンでM7.6の地震。

9月1日
郡山駅前のホテルを10時ごろ出発。
右足裏はパンク状態。電車でいわき市へ。しかし、電車は13:18分。トホホホ・・・。駅で時間潰し。メモを津s家手いると、厚かましいおばはんが覗き込むように読んでいる。まあ〜どこにでもいるものだが、これだけ厚かましいとね!?
福島県を回ってみて、マスクをしている人は少ない。昨日も地元の人と話してみて、地震関係の話はしてもらえるが、放射能関係では口をつむぐ。どうしようもない事ながら、逃げたくとも逃げる事が出来ない人たちは、今の日常をそのまま送るしかない状況に追い込まれている。大人たちはよいが、子供たちは・・・いくら言っても行政は動かないし、反対に汚染地帯に返そうという動きがあるから困ったものです。

今まで幾度もメモしてきたが、逃げたくとも逃げることが出来ない状況ならば、「怒り、悲しみ、憎しみ、ねたみ、嫉み」の感情に振り回されることなく、これまでと同じように生きてゆくしかない。そのほうが、感情に右往左往させられて生きるより過ぎ行くときは幸いです。これらを福島県の人たちは実践しているように感じる。ある面素晴らしい事に思う。また、この事もメモしてきたが、今は時の流れの端境期にいる。大きなときの流れの変わり目。われわれ実財界に存在している人類の感覚では父として進まないような時の流れに感じるが、地球の動き、人身の動き・・・と、大きな動きが始まっていると思う。それに伴い、肉体的な変容も始まっていると思う。そうなると、今まで繰り返しメモしてきている「新人類」の誕生も、あながち妄想とはならないものであるとも思う。

電車に乗りいわき市に着く。
こちらは涼しい。盆地である福島市とは異なる地域になる。ホテルを予約し、チェックイン。風呂、ベッドがあるだけで十分満足である。
東北地方を旅していて思うこと。
肥満の方が目につく。肥満まで行かなくとも、老若男女にふくよかな体の人が多い。単なる錯覚なのか!?しかし、何かがおかしいと感じる。まあ〜私自身の脳みそがおかしいということは解っているが・・・それにしても、異次元の世界を観ている様な感覚的違和感を感じる。また、東北だから仲間同士の会話には方言が混じる。そのことが余計に他国に来ているような感覚になる。

いわき駅前には大きなアーケードが作られている。野宿するにはうってつけの所と感じる。マンウオッチングもまた楽しいものです。ホームレスの如く、街の片隅から道行く人たちを眺める。

9月2日
空模様が怪しい。雨もまたよきもの。ホテルを9時過ぎに出発。「道の駅 よつくら港」に向かおうとしたが、バス停で雨宿り。よつくら港は被災して休業していたが、8月に開業したようだ。しかし、雨!逆戻りしていわき駅に避難。いわき駅には大きなアーケードがあるからよいがね。
雨が上がり、再出発。国道6号線を目指して歩く。
南そうまでは6号線が通行止めになっているから、内陸におれて飯舘村に向かった。今度は、いわき駅より6号線を北上する。雨は降ったりやんだりしている。空を見上げると、太平洋側はどんよりとした雨雲が広がり不気味な感じを受ける。その反対の内陸側は、晴天である。私はその間を歩いている。だから、降ったろやんだりする空模様である。途中、体育館の軒先で休憩。体育館の軒先で地元の人と話す。いわき市の線量は低いとの事。しかし、低いから大丈夫ということはない。人其々の感受性の問題ですが、若者の一人は「馴れですね・・・」と諦め顔。福島市や郡山に比べて低いだけのこと。

「道の駅 よつくら港」に着く。家族連れで賑わっている。

少し北上すると通行止めになっているのもかかわらずね。

太平洋側に面した場所。津波が来たら一発でアウト。確か、山元町の小学校も、311前には風光明媚な場所であったが、太平洋側であったがゆえに壊滅していた。「道の駅」も場所により色々とあるものです。ここ「道の駅 よつくら港」は観光地化しているようだ。新しい建物が出来、2Fは食堂、1Fは名産品の販売店になっている。
ここの職員から「よつくら港」では野宿は不可との事。軒先も敷地内であるからだめとの事。「まったく〜」という思いであるが、我を出さず、静かに立ち退く。
これもひとつの流れ。

JR四ツ倉駅に着く。今夜はここで野宿できるか!?いままでJRの駅で断られたことはない。
私が歩いているのを観察している人がいた。駅で休んでいると話しかけられた。ここらの地域は色々と厄介な感情があるようだ。その男性と話していてよくわかった。311の話し、仮設住宅の話し、被災者の待遇の違いによる軋轢、義捐金の使途、仮設住宅への入居の順、部外者(東京などから流れてきたホームレス)が優遇されている−この事は、安達でも聴いたことがある・・・等々、多くの溝が出来ているようだ。また、政治家に対するものも、311の時いち早く家族を連れて逃げたくせに、選挙の時だけ頭を下げる。市民はそのような事をよく知っている。マスコミ情報では決して知ることが出来ない実情を聞く事が出来る。政治家の動き、民衆の動き、その裏にある意図。多くの錯綜する意図が見え隠れしている。それに繋がる利権。当然、そこには個人的な感情が絡みついているがね。現実問題として、大きな壁が立ちふさがっている。やはり、実際に歩いて、地元の人から話を伺う事で、多くの現実が見えてくる。個人的にどうこうできる物ではないが、多くの問題により、地域の人の心に亀裂が出来上がっている。
しかし、それ以上に大きな問題が「放射能」ですが、市民はこの問題に対して見ようとしていない。考えようとしていないようだ。この姿勢は、郡山でも福島でもそうまでも見られること。

JR四ツ倉駅で、陰謀論を知っている人と話した。
マスコミには決して載らない情報をお聞きした。年に一回程度、福一を査察する為に、ある特定の集団が来ていたようだ。どのような集団かは解らないが、電力会社の高位の者が平身低頭しての案内をしているようだ。おそらく、世界支配組織のものでしょうね。これだけで、福一の存在は決してマスコミ、政治家が話す内容とは異なることが解るというものです。

ところで、JR四ツ倉駅も追い出された。これもひとつの流れ。しかし、参ったものです。夜道をとことこと歩き、道路の高架下のトンネルで寝た。朝方雨が降った。トンネル内だから、このような状況に対応できる。これもひとつの流れ。ひとつの経験。


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 ■ 2012/09/14 (金) 9月14日


昨日から水海道のホテルに滞在している。
溜まっている「旅日記」をホテルのパソコンをお借りして入力している。
今日も完全休養日に当て、のんびりとしている。
タバコを買いに外のコンビニに行ったが、暑い。残暑厳しき天候です。この天候をどのように考えるかですが、年平均気温は大きな変動を示すことは少ないと思う。そうすると、今度の冬はとてつもない寒さになるのではなかろうか!?それとも、何かとうわさされている2012年ですから、今年から一気に大きな天候の激変が始まったのかもしれないね。

私はとにかく休む。
このホテルに着くまで6日間野宿をしていたからね。野宿に体が順応するまで、のんびりと休みながらの旅になる。それもまたいいものだと思う。

タバコを買いにコンビニに行った。
暑い!何なんでしょうね!?年平均気温の変動はそれほどないと言うことが言われている。すると、次の冬はとてつもない寒さが襲ってくることが予想されますね。

昼にホテルに帰り、ビールを飲んで寝た。
リアルな夢を見た。数年前、大阪が壊滅するようなリアルな夢を見たが、今日見た夢は大阪から姫路にかけての崩壊現象。高層ビルが目の前で崩壊している。その崩壊を見ながら、隣の人と話をしている私が居る。何なんだろうな・・・!?

8月29日
「道の駅 安達」での完全休養。
足の疲れを癒し、今後のことを考える。のんびりしている。道の駅の建物は中に居ると冷房が効いていて快い。足のマメを潰して、中の水分を搾り出した。旅に出てから何回目だろう・・・!?もうすぐ9月。涼しくなる季節に入る。今は残暑が厳しいが・・・!?
朝、車で回っている人とあった。その人も、車で回って被災地を見て歩いているようだ。私の話を聞いて吃驚しておられたが、やはり実際に我が目で見て、自身の感性で感じないと解らないと言う事で話が一致した。
ベンチでのんびりしていると、小柄な男性に話しかけられた。その人も車中泊を繰り返しているようだ。モトクロスやダンプの話し、雪の道は恐ろしいと言う話などをした。
人それぞれに必要な経験をしている。そして、色々な場所で接触をする事となる。この流れも、又、必要なものなのでしょうね。私にとっては、一服の清涼剤になる。
ベンチでストレッチをしている男性から話しかけられた。「どこから来たの?」私はきた目的を話すと、「今日はどこに行くの?」
私は足の裏を見せながら、足がこのような状態だからしばらくここに居ます。と答えると、男性は、「ここは線量が高いよ!」と、ボソッと一言。地元の人も空間線量が高いと言うことを認識されている。それでも居なければならない多くの人たち。
大きな荷物を持っているから目立つのでしょうね。色々な人に話しかけられる。色々勉強になる。
夕方、バイクで回っている若者と話した。
その若者は、福島市が盆地であり、空間線量が高いと言うことを知らなかったようだ。吃驚していた。しかし、私と話し合って、被災地の地元の人の話を神妙な姿で聞いていた。とても響いてくるものがあったようだ。このような若者の感性を私は期待したい。姿がどのようなものでも、内なる感性には大きな可能性がある。そのような若者に種を撒くのが私の一つの仕事のように感じている。若者は「道の駅」で野宿をしながら回っているようだ。安達の駅では、夜間でも休憩所が開放されていると言う事を知らなかったようで、建物の中で寝れると言うことを教えると喜んでいた。

福島県南相馬市への移住は出来そうにもない。この流れに逆らわず、身を任すしかないが、今後は日本行脚になりそうだ。福島はこのまま南下しても、又、警察と接触する可能性が大きいから、明後日は電車に乗って一気にいわき市まで行くのもいいと思う。


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 ■ 2012/09/13 (木) 9月13日


今日、茨城県水海道に来ている。
つくばエクスプレスのみどりの駅で野宿し、7時前に出発。9時半位に着いた。3時間位歩いての到着。早すぎた。水海道の町並みを散策し時間を潰す。しかし、暑い!厳しい残暑です。町は閑散としている。地方だからか・・・!?
道路標識に図書館が載っていた。昔はよく図書館を利用したが、すっかりと忘れていた。冷暖房が効いている場所であり、誰が入っても注意されない場所。図書館で時間を潰す。

8月25日
「道の駅 そうま」で目覚める。(そうまで計った血圧 99/63 P82)「道の駅 そうま」で休養。昼間は畳の上で寝られるから嬉しい事です。
早朝、ここは地元のおっちゃんたちのサロンとなっているようだ。夕方、長野市から来られたご夫婦とお話をする機会があった。ご主人は画家なのだそうだ。被災地をスケッチしながら回っているという事。来年個展を開くという話。
名刺代わりに、画歴が載ったはがきをいただいた。長野県では顔役でしょうね。
その方のお名前は 宮川 博行 画伯
リポビタンD1本頂いた。(岩手で拾ってもらった建設業の若者からもリポビタンD2本を頂いた。)

8月26日
早朝、宮川画伯が来て、私をスケッチしていかれた。奥様も、出発する直前、私のところに来られ、丁寧に挨拶をしてゆかれた。習慣なのか、私に何かを感じられたのかは解らないが、意識波動に共鳴するものがあったのでしょうね。

サロン化している「そうま」で、いろいろな話を伺った。
早朝、地震があった。震度3との事。そこから311の時に話になり、やはり、ライフラインが途絶した事により「水」の確保に難儀したとの事。そうまでの犠牲者は460名くらいとの事。「そうま」で、若い方がやってきて、私と話が会い、陰謀論や今後の事態推移を話し合った。その方は、これからが大変になる!と。今は仮設住宅、義捐金、保障、ボランテイア・・・などで気が紛れるが、2年以降になると、現実的なものが迫ってくる。阪神淡路大震災でも、2年以降に孤独死という中高年の自殺が急増した。311の場合、規模も範囲も桁違いであるがゆえに、とんでもないことになると思う。このことは、岩手県の大船渡の老人からも言われていたこと。政府、マスコミは隠蔽しようと動くことになるでしょうね。

7時過ぎ、「道の駅 そうま」を出発。
12時前に「道の駅 南相馬」に着く。南相馬市。24時間テレビのイベントがあるようだ。多くの人でにぎわっている。なんか、場違いな感じの私。何かが変。気持ち的に浮いている。放射能に侵されながら生きている人々。

ここでも悲惨な話を伺った。
じっちゃん、ばっちゃんを助けに孫が車で向かった。じっちゃん、ばっちゃん共々津波にのまれた。助けに行かなければ、孫は一生後悔する事になる。しかし、助けに行ったことで、一緒になくなった。残された人たちは悔やむに悔やめない心持。どちらを選択しても、残された人々の心には大きな傷を残す。
311の震災、津波によって家族を、知人、友人を失った人々。悲しくも切ない話が多く残されている。生き残った人たちの心に大きな傷を、ケロイドのような傷を残している。311が人工的に起こされたものか、自然的な災害なのかは別にして、実際に起きた自称により、多くの、まさしく、多くの人を失い、遺された人々の心に傷を残す。一時、現実から目を背ける事が出来、心紛らわす事が出来ても現実は変わらない!厳しい現実。
311に断ち切られた未来。
本来のタイムラインはどのようにして変更されたのでしょうか!?無数にあるタイムライン。震災がなく、いつものように迎える未来を生きる現実。より厳しい現実を迎えている世界もあることだろう。それぞれの魂が、それぞれの世界を命いっぱい生きている。いつの日か、すべての魂が集まるとき、大きな世界が待っているのだろうか!?

今日は8月26日。大阪を7月26日に出てちょうど一月になる。
生きている。世情は熱中症の人が多く出ているようだ。私は、休み休みながらも炎天下の元歩き回っている。熱中症とは少し距離を置いているようだ。やはり、体が変化してきているのだろうか!?遺伝子的に覚醒が始まっているのならば嬉しいことだが、単なる錯覚の場合もあるしね。まあ〜どちらでもよいが、抗放射能遺伝子等の眠っている遺伝子が目覚めてくれれば、私だけではなく、私の魂の同胞にも大きな良き影響を与えることが出来るのだが・・・。私は、私の力だけで生きているのではないということを思い知らされている。みんなが助けてくれるからこそ、今というときを十分生きる事が出来ている。

8月27日
世の中には凄い人は多いと思う。
自身の小さな世界の中に留まって、外の世界を知らずして、能書きをたれている。「井の中の蛙大海を知らず」。今のような生活を続けていると、多くの偉大な人と出会う。
7時頃「道の駅 南相馬」を出発。6号線は南相馬市の先から通行止め。飯館村に向かうべく12号を目指す。途中、地元の人から教えられて、とことこと歩く。
暑いから飯舘村に向かう道に入る前に店により、スポーツドリンクとサンドイッチを買う。店のおばちゃんと話していると、店のおばちゃんが気を使ってくれて、サンドイッチを頂いた。飯舘村に通じる県道は思ったより交通量が多い。閑散としていると思った。
山越えの道。
暑い!暑い中、山道をてくてくと歩く。警察車両が幾度も通りすぎる。飯舘村では泥棒が横行しているという話。テクテク・・・トコトコ・・・途中でドリンクをごくごく。暑い!!!日暮れ頃飯舘村に入った。村は暗く、静まり返っている。しかし、村人全員が避難している訳ではない。明かりがつしている家もまばらだが存在している。耕耘機に乗った老人とであった。人が居なくなると植物が繁殖してくる。庭に、道に、コンクリートの隙間から植物が猛烈な勢いを見せ始めている。
暗い道を歩く。車の往来は激しい。
今夜の野宿先を物色しながら歩く。ちょうど、村役場を発見した。しかし、村役場の隣に仮設の警察庁舎が作られていた。体を拭くのにタオルを洗いたいが為に、警察庁舎に行きトイレを借りた。すると、警察は私の身元を聞き始めた。泥棒が横行しているから、私を不審人物と見ても仕方がない。しかしね、こそ泥が炎天下の中、汗だくになりながら山を越えてわざわざ村には来ないよ!・・・と、言っても仕方がないがね。警察も車に乗って巡回して私を視認しているから、なんか疑問を持っていたようだ。

若い警官が色々と質問してくる。
何の目的で、どこに行くのか!?私は、作為なく私の思いを述べた。若い警官の中には、私の思いに共鳴してくれる警官も居る。これまで、色々な年齢層の男性と話したが、その多くが共感してくれた。自分もしたいけれども出来ない行動です。「気持ちはわかる!しかし、俺には無理だ!」とね。一人一人が、其々の立場、環境に身を置き、多くの柵で縛られているのですからね。

飯舘村の仮設庁舎で荷物を調べられた。
私としては、別に調べられても痛くも痒くもない。警官たちが調べている間に、私は体を拭き着替えをした。荷物を調べている警官たちを無視し、警官他の頭はスイカかかぼちゃと考えていた。あたかも無人の荒野で着替えている感じです。荷物の中には不審なものがなく、無事終了。若い警官の中に「所持金は!?」と言う声を上げるものが居る。リーダー格の警官は黙って私を見ている。私は、そのリーダー格の警官に向かって「諸時期の調べるかね!?」と問うた。リーダー格の警官は黙っている。しばらく睨み合い。そこに車が来た。現在の飯舘村は物騒であり、どのような事件・事故に巻き込まれるか解らないから、次の目的地の川又まで送るとの事。所持金の件はあやふやになった。私はマンションを売って旅費を創ってきていると言う事を通告している。現金数百万円を見ると、若い警官も黙るでしょうが、大人気ないから黙っていた。その警官たちは他県からの応援の警官たち。避難地区では放射能を無視した泥棒行為が頻発しているらしい。地元の人も「火事場泥棒だ!」と言って居たが、私は「放射能泥棒」だと思った。

警察車両に乗って川の又の道の駅近くまで送ってもらった。私は、この行為を警官の好意と考えていた。後日聞いた所によると、このような場合は、近くの安全と思われる所まで移送しなければならない規則があるようだ。私はお人よしです。それでも、その時の警官の行動に感謝した。ありがたいことです。そして、警察車両を運転していた若い警官が、私の行為に共感してくれている警官だった。現在の状況を考えて、「お体には十分気をつけてください」と労ってくれた。

川の又の道の駅に着き、汗で汚れている衣服を水洗いし、干してから近くのコンビニに行きアルコールと食料を調達した。
夜中、パトカーが遣ってきて、私が駅に居るかを確認し去っていった。かの連中が確認しに来たのでしょう。この事自体、私にとっては嬉しい出来事に感じた。

8月28日
「道の駅 川の又」で目覚める。
8時前に福島市に向けて歩き始める。山道である。しかし、岩手のような急な坂道ではなく、だらだらとしたのぼり道。道をカブトムシが横切っている。長閑な地域である。それでも汗だくにはなる。汗を出しながら、水を補給しながら、とぼとぼと歩く。歩きに歩き、福島市にたどり着く。

どうしようか・・・!?考えている。福島市内のスーパーマーケットのベンチで休みながら。高校生と思われる男性に、「一番近い駅はどこか!?」と尋ねると、「福島駅」との答えが返ってきた。福島駅に行く道順を聞くと、4号線と言うキーワードが還ってきた。「道の駅 安達」も4号線沿いにある。電車を使って一気にいわき市まで行くか!?それとも・・・。6号線が通行止めになり、警察車両が頻繁に行き来している。又、あのような不愉快な思いはしたくないからね。若い警官の話では、不審な者は職務質問をされるとの事。う〜ん!?周囲から見ると、私は360度、どこから見ても不審者ですからね。
しばらく進みながら考えていても、考えが纏まらずそのまま4号線に向かって歩き出した。
4号線。
歩いていると、福島駅の方向には向かわず、「道の駅 安達」に向かってまっすぐに歩いている。目指すは「安達」。

歩く・・・歩く・・・ひたすら歩く。
そういえば、今日食事を取っていない。水分のみを補給している。岩手から気づいていたが、気力が増しているようだ。気の鎧を纏っているように、肉体的な欲求が低くなっている。

歩く・・・歩く・・・歩く・・・。ひたすら歩く。暑い・・・暑い・・・暑い・・・。近頃は、歩くと言う行為に何も疑問を持たなくなっている。とにかく歩く。昔の旅人の如く、歩いての旅。途中、郵便配達の局員さんに道を尋ねる。郵便局員さんは、「歩いて!?」と、しばらく私を見つめていたが、「途中坂道になっているからきついよ!?」と。それでも2時間ぐらいで着くでしょう・・・と。その時の時間は16時10分ごろ。私はお礼を言って、再び歩き始める。坂道は岩手で経験しているし、道そのものは岩手県に比べて非常に優しい道。私は歩く・・・歩く・・・歩く・・・。暑い・・・暑い・・・暑い・・・。水分を補給しながら歩く。休みながら歩く。
途中高校生と思われる男性が自転車を漕いでやって来た。私は、「この坂道はどのくらい続くの!?」と聞くと、男性は、「まだまだ続くよ。あの見える信号機のあたりから、又、きつくなる。どこまで行くのですか!?」。私は「道の駅 安達」までと答えると、男性は目を見張って、まだまだ遠いですよ。がんばってくださいと言い残し去っていった。

私は歩く。
暑い!暑いけど歩く。暗くなってきた。4号線を走る車も点灯している。交通量が多い。トラック、乗用車、警察車両・・・。

足が痛い。リックのベルトが肩に食い込む。・・・疲れた。
私は歩く。ひたすら歩く。暗闇が押し迫ってくる。疲れた・・・足が痛い、足が重い・・・休みたい・・・横になりたい・・・。どこまで歩いても「道の駅 安達」の看板は見えない。車のライトだけが唯一の光となった。歩く・・・歩く・・・ひたすら歩く・・・。闇の道をひたすら歩く。途中、どうでもよくなりかけて、道端に横になりたい衝動を感じた。今、横になると、おそらく起き上がることは難しくなるだろう。注意力も散漫になってきている。途中、道路標識に気をとられ、荷物の台車の取っ手から手を離していることに気がつかなかった。私は、ハッとして振り返ると、台車はごろごろと坂道を下り始めている。交通量が多い道です。たまたま、私が居た辺りはガードレールがあり、そこで台車は止まった。これが、ガードレールがない道ならば、大きな事故に繋がっていた事でしょうね。私は、自身の注意力不足と、へたれを恥じた。

再び歩き出す。
歩く・・・歩く・・・歩く・・・。暗闇の中を車のライトを唯一の光として道を歩む。疲れた・・・足が痛い・・・。色々な思いがよぎる。このような時は、ネガテイブな思いに包まれるものです。色々な思いがよぎる。一つ一つが被害妄想的な思いに変わる。

ひとつひとつの思いに「ちくしょう〜」「くそったれ〜」と悪態をつきながら、一歩、又、一歩と歩む。
「飯舘村のあの警察官の態度は何だ!?私は、警察に野宿の許可を求めているのではなく、ただ、野宿することを通告しただけだ!人をこそ泥扱いするな!?」
(放浪者よ、お前はどこから見ても不審者じゃよ)
「川の又の駅のあの野郎は何だ!ただ、時間を聞いただけではないか!何だ、あの答え方は・・・!?」
「何だ、あの女の目つきは・・・!」
・・・等々。
エンドレスの被害妄想は続く。

・・・しかし、やっと、「道の駅 安達」の案内板が見えた!あと2km。やった・・・。希望の光!!!一歩、一歩の歩みに力がはいる。暗闇の中、車のライトの光を頼りに、一歩、一歩と進む。前方にネオンが見えてきた。このような時は、どのような光でも、心が温かくなるものです。けばけばしい光でも、暗闇の中を歩いていると、なんとも頼もしげに感じるものです。ネオンを目指して一歩、一歩徒歩を進める。

まだ着かない・・・まだ見えない・・・またぞろ、ネガテイブな思いが湧き上がって来た。被害妄想が始まる。
「あの道路標識はなんだったんだ!」
「2kmとは、20kmの間違いではないのか!」
「ちくしょう、くそったれ・・・足が痛い、疲れた」
・・・等々。
なんとも情けないものです。
それでも、私は歩く。一歩、一歩徒歩を進める。

やっと・・・「道の駅 安達」の看板が見えた。今度は距離表示がない!目の前だ!やった・・・!しばらく歩くと、進入路が見えた。多くの車が止まっている駐車場が見えてきた。嬉しい・・・が、私の体は急激な動きが出来ない状態になっている。ただただ、一歩、一歩と歩んでゆくしかない。しかし、少し前のような心理状態ではない。目の前に広がる駐車場、その向こうに見える建物、コンビニ。走り出したい気持ちを抑え、ただひたすら歩む。
やっと・・・着いた。
私は荷物を置きトイレへ。
まず、タオルをしっかりと洗う。そして多目的トイレか洋式トイレへ。トイレの中でしっかりと体を拭き、着替える。この時の気持ち良さ。幾度も経験しているが、やっぱり気持ちよいものです。時に、今日はトンデモな歩き旅だったから余計です。
すっきりとしてトイレを出てタオルを良く洗う。そして顔を荒い、足の裏をしっかりと拭く。足の裏は豆だらけ。疼いている。足の甲、指の間をしっかりと拭く。
トイレを出てからしばらく休息。この場がどのような雰囲気(波動)なのかを感じる。なかなかのんびりしているようだ。
しばらく休息をとった後コンビニへ。コンビニで時計を見ると21時過ぎ。5時間近くかかっているようだ。疲れと共に、牛歩の歩みがドンがめの歩みになっているのでしょうね。このことにも気づかずに、自身の思いに振りまわされてきている悲しさ・・・!?
コンビニでビールと弁当を買い、ベンチで自身を祝った。今日の食事はこれが始めて。
ビールをごくごくと飲み、フウ〜とため息。極楽の気持ちです。歩いていた時のネガテイブな思いは吹き飛び、ポジテイブな思いに浸る。心とは現金なものです。体の状況、環境の状況に応じてころころと変わる。
無職の放浪ゆえに、明日のストレスがない。今を生きている。今日を生きている。
「道の駅 安達」では、夜間も休憩所が開放されている。藪かに悩まされることなく、ゆっくりと休める。ありがたいことです。しばらくここに滞在し、足の疲れを取りたい。


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 ■ 2012/09/06 (木) 9月6日


茨城県常陸多賀駅に着く。
ホテルを予約している。2日日間野宿であったので、多賀駅のホテルに11時ごろ電話で予約をした。部屋がいっぱいならば今日も野宿。しかし、部屋はあった。
一昨夜の勿来(なこそ)の関であった野良ちゃんが忘れられない。シャムネコだと思うが、おそらく捨て猫だろう。ひどく人懐っこかった。持っていた秋刀魚の蒲焼の缶詰を上げたが、かぶりつくように食べていた。一缶食べた。よほどお腹が空いていたのだろう。翌朝、地元の人の車に乗せてもらって、コンビニへ肉が入った弁当を買いに行った(詳しくは、無職の放浪日記参照のこと・・・その内書き込む)。
ホテルに泊まるとバイキング形式の朝食が摂れる。その一部でも、野良ちゃんやカラスに上げたいものです。その欲求が高まっている。
今日は常陸多賀のホテルに泊まっている。
関東から東北にかけてのゲリラ豪雨。
勿来の関の屋根がある休憩所に野宿していた時にも雷鳴が轟き、一過性の集中豪雨に襲われた。リアルタイムの地球の動き観劇である。


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 ■ 2012/09/03 (月) 9月3日


今日は風呂と布団にありついた。
疲れた・・・!

8月23日
福島県に向けて出発。二日間の休養により英気は養った。しかし・・・暑い!
日陰を縫うように、日陰で休みなが歩いている。途中で、しゃれた建物が目に付き寄って見た。パチンコ屋だった。そこで若者と話した。その若者は空手をやっていて、礼儀正しき若者だった。私が来た目的を話、台車を買い換えるのにどこかないかと訪ねたのが切欠で、色々と話した。私の行動は、男性には共鳴するものがあるようです。以前にも、松島海岸の手前で若者と話し、異様に共感されたことがある。その若者は、「男だ〜」とつぶやいている。私は、「私のようなおっさんに影響を受けると、将来ホームレスになる」から気を付けろと忠告した。

パチンコ屋で出会った若者は礼儀正しき若者であった。空手をやっていて、受け答え、体の動きが気持ちよい。
色々とアドバイスをしてもらい、分かれたが、分かれる時に、若者は「非常に大きな事をしている」と呟いた。若者に教えられたホームセンターで台車を購入し、もう使い物にならなくなった台車を処分した。酷使した台車よ・・・今までありがとう。そして、さようなら。台車の引き取り代金400円なり。

歩きに歩き、福島県に入った。
常磐線の浜吉田駅に着く311の震災の影響を受けている区間の無人駅。代行バスが走っている。駅のトイレで体を拭き、着替える。駅の近くのコンビニで食料とアルコールを調達。コンビニの女性店員と話す。311当事、地震の揺れと津波で大変だった。津波は腰あたりまで浸水してきた。この時の恐怖と不安は如何ばかりであっただろうか・・・!?被災地を回って、地元の人からお話を伺ってきているが、その土地土地によって被害の程度は異なるが、実際そのような状況になった時には、その恐怖と不安なおももちは体験した人にしか解からないものです。実際の被害もあるが、本当に被災者の総ての人が心に大きな傷を持っている。

駅で飲みながら食事をしていると、駅のホーム側から若者の奇声が聞こえる。どこにでもいるものです。

歩くという行為はどのようなものなのでしょうね。なんか、近頃無心に歩くということが出来る様になってきているようだ。少しは成長したか・・・!?

浜吉田で虫の音を聞きながら一句

虫の声 自然の中の 営みの 変わらぬ姿 そこに見る

8月24日
蚊で眠れなかった。いつもの事ですが・・・。
蚊の羽音、吸血に悩まされる。矢本駅前、一関駅前では整備されているから蚊はいなかった。矢本では精神を病んでいる人がいた。
浜吉田は曇り。
さて・・・どうするか!?早々に歩き出すか!?それとも、しばらく空模様を見るか!?
歩き始めた。
途中、「除塩工事中」というのぼりが幾本もたっている。津波の影響で塩害が出ているのですね。
亘理市山元町の旧国道。津波と地震で太平洋側の地域は草ぼうぼうの荒地となっている。所々のスポット的に建物が散見される。「山元町立中浜小学校」壊滅。海に面し、非常に立地条件が良い所だが、今回の災害はその立地条件が災いしている。(後日聞いた話では、子供たちは体育館の三階に避難して無事だったとの事。よっかった)小学校の横は瓦礫の山々々、スクラップの山々々。

歩きに歩き、11時30分ごろ福島県にはいる。
暑い・・・どこに野宿するか・・・するところがあるのか!?と、少々不安な気持ちになってきている。歩く・・・歩く・・・そして、歩く。道路標識に「道の駅 そうま」の文字。やった!私は勇気つけられて、「道の駅 そうま」めざし歩みを続ける。
「道の駅 そうま」には夕方ついた。展示館は閉じている。トイレで体を拭き、着替える。横にコンビニが隣接しているから、そこでアルコールと食料を調達。
今の時期の野宿は蚊に悩まされる。暑さと蚊!時間感覚が無くなって来ている。明け方のひと時気温が下がる時間帯に寝られる。
この「道の駅 そうま」には昨年11月からいついている人がいる。三重から来たというおじいちゃん。いろいろな人がいるものだ。


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 ■ 2012/09/01 (土) 9月1日


福島県の安達市にある「道の駅 安達」は(高村)千恵子の里と呼ばれている。そこに

「何もすることがないのではなく、積極的に何もしないでいる時間の心地よさ」

という文が載っていた。
なるほど・・・と、感心した。

8月18日
山本の地域に精神を病んでいる人がいた。
ご家族は大変なご苦労だと思う。時の流れの加速により、その時の流れの狭間に落ち込み苦しみ、もがいている魂が多い。この状況も、その魂の選択なのだろう。
私は、このような現実を見せられ、巻き込まれていると感じていたが、見せられているだけらしい。魂の同胞によるサポートが付いている。この事も、私に「気づき」をもたらしている。しっかりとした自立の態度をとる事が大切な事。
また歩き出した。
荷物を引きながら、押しながら松島海岸を目指す。

曇り空を見上げながら、トコトコトコ・・・と歩く。
地元の人は、珍しそうに見てゆく。松島海岸に行く前の坂道で孫を連れた老人と会った。畑仕事の帰りらしい。私を見て「どこから来たの!?」と、お決まりの問いかけ。私は大阪からきたこと、来た目的を話したら、311の時のことを話してくれた。地震と津波。電車がひっくり返ったこと(幸いに死者は出なかったらしい)、ライフラインが止まり水に困ったこと、練炭を持っていたから、自分のところでは寒さ対策ができたことなど・・・。被災地を見て歩くならば、大きな国道を歩くのではなく、ひとつ太平洋側の旧国道を歩いてゆくと、被災地を見ることができるとのこと。

道路作業員の方と話した。
この人とは、震災の事ばかりではなく、福一の原発、放射能に関しても話した。放射能は見えもしない、匂いもしないからわからないが、確実に広がっている。しかし、逃げたくとも逃げれない人が多すぎる。どうすることも出来はしない・・・とね。老人たちが元の住処に還りたがっている。腹を括っているのでしょうね。

トコトコトコ・・・と、歩いている。
疲れた。
コンビニによって、ビールとおにぎりを買った。この時に店員さんに一番近い駅はどこか聞いた。ホンの近くにJRの松島駅が在る事が解った。今日の野宿の場所を確保。 苦笑
色々な人と出会い、色々な話を伺い、色々と感じることがある。

8月19日
JR松島駅で目覚める。5時頃出発。
8月上旬に松島には来ているから、記憶に新しい。
トコトコと歩いて松島海岸駅に着く。今日は早めに寝床を確保する為に、多賀城のホテルに電話を入れて予約する。
今まで色々と有ったから、ちょっと疲れている。・・・少し考えよう。
強く違和感を感じる。現在、東北地方(主に岩手、宮城、福島)を廻っている。どこも掃除、ごみ拾いなどの啓蒙活動が盛んに行われている。意思hマキシも同じく、ごみ掃除などが盛んに行われている。石巻市の駅では、市の憲章が立てられている。自然の大切さを謳った憲章内容だが、その日の前の広場に、駅長名で「鳩に餌をやらないでください、フンで困っています」という張り紙。大阪でも同じです。どこも同じです。物凄い違和感を感じている。世間が変なのか!?私の感覚が変なのか!?この矛盾に気がつかないのでしょうかね???自然の循環を破壊し、人類に都合のよいように変えてゆき、人類に対して害をなす行為、存在は排除しようとするような思考が当然という思考。イケイケどんどんの直線思考。今回の大h震災で、被害地の大きさは、人類が意図的に触ったところが大きいという事実。これらの反省もなしに、大きな大きな自己満足に浸っている愚かしい人類。イケイケどんどんの直線思考で自然を破壊すればするほど、自然からの反動は大きくなる。循環している自然は、歪みを正すのに、人類の思惑などは考えてくれませんよ。

放浪生活を始めてコンビニをよく利用させてもらう。
元気がよい声が聞こえる。しかし、よくよく見ていると、その時々のシュチエーションに応じた声を出しているだけ。目の、顔の表情がない。あたかもマネキンに録音したテープが自動的に動いているような感じ。まさしくロボット化のマニュアルがあるのでしょうね。その点、おっちゃん、おばちゃん店員は顔の表情がついているからまだましか。

なんか、放浪生活が始まり、世間様に触れ合う機会が増えるにつれて、今まで気づかなかった点に気づき、強い違和感を感じるようになってきている。

私はこの現実世界の住人ではない!

8月20日
ホテルで熟睡。疲れが溜まっていたのでしょうね。肉体的・精神的に!
9時30分ごろ出発。
国道45号線をひたすら歩く。仙台市前で国道4号線には入る。
ひたすら歩く!ひたすら暑い!
狂の字の私にとってはあっている行である。

高校生と思われる若者が、リックを背負い、サングラスをかけてやや俯きながら歩いている。黙々と歩いている。私ばかりではない!多くの人が、多くの思いを胸に行動に移している。

飛び込みでホテルに入ったが、チェックりん出来た。

8月21日
暑い・・・汗。
9時30分過ぎ出発。
1時間くらい歩いて名取の地下道で休憩。厳しい残暑!暑い・・・!
身体が重い。バイキングの朝食を食べすぎか!?疲れが取れない。
暑い!しかし、ひたすら歩く。血漿浸透圧が高くなっているのでしょうね。

宮城の風。
残暑は厳しいが、風は秋風を感じる。風が心地よい。
ひたすら歩き名取のホテルに入る(入る前に電話で部屋の空があるか聞いての予約)。2泊する。いよいよ歩いての福島入りである。体調を万全に整えたい。

8月22日。
完全休養日。


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