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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2012/08/22 (水) 8月22日


明日から福島入りする為に、昨日からホテルに入り休養をとっている。先月の27日から動き回っているが、岩手を歩き回ってきた疲れは一気に来ているようだ!
私自身、長い引きこもり生活(8年弱)を続けていて、体力的にはかなり低下しているという自覚があった。しかし、実際のところ、暑い中歩き回っていると、気が張っているのもあるが、意外と持つものであると思う。しかし、張り詰めたいとは無理をするとプツンッと切れるものです。切る事が無い為にも、休養をしっかりと取り、気持ち的にも体力的にも余裕を持って進みたい。

第一の人生   奴隷 社畜 養分
インターバル  引き篭もり(ここで、今までとは異なる社会への視点を獲得)
第二の人生   巣穴から飛び出し、後戻りできない状況に入り、日本行脚の旅に出る。


8月10金曜日は・・・。
盛岡から宮古へ(電車)。
宮古駅から釜石方面(国道45号)に向けて歩き出す。ひたすら歩く。途中で小雨がぱらついてきた。以前の事もあるから野宿場所を探す。商業高校前の地下道を見つけ、近くのコンビニで食料、アルコールを調達。しかし、コンビニで時計を見ると4時30分。雨も上がった様だし、また歩く。暗くなり、道路の表示板に津軽石駅という名が・・・。今日はこの駅の野宿しようと曲がる。しばらく行くと、駅の手前でバスの待合所があった。プレハブ作りの待合所。今日はここで一泊させてもらう。

8月11日土曜日
早朝出発。
元気!あまり寝られなくとも気力は充実している。気が張っているからか・・・!?
45号線を歩いていると仮設住宅が見られた。しばらく休憩しながら仮設住宅を見ていた。そして、歩き始める。すると、建設業と思われる若者に車に乗せてもらった。若者の現場は釜石との事。私が歩いている理由を話すと、通勤途中にも拘らず、「山田地区」を回って、被害の説明をしてくれた。当時の様子、状況などを説明してくれた。ありがたいことです。
多くの人が亡くなり、そして・・・多くの人の幽霊が見られるとの事。
311では地震の揺れと津波がクローズアップされているが、その他にも火災が大きな被害を広げているようだ。葬式途中での地震でろうそくが倒れ火災をおこした葬儀屋。そして延焼。火災はプロパンガスや車火災も原因になっている。
若者に釜石まで乗せてもらって、釜石からまた歩き出す。釜石市の高台から破壊された防波堤が見える。津波の威力を思い知らされる
唐丹駅で野宿。無人駅であり、現在路線は閉鎖されている。

8月12日
歩く・・・歩く・・・。
荷物を押したり引いたりしながらの旅。
ドライバーには非常に目障りな存在でしょうね。特に、復興作業のトラックが頻繁に行き来している。

45号線の「道の駅 さんりく」で野宿。
つくばの大学生とどこかの院生と一緒になった。
やめとけば良いのに、能書きをたれてしまった。彼らも、まさかサイクリングの途中の野宿で、どのかのおかしなおっさんに地球人類の存在論、陰謀論、神の数学など等のわけの訳の解らない能書きを聞く事になるとは思っても見なかったでしょね。御気の毒な事です。

しかしね〜・・・!?
「妄想」という言葉を非常にお気軽に使う人が多い。「妄想」という事を断定する根拠は持っていないはずですが、お気軽に「妄想だ!」と、断定し否定している。特に、高い学歴の人に多いね。そして、世間知らず!私も世間知らずだが、院生になるほどの高学歴の人は、より狭い世間観と高いプライドをお持ちのようだ。

8月13日
若者と別れ、「さんりく」を出発。
歩き、歩き、道を歩む。大船渡に行く山道。名前も「大峠」。これもまたきつい!
「大峠」を超えて、長々と続く坂道を下る。岩手の道を経験していないと、途中で挫折するようなアップダウンの道。坂道を降りたところでギブアップ。バス停で休んでいると、地元のおじさんに声を掛けられた。なかなか厳しい意見を拝聴した。
しかし、親切なおじさんである。
バスで大船渡の中央バスターミナルへ。そこから一関行きの特急バスに乗り込む。一関に着いたが、ホテルは満室。一関の駅に前で野宿。あいにく雨が降っている。ところが、夜中若者たちが集い、がやがやと騒いでいる。若い女性の声が「カラオケ行こう!」と促している。なんともはや・・・汗。若いという事はある面すごいバイタリテイーを持っているものです。私も若いときはそうだった。だからこそ、若い人たちを咎める事は出来ない。

野宿4日目。この頃になると、野宿の仕方も解って来た。ホームレス研修は順調に進んでいる。身につしている虚飾をひとつひとつ剥ぎ取っているようだ。

8月14日
宮城県大崎市のホテルにチェックイン。
疲れているから3日の予約をした。洗濯、機材の整備、休息です。

疲れた・・・。

8月15日
壊れた台車の代わりを買った。
ホテルに帰り、ビールを飲みながら高校高野球を見る。ごくごくありふれたおっさんの日常。

8月16日
大崎市を散策。
小学校が仮設校舎になっている。内陸だが、大きな地震のゆれの影響だろう。
川には大きな鯉が泳いでいる。30cm以上ある鯉が泳いでいる。それも幾匹も!

8月17日
大崎市を出発。
これから石巻市に電車で行き、そこからまた歩く。石巻市から南下し福島へ。石巻から松島に向かう途中東京から歩いてきた人と出会う。17日間歩きっぱなしの旅。多くは無いと思うが、老人から若者まで、歩きで、サイクリングでと移動している方が多い。

其々が、其々の思いを胸に行動を起こしている。

空の模様が少し変。
避難がてら、仙石線矢本駅に避難。そして野宿。
翌朝、トンデモな状況になるが、あほらしくてメモする気は無い。きちがいか・・・!?

あの人たちの住む世界と我々の住む世界。
世界は乖離しているから接触はないと思ったが、接触してしまった。この動きが何を意味しているのだろうか・・・!?
彼らは何をしたいのか・・・!?
私は何をしたいのか・・・・!?

この世界の流れがどのように変化をしているのだろうか・・・!?
ますます謎に包まれてきている!


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 ■ 2012/08/20 (月) 今日は8月20日


今日は8月20日月曜日・・・か!?

放浪の旅を続けていると、日にち、曜日が解からなくなる。
歩く・・・歩く・・・とにかく歩く。
歩いていると、気持ちの持ち方が変わってくる。
いろいろな人との出会い。
気持ち良い出会い、不気味な出会い・・・!?
いろいろな意味での意味ある出会い。

確かに、私にとっては意味ある出会い。


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 ■ 2012/08/16 (木) 8月16日


今日も宮城県古川市のホテルで休養。
福島県南相馬市から始まった被災地巡りの旅。多くの人に助けられ、励まされての旅。車に乗せて貰って、被災地を回って解説をしてくれた、民芸工芸品を作っている人。出勤途中なのに、私を拾ってくれ、被災地を巡って説明をしてくれた建設業の若者。この若者にはリポビタンDを2本頂いた。また、夕方、私が荷物を引いて歩いていると声をかけてくれた男性。大阪から来たと、目的を聞いて感動してくれた。そのほか、タバコ屋の老婦人との会話、サイクリングしている若者たちとのふれあい・・・と、多くの人に接することが出来た。そして、マスコミでは決して聞かれない地元の生の声を聴く事が出来た。

厳しい意見の男性もいた。
岩手県の大船度市の男性だが、今は仮設住宅、支援があるが、二、三年後には見えない未来がある。とくに、老人などは未来が見えないからこそ、大きな不安を抱えている。老人は環境の激変には順応しきれないから、ストレスがたまり、余計に不安になる。
今、お金をもらい、一時的に楽観視し、仕事もないからパチンコにお酒に走っている。しかし、将来への見通しの重圧が徐々に圧し掛かってきている。阪神淡路大震災でも、老人の孤独死は年を追うごとに増えてきている。東日本大震災は、阪神淡路大震災とは桁違いの大きさ。そして放射能!

現在の日本は、世界(人類)は大きな転換点にいる。
人類はどこに行こうとしているのだろうか!?もう、それぞれの道を歩み始めている。


8月2日・・・は。
何なんだろう・・・この疎外感!?
誰にも会いたくはない!誰とも話をしたくはない!

自己嫌悪の数を数えても仕方がないが・・・ますますトンズラしたくなる。
私の精神状態はどのようになっているのだろうか!?崩壊しかかっているのだろうか!?もう、どうでも良くなってきた。
自己責任!他を頼るな!?

一関に来た。殺人的暑さ!?野宿が続き、寝不足になっているから余計に堪える。10分位歩いていると、真剣に倒れると言う感じ、駅の待合で休憩。
一関は飛ばして盛岡へ。
太平洋側の交通は止まっている。釜石に行こうとしたが駄目だった。これだけ暑いと熱中症もそうだが、ギンギンに冷えたビールがうまかろう。

今日は盛岡のホテルに二泊。

8月3日
盛岡のホテル。
盛岡では「さんさ祭り」行われている。
始めてみるお祭り。盛大なお祭りです。踊りも各地で少しずつ異なり、参加人数もギネスに認定されている。女性が主役と思われるような祭りです。
多くの女性が太鼓を抱えて叩き、踊っている。

8月4日
盛岡から宮古市に列車で行く。
宮古市から45号線を北上した。荷物を引いたり押したりしながらの旅。途中の仮設の店でタバコを買う。その老婦人に311当時の話を伺った。突然の出来事であり、逃げるので精一杯との事。しかし、その後の出来事が非常に心を塞いでいる様だ。地震と津波で店、家屋が全壊している。後を見に行く前に、全壊している瓦礫の下から「お金」だけを取り出している人がいるようだ。誰とはいわないが、近くの知っている人のような話し振り。人の心のおぞましさ・・・を切々と話されている。そして、今後の事を非常に気にかけておられて、
「これからどうしようか・・・!?」
「私も、すべてを捨ててどこかに行きたい・・・!?」
「家族のしがらみ、311の災害で怪我をして、ようやく動けるようになった身体・・・!?」
・・・等々。
年をとっているからこそ、将来の不安を抱えている。この事は、被災地を回っていると、非常に多くの年寄りの悩み事になっているようです。

店を出て、とことこと歩いていると家の基礎だけが残っている地域に出た。津波に洗われて、家屋が押し流されているのだと思い、そこで休憩していると、サイクリングしているおじさんに話しかけられた。地元の人。30分くらい話を伺った。この地域は津波ですべて破壊された。そして、津波に押し流されて山のふもとに集まり、自然の防潮堤になり、津波はそれ以上進まなかった・・・との事。この現象は石巻市でもお聞きした。石巻市では4000人くらい亡くなったが、多くの家屋が押し流されて橋の袂に集まり、自然の防潮堤になったとの事。

寒い中ライフラインが止まり、一番困ったことは排泄物の処理だとの事。高台から降りて、川の水をバケツに汲んで浴槽にためて、それで流したとの事。地域の人たちが身を寄せ合って、助け合って生きている。身近な人たちだからこその結束ですが、地域ごとに、それぞれ口には出来ない出来事も多いと思う。そのおじさんに野宿できる場所を聞いたら、「浄土が崎の駐車場」を紹介された。その浄土が崎までとことこと張るいていったが、坂道であり疲れた。遊覧船発着場の切符売り場の軒先をお借りしての野宿。やぶ蚊、若い人たちの話し声などであまり寝られなかった。

8月5日
浄土が崎を早朝に出発。
45線をひたすら北上。
途中、台車の車輪が壊れた。修理をしていると、気づかぬ間に車が止まっていて、修理が終わった私に声がかけられた。「どこまでゆくの!?」と。私はきた目的を話すと、ワゴン車に載せてもらった。その人は、民芸品を作っている人で、途中まで乗せていって貰う事となった。その人は、わざわざ「やまだ地区」を、回ってくれて、「東洋一の防潮堤」が破壊された現場まで連れて行ってくれ説明をしてくれた。見渡す限り・・・家というものは存在していない。鉄筋コンクリートのホテルが2階まで鉄骨がむき出しになっており、3階まで被害を受けている。
ここで、地震の後、津波が押し寄せると言う緊急時に、防潮堤に津波を見に行った人たちが居たそうです。その人たちは全員押し流されたとの事。ラジオ情報では「津波は3m」と言うことがはじめで、後、「5m」「9m」と流れたらしい。今までの経験から、その程度の津波ならば、防潮堤を超えることがないと言う安心からの行動らしい。この事は、後日釜石に行った時や吉井地区に行った時の地元の人も指摘していた。

これまでの経験が「狼少年」的な感覚になっているということになる。
これまでの地震、津波情報で、何ほどのことも無かったから、今度もそうだという安心感の行動。釜石まで乗せてもらった建設業の若者も言っていた。幾度も見に行っていた。今回も近くにいたら見に行っていた!と。

「たろう地区」をまわり、「グリーンピア地区」を案内していただいた。広大な地域であり、宮古市が買い取って復興地域にしているようだ。仮設住宅もたくさん立っている。

後、ホームセンターに回ってもらって、台車を買い「道の駅」で別れた。嬉しいサポートを受けた。なんか、私の魂と波動が合っているようなおじさんであった。
その後、45号線を北上し普代村に向かった。普代村に着く前の峠がきつかった。

8月6日
宮古駅より歩いて「北緯40度の地球村」普代村に着く。少々・・・じゃなくて、持っている多くの荷物を捨てようと思ったが・・・やめた。途中から水が乏しくなり、自販機、コンビニを探したが「無い!」。仕方が無いから村道の脇の広場にシートを敷いて野宿。とてもじゃないが寝れたもんじゃない。夜空は多くの星が見られ、都会では見られない夜空だが、夜露が多く寝れたもんじゃない。
仕方なく、荷物を纏めての夜どうしの歩きになった。コンビには無かったが自販機は見つけた。嬉しかった。早速飲み物を買って、ぐびぐびと飲んだ。

途中、村道の脇で仮眠。
それでも仮眠を取れるだけでもたいしたものだと思うようになった。
普代村でタバコを買った。
その時の老婦人の話では、「普代ではあまり被害はなった」との事。地震の揺れだけで、津波の被害は少なかったとのこと。海岸線の漁師の作業小屋や網などが被害にあった程度。やはり、地盤が関係しているのだと思う。

国道45号をひたすら北上。
普代駅に着いた。日よりも良く、ベンチに寝転んだ。ハッとして気づくと、二時間がたっていた。一瞬、爆睡している!こんなものかな!数日間の寝不足が来ているのでしょうね。体力的には消耗しているが、気力的には充実している。
引き続き45号線を北上。
ただただ北上。途中、山中で雨に降られた。このようなことは想定済みだから、荷物の防水をし、カッパを着た。カッパを着たが、カッパの役目は果たさずずぶ濡れ。しょうがないから傘を差して上半身だけでも着替えた。
小雨になるのを待って出発。
三陸海岸鉄道の駅を目指す。雨に降られ、山の中での野宿は不可能、駅に着いての野宿を考えた。着いた駅は無人駅。自販機もなし。白川海岸でしばらく足を洗い(塩水での消毒をかねて)、駅に戻り、野宿のしたく。しかし、天の僥倖か!?日ごろの心の持ち方が良かったのか!?鉄道の振動と光と共に電車が入ってくる音がした。
私は内心狂喜した。
荷物を纏め、入ってきた列車に乗り込んだ。終点の「久慈」まで乗る。
「久慈」では祭りの真っ最中。ホテルは満員。「久慈駅」のベンチで寝る。しかし、人の気配、自販機があると言うことは心強いものです。


8月7日
久慈駅の野宿。
ベンチがあることは、底が浅い野宿経験者の私にとっては、大変ありがたいことです。久慈から電車で八戸へ。青森県に来た。八戸は、震災の漂流物で大変だったようです。港が使えなくなり、操業を停止するような経済的に大きな影響を受けていたようです。
今日は八戸の駅のビジネスホテルで休養。

8月8日
今日はホテルのテレビで甲子園の開会式である事を知った。ビジネスホテルではテレビを見ている。外界の情報を得る為に・・・というより、引き篭もっていた時はテレビなるものを持っていなかったからね。
八戸から電車で盛岡へ。

8月9日
完全休養日。


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 ■ 2012/08/15 (水) 8月15日


休養日。
台車が壊れたから、買い換えた。
ホテルで寝た。

まさしく、ホームレス研修を受けているようだ。数日の野宿生活を経験しながらの旅。


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 ■ 2012/08/14 (火) 8月14日


宮城県の古川市に着いた。
野宿4日にしてやっと風呂と布団にありつける。この4日はきつかった。本当にきつかった。ほとんど眠れずに歩き通し。昨日は一ノ関駅の前で野宿。夜に若い子達が騒いで眠れない。その前は、岩手の「道の駅 さんりく」で、どこかの大学院生と筑波大学の学生の野宿と一緒になった。二人はサイクリングで回っているようだ。筑波大学の学生に酒をご馳走になり、よせばいいのに、またまた能書きをたれてしまった。どこかの院生は「妄想」の一言で一蹴したが、筑波大学の学生は、教授から私と同じ事を聞いているようだ。

詳しい事は後日に記す事とする。

つかれた・・・。 

ただ、チェックインの前に、宮城県古川市の「吉野作造記念館」に行った。
原発展を見てきた。その作品をメモしてきた。

「ちちをかえせ ははをかえせ

 としよりをかえせ こどもをかえせ

 わたしをかえせ わたしとつながったにんげんをかえせ

 にんげんの にんげんのよのあるかぎり

 くずれずへいわを へいわをかえせ

        峠 三吉」


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 ■ 2012/08/09 (木) 8月9日


今日は完全休養日。

7月29日は・・・。
南相馬市滞在二日目。「野馬追い祭り」で賑やかになっているが、とにかく暑い。
荷物を引いて国道沿いを歩いていると、地元の人(ご夫妻)の車が止まって声をかけてくれた。とにかく暑い!「野馬追い祭り」の方向だから乗せてくれた。「この暑さでは、死ぬよ!」と、軽の車であったが、ご自分の荷物を整理して乗せてくれた。

祭りの催場では、多くの馬と観光客でにぎわってた。
青森から来たという年配の人と話をした。瓦礫を受け入れるための視察の途中だとのこと。いろいろとお話を伺っていたが、やはり「利権」というものが大きな力を持っている。また、原発自体の構造的欠陥も知っていた。その上で、原発の存在、利権の存在などがあり、庶民的感覚では計り知れないものがある。

「野馬追い」の祭りは始めてみたが、間近で見る馬の迫力に圧倒された。
馬の生きている。人も生きている。自然というものは、存在するすべての存在が構成しているものである。

ホテルはない。
地元の人曰く、「野馬追い」の催し場の丘に、屋根がある所があり、トイレも水道も通っているから、そこで野宿すればよい!と、アドヴァイスされた。「野馬追い祭り」の三日目は、他の場所で行うから大丈夫との事。ざっくばらんな人たちである。
荷物を引きながら、人々が帰った祭り後に行き、屋根のある所に陣取り野宿。
そこで見た薄暮の景色はすばらしい。
靄がかかった山が水墨画のような雰囲気を醸し出している。そして、空には多くの星が瞬いている。都会では見られない夜空。

7月30日
不動産を回った。
不動産や曰く、「県がほとんどの空き部屋を借りとっているから、私のような移住希望者は順番待ち」だそうです。
まあ〜いろいろな動きがあるから失望はしていない。知り合いに連絡を取ろうとしたが、連絡が取れなく一時的に南相馬市を後にする。

とにかく暑い・・・!!!

7月31日
南相馬市を後にして仙台に泊まった。
仙台から松島海岸に行く。
松島海岸では、地元の人は、「地震の揺れはすごかったが、津波被害はそれほどでもない」という。それほどでもないが、観光地の旅館、土産物屋は軒並み床上浸水をしている。しかし、他の地域のように津波で家屋崩壊などの被害がない。旅館のご主人のような方は「揺れはメリーゴーランドに乗っているようだった」と。漁業関係者の方は、「島が防潮堤の役目をしてくれた」と。松島の海底は遠浅の様な構造であるらしい。津波のベクトルが放散したのでしょうね。

この日は松島海岸の屋根のある休憩所で野宿。
ビールと食べ物を買って来て、月を見ながらの野宿。なかなか風流なものです。が、薮蚊と夜中に若者が近くで花火をしている。

8月1日
あまり眠れなくて、寒くて、用意していたスキー服を着た。
松島海岸駅から代行バスが出ているのを知った。代行バスに乗り、電車を乗りついて石の森市に着いた。石の森市では「鎮魂の川開き祭り」が行われていた。石の森市では、およそ4000人の方が犠牲になっているとのこと。地震と、その後に来た津波の為に。特に、津波の犠牲者が多いとのこと。市内では多くの市民が祭りを楽しんでいた。市内を歩いている時、不意に涙が止め処もなく流れ落ちてきた。訳が判らない。気持ち的には、悲しくもなく、怒りもない。ただただ・・・涙が流れ落ちてきた。
石の森市で犠牲になった方が憑いたか・・・!?その方の感情はわからないが、悲しみや苦しみ、怒りの感情は感じなかった。鈍感な私は、感情的には判らないが、身体が反応している。歩けなくなったので、汗を拭く振りをして立ち止まり涙を拭いた。
その夜は、石の森市の避難所になった、「日和見山」で野宿した。夜、屋根のついた休憩所で横になっていると、若者たち(男性3人、女性2人)が遊びに来た。しばらく楽しげにしていたが、突然女性の一人が過呼吸症候群を起こした。すると、他の女性も起こしてんやわんやの大騒ぎとなっている。過呼吸症候群は心理的なものがあるが、発作を起こす目に、女性の一人が何かに追われているような感じを受けていたようだ。
祭り、犠牲者の霊・・・そして、私の身体の反応!?
女性は感受性が鋭敏です。
だからこそ、祭りに誘われた犠牲者の霊たちが集まり、その影響を受けたことが原因であることも考えられる。眼には見えない世界と我々の物質世界は重複している。現在、その壁は薄くなっているといわれている。我々は決して忘れない。そして、眼には見えない世界の住人も決して忘れない。その存在自体が経験したことを。
恨み、悲しみ、妬み、憎しみに囚われる魂。その感情を浄化できている魂。色々な存在が重複した世界を行き来している。


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 ■ 2012/08/08 (水) 8月8日


今日は移動日。
宿泊先の八戸は曇り空。雨に振られてはまた困るから、今日は八戸から盛岡まで電車に乗った。普通電車の旅。車窓に流れる田園風景、山の緑を楽しみながらの旅。
八戸のホテルではコインランドリーがなく、洗濯物を溜めていた。盛岡のホテルにチェックイン。早速洗濯をし、大浴場に入り休養。
今日、明日は休養日に当てる。

さすがに3日連続の野宿は堪える。
雨が降らなければ5〜6日の野宿を予定していたが、雨に降られ断念。無理はしない。身体を壊すのが目的ではなく、被災地を歩いて回るのが目的。昔の旅人を思う。

7月28日は・・・!?
福島県の「野馬追い祭り」。
道路を闊歩する馬の行列。
多くの観光客が訪れていた。
しかし・・・南相馬市の街の雰囲気は・・・。
とある男性と話をした。
私が訪れた理由を話す。当然、震災と放射能に行き着く。静かな、そして激しい怒りを表している。とある字老婦人は、よそ者の私に対して、はじめは穏やかな話振りであったが、震災と放射能の話になると、表情が変わり・・・!!!。多くの人の心に、大きな傷を残している。震災、放射能だけではない。日本政府の動きに対して!!!

この日は、初めのホテルの友人のホテルを紹介され、宿泊する。


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 ■ 2012/08/07 (火) 8月7日


今、八戸市のホテル。
昨日まで3日間野宿をした。
岩手の宮古市の駅から歩き始め、2日間は歩き通し。荷物を引きながらの歩き旅。被災地では、地元の人の声を聞くことができる。荷物を引きずっていると、色々な方から声をかけられる。地元の人、サイクリングで回っている人とね。昨日は地元で工芸品を創作している人に拾っていただき車に乗せていただいた。そして、私が荷物を引きずっている姿勢のわけを話すと、東洋一の防潮堤が破壊されたという「たろう」地域に連れて行っていただき、解説を受けた。津波は凄まじいまでの破壊力です。その方は、昨年の震災後、周辺を見て回っていたという。悲惨な死体までも目にしている。決してマスコミには載らない情報です。

しかし・・・昨日は参った。
一昨日に国道45号線をひたすら歩み続けた。岩手県の村を通して歩いていると、一地域にはコンビにも自販機もない地域にである。このときには、私自身水の保有が心細く、必死で自販機を探したが、暗くなるにつれて、暗くなるけれども光というものがなくなってくる。その反面、空には星星が輝き始める。都会では見られないような星空。そして、水は諦め、村道にシートをひいて野宿。二日目は、この時の経験を生かし、しっかりと水は確保したが、国道が山道に差し掛かり喉が渇いて仕方がない。水は用意していたが、山道を登るにつれて、空からはゴロゴロと言う音と、怪しげな雲行きになった。そして雷雨。山の中で雨にあった。一時の雷雨であったが、山の中だけにちょっと・・・という感じである。この日は駅で野宿する予定であったが、地理不案内であり、どのように進めばよいかはわからない。大きな不安はなかったが、一抹の不安感はある。その時には「水」は残り一本であった。

地元の人に聞いて、三陸鉄道の駅の場所に居り付いたが、無人駅、自販機もなし・・・!?オイオイ・・・!?
しかし、しばらくすると、その単線に響いてきた音がある。光と共に、走る音が聞こえ、私は内心狂喜した。私は、野宿する用意をしていた荷物をまとめ飛び乗った。終着駅は「久慈駅」。久慈駅まで歩くつもりであったが、何も考えずに飛び乗った。久慈ではお祭りシーズンにあったお祭りが行われていた。そして、ホテルは満員。久地駅のベンチで寝た。

なかなかの無職旅を続けている。
7月26日に旅たってから半分は野宿。今日は4日ぶりの風呂と布団にありつけた。


7月27日は・・・
京都から仙台まで新幹線で移動。
荷物が多いので、新幹線の自由席の車両のドアからは乗りづらい。指定席車両に幅の広いドアがある。そのドアから乗り込み、ドア近くに立っていた。車掌が見回りに幾度も通っている。ある時、「この荷物は、あなたのですか?」と、問われ、「そうです」と答えると、「立ったままだから疲れるでしょう!?」と。一応の人物チェックだと思うが、私は切符を出して検札を受け、「荷物が大きいからここにいます」と答えた。東北新幹線でも幅の広いドアがある指定車両に乗り込んだ。

仙台からは常磐線に乗り換えた。常磐線は途中震災の影響で不通になっている。代行バスがあるが、普通のバスならば乗れないから、係りの人に尋ねると、観光バスを使っているから大丈夫との事。列車・バスを乗り継ぎ南相馬市へ・・・。
南相馬市では「野馬追い祭り」の前夜祭だった。今は夏祭りシーズン。
たまたまシングル一室が空いていたビジネスホテルで泊まった。
南相馬市では3日間滞在し、野馬追い祭りを見ながらの部屋探し。しかし、不動産屋の話では、ほとんどの部屋を県が借り上げているらしい。ほかにも私のような移住希望者がいるらしいが順番待ちの状況。

なるほど・・・!???

この流れに沿って、私は第2プランに従い、被災地めぐりのコースに乗った。


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すぴ子 思ってた以上にやまとさんの荷物が大きいみたいだと知った時は・・・内心驚愕(旅のスタイルにしては困難そうだもの!でも新幹線に乗ったんだよね!?)。すぐにアパート見つけて生活することも考えていたから、捨てずに持ってきた品々があってそうなったの???今日まで旅を共にしてきたから、情もわいちゃって別れがたいかもしれないけど・・・ここで腹をくくって“断捨離”なんてどう?もしくはすぴ子トランクルームに預けるとか?笑。どうぞお気軽に。応相談。 (12/10/22 23:10)


 ■ 2012/08/03 (金) さんさ踊り


岩手は盛岡のさんさ踊りのパレードをはじめて見た。
女性優位の祭りですね。
踊り、太鼓、笛・・・など、女性が主役となっての祭りです。女性が輝いている。幼稚園児から老女までが輝いている。多くの女性が太鼓を抱えて、叩き踊っている。

今後の世界を物語るようです。


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 ■ 2012/08/03 (金) ・・・!?


岩手県盛岡市では「さんさ祭り」が行われている。

7月26日は・・・

大阪のマンション売却の最終決算日だった。
とある銀行で、売り手である私と買い手、不動産屋と行政書士が集まり、最終決算をした。ところが、銀行屋の手違いか!?システム的なものなのかは解らないが、時間になっても買い手側の入金がなかった。買い手側の方は、非常に恐縮し、銀行に何度も交渉しに行った。私的には、この動きがどのような意味があるのかを考えていた。お金が入らない動くに動けない。決算で1300万円くらい入る。このお金を持っての放浪の旅に出る。
結局、大いに遅れて13時近くになって決算ができるようになった。決算を終わり、荷物をまとめて魔界都市の大阪からの脱出と意気込んでいたが、住民票の転出届を出すのを思い出した。荷物を引きながら市役所まで転出届を出して、イザ!出発!

時間が時間だから、今日は阪急線で京都まで行き、京都に一泊した。


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すぴ子 マンション売ったり買ったりしたことないから、その日の様子を読んでるだけでドキドキしちゃう!この頃すぴ子は思ってたの。やまとさんって色々やることあって(片付けとか掃除とか手続き上のあれこれとか)大変でも、そういうこと掲示板の方には一切書かないで、独り黙々とこなす人なんだなーって。そういう所もカッコイイの。単なるPCの前に漬物石みたいにドッカリ座りこんでペラペラ言葉を連ねてるだけの人じゃなかった。やる時はちゃんとやる人なんだって。ますます好きになっちゃった♪ (12/10/15 18:11)


 ■ 2012/08/02 (木) 無職の放浪日記


無職の放浪日記です。



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すぴ子 無職の放浪日記ファン一号です♪どうぞよろしく♪ (12/10/11 22:19)


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