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無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2013/03/02 (土) 言葉と感性と民族性と土地


以前メモしたが、ここの所考えている事がある。
現在、英語学習についての誘導・刷り込みがある。私は、外国語を学ぶということ自体を否定しているものではありません。今の社会の流れを危惧しているだけです。単なる妄想ととっていただいて結構なのですが、出来得れば、一人ひとりが考えてもらいたい。

前回は、狩猟民族と農耕民族についてさわりをメモしたが、今回は、明治前の日本を考えてみたい。明治以前は、士農工商の差別化が行われていた。それぞれの階級によって、生活態度、言葉使い、躾、教育などは異なる。
幼い時からの教育や躾などは、大人になる上において、大きな影響を与えるものです。それは、感情面にも大きな影響を与えます。このことは、脳組織の形態つくりにも大きな影響を与えるものだと思う。ニューロン形成です。もちろん、血統による遺伝的なものも大きいでしょう。

しかし、育ちが成長する上において、非常に大きな割合を占める事は間違いないと思う。言葉に含まれる韻というものが、言葉を理解するだけではなく、感情面における決定的な働きがあると思う。情調豊かな性情を形作る。言葉が乱れると、行動が乱れ、規律が保ちにくいというものです。このことは、感情面に大きく作用するからこそ、自立失調のような社会を作り出すのではないかとも思う。

士農工商の社会で、一番責任を負っているのが武士階級でした。身命をとして名誉を守るという事が、幼い時から徹底的に教育されてきている。農民は、ただただ働くことを欲求される。工人(技術者)は独特の技術を伝統的に守り、商人は、商売における社会の経済を動かす才覚を持つ。それぞれに、特徴ある社会の性格を作っている。

(なんか途中中断)

井口博士のサイト http://quasimoto.exblog.jp/19881250/

なんだかな〜と思う。
何が本当のことであり、何がそうでないのかをしっかりと考える必要があるが、かの国には、「羞恥心」「謝罪」という文字はないようだ。「責任転嫁」と「逆切れ」の民族ですからね。
言葉と感性と民族性と土地(土壌)がよく現れている。

日本の一大事 http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1303-01.html
溶け行く日本人 http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1303-02.html

WW2後の愚民化教育における結果ですね。
しかし、東北地方を歩いているときに、地域全体で掃除を奨励している動きと挨拶の励行を喚起する看板をよく見た。日本のよき伝統を取り返そうとする動きなのかもしれない。私のように、ホームレスのような風袋のへんなおっさんにも挨拶をしてくれる子供たちがいた。東北地方の純粋な心が表れていると感じる。都会ではそうは行かない。警戒され、排除対象になりますからね。このような気持ちは大事にしたい。

現在の社会は、本当に混沌とし錯綜しています。今後は、国という小さな枠にはめた考えを捨てる時が来ると思うが、現在の状況では、日本という国を大事にしなければならないと思う。


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