日記HOME TOP タイトル一覧 月別 


爺放談


 ■ 2008/10/06 (月) 波乱万丈2


私の義理の両親について書きます。
父は大正13年生まれ満州帰り、その後大阪で運送業で従事した後タクシー運転手となり、個人を取得。
母は昭和2年生まれ、大阪で、やはり貧乏な家庭の4人兄弟の長女で学校も行かせて貰えず、小さいときから大人と混じり過酷な労働をして家計を支えてきたと聞きます。
そんな二人の出会いは、父の職場の上司のススメで写真見合いだったそうです。
父も母も一度も会わずにお互いの上司の勧めを快諾し、それから直ぐ結婚に至ったそうです。
それからは父の仕事は順風満帆で二人でお金を貯め、父はそのお金で個人タクシーの資格を取り、自営として営んでいきます。
そんな中で授かった子供は女の子二人と男の子が一人で途中から私が引き取られました。
順風満帆だった家庭を一転させたのは、父の病気と事故によるものでした。
突然の黄疸、体が思うように動かないのにも関わらず無理をした結果、深夜の事故。
それからは、父はほとんど仕事が出来ず、床に臥せっている日が多くなり、この日から家計を支えてきたのは母と兄弟3人でした。
私が引き取られたのはその後だったので、両親が施設に帰そうとしたのは当たり前ですね。
それから直ぐに姉二人は嫁いで行き、兄も大学で家を離れ、私はまだ小学生で、家族3人で暮らしていくようになりました。
母の仕事は豆腐屋で、朝が早く、朝4時に起きて仕事に行き、夕方帰ってきては内職の準備で夜は1時まで毎日仕事をし、息つく暇もないぐらいに働いていました。
そこまで仕事をしなければならない理由に、父の作った借金があるのです。個人タクシーになった時、これから稼ごうと思った矢先の病気と事故、当時、車は大変高価で、その時の借金が重くのしかかっていたからです。
そんなことも知らず、小さいとはいえ私は母にわがままをよく言ったと思います。
その時の母の気持ちを考えると・・・
私が社会に出てから、色々と分かったことがありました。
その中の一つに、私が小学校に入り高校までの間、担任の先生全てに母が言っていたことがあったことでした。
母は「この子は私の子です。紙には養子と書かれているでしょうけどそんなことは気にせず、他の子供と一緒に扱ってください。お願いします。」と・・
私はこのことを社会人になって高校の担任の先生に挨拶に言ったとき聞かされ、またそのことを小学校の担任だった先生にも会い、母は同じ事を言っていたそうです。
私はこのことを知ったとき、愕然とし涙が溢れて止まりませんでした。

もう一つに、姉が私に言ったことで今も鮮明に残っているのは「私は父のような人とは結婚しようとは思わなかった」と言いました。
そう思うのには理由があり、個人タクシーになるのを大反対してたのにもかかわらず、父が押し切ったからです。
その前の職業が順風満帆であったから余計でしょう。その上、毎日母や兄弟が一生懸命家計を支えている間も、ずっと寝ては起き、母にわがままを言い放題、いくら病気とはいえ日常生活にはそれほどの支障は無いのです、しかし母もなんの愚痴もこぼさず父の世話をしている様子を姉達は、父にも母にも苛立ちを持っていたのでしょう。
私自身、小さいながらも、母が何故ここまで父に尽くすのか分かりませんでしたから姉達が思うのは当然でしょう。
やはり、父や母の年代は離婚はしにくく、「仕方が無い」で夫婦生活は続けていくものなのか?おまけに、母は恋愛など浮いたことなど全く無い写真見合い、「我慢と惰性」が当たり前で続けていくものなのか?
姉達は、このような夫婦生活を受け入れ難かったようです。
そんな父も65歳で肝臓がんになり余命1年との宣告を受け、結局70で他界しました。その5年間も母は一生懸命仕事をしながらも父の世話をし、近所に長女の姉が住んでいたので交代で父の世話をしていました。
そしていよいよの時、父も最後が近いので医者が病院から我が家へ戻してくれた時です。
私も母から連絡が入り、その時は家に居ました。その時の事です。
父が「お風呂に入りたい」と言い、母が肩で担いでお風呂に入れてあげていました。
私は心配で近くで様子を伺っていたとき、風呂場からの会話を耳にしたのです。
これまで一度も父が母に優しい言葉や謝った事など聞いたことがありませんでしたが、父が母に「いままでごめんやで、かんにんなぁ」と言いました。
すると母は「なにいうてんのん、夫婦やないの。」と言いました。
私は間違っていました。「仕方が無い?我慢?惰性?」全然違う、これが夫婦なのだ。
長い人生、良い時も悪いときもある、たまたま父と母は悪い時が長かっただけなのだ。
父も母も恵まれたことなど一度も無い、しかし、そんなことを一度も言ったことは無い、幸か不幸か?そんなことを考える余地も無い、小学校すら出ていない母はよく言っていた、「うちはアホやから字も書けんし、難しいことはおとうちゃんに聞いて。」と。
母はまぎれも無く、父を愛していたのです。

私はこの両親に引き取られた事を一番誇りに思い、また、誰よりも一番幸せだったことを記して最後にします。



お名前   コメント

ホームレス めとろんさん、早速の返事有難うございます。感想などは要りません、めとろんさんに読んで頂ければ幸いです。 (08/10/07 07:00)
ホームレス 潮さん、コメント本当に有難うございます。潮さんが言うほど私はまだまだです。人生で一番大切なことをこれからも探し続けてますが、まだまだ煩悩という敵が手強くて負けてばかりですよ^^ (08/10/07 04:09)
ホームレス サイコロさん、稚拙な文ですが、これを読んで頂いたことで、この感想が、私には一番嬉しい事です。本当にありがとう。 (08/10/07 04:02)
ホームレス ダメオさん読んで頂きありがとうございます。あなたの仰るとおりですね、私ほど人との絆で助けられた人は居ないでしょう。ですので、身に染みて感じることが出来ます。 (08/10/07 03:44)
 ホームレスさんは人生でいちばん大切なものを知っているようですね。涙で洗われた眼には真実が見えるのです。 (08/10/07 03:33)
サイコロ 私も家族を大事にしようと思いました。 (08/10/06 23:04)
めとろん 昨日もですがあまりにすごすぎて感想がかけません。ホームレスさんの両親にはとても敵わないです。貴方が幸せなのは間違いないと思います。 (08/10/06 19:09)
ダメオ 幸せは己の心にしかないし、また人との絆の中にしか見出せないですね。ご両親を一番誇りに思えるホームレスさんが羨ましい限りです。 (08/10/06 14:17)


[前] 波乱万丈3 | [次] 波乱万丈


爺放談TOP

タイトル一覧 月別