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日々の記録


 ■ 2005/09/29 (木) 9月末は、絶望・・・・・


 4月8日の日記で私は、「スター・ウォーズ エピソード3」が公開される頃や愛知万博が閉幕する初秋になっても云々と書きましたが、もう9月末になり「スター・ウォーズ エピソード3」が日本で公開されて2ヶ月以上が経過し、愛知万博に関しては今週の日曜日に大好評の内に閉幕しました。私にとってはどちらにも縁がありませんでした。自分は子供の頃から最低道を歩んでいる事もあって、映画は別としても万博のような多国籍レベルでの大規模なイベントとはかなり縁の無い人生を送っているようにも思えてなりません。

 同じく4月8日の日記で私は自分は注意された程度で感情を爆発させてしまうといった事やこのままでは成長する見込みも無く堂堂巡りに終わるのではないかといった事を書きましたが、それから半年経った現在を見るとその頃に比べて変化はあまり見られないとしか言えない状況です。

 実はこれを書いている今日も親の手伝いで小包を郵便局にまで持っていったのはいいのですが、そこで何時頃までに届くのかといった事を聞かずに郵便局の人に全て丸投げしてしまった事を注意された事に対して理解して注意すればいい所を逆に自分の感情を爆発させてしまい、家庭内勘当状態になろうとしています。親としては社会人としての最低限の事だけは身に付けるようになって欲しいと思っている事と、一応仕事をした事は認めて欲しいと思う自分の気持ちが平行線を辿ると最後には感情が爆発してしまい、その結果母親は匙を投げてしまいました。母親は私の昔からの馬鹿な行動に頭を悩ませており、もうそろそろ私の事を切り捨てようとしているのではないかと思えてきます。例えば家庭の中で何か問題が起こっても私は蚊帳の外、つまるところ父親と母親が問題解決をするという結果になっています。最近私は家族の中でもタダ飯食らいで自分の趣味にどっぷり漬かって、退屈凌ぎに決まりもしない就職活動をしているニートになっているように見られているのではないかと思ったりもします。私自身は自分の事を二ートじゃないと思ってはいるのですが・・・・・。

 しかし私は何やっても人を不愉快にさせるだけで人から喜ばれたりした事がありません。社会に出ればいちいち喜ばれたり誉められたりなどしないと言われればそれまでですが、自分としては最大限配慮したつもりの事が他者から見れば全然無配慮だったりする事の方が多かったりします。こういった状況を改善するという事を努力していますが、いまだにいい結果は出ていません。それどころか私は最低以上に最低な人生道を歩んでいるとしか思えなくなってきました。

 容姿がどんなに醜くても清い心があれば世の中を生きていけると思いたくなりますが、心の中身は外面にも現われるというのを痛感しています。キモオタ呼ばわりされているオタクは心も醜いという事になるのでしょう。

 私の場合は小学生の頃から性根が捻じ曲がりつづけており、それゆえに中学時代は学年の三馬鹿だとか障害児呼ばわりされるといった自分から見れば屈辱極まりないものでしたが他者からすれば言われて当然、何の非もないという時代でした。私の通っていた中学は公立でしたが、これは社会そのものであるという事を親からも言われ、中学の時に私を馬鹿にしていた人(他者から見たら正論を述べていた人)の第2、第3の人物はそれこそ社会に出たらいくらでもいるとも言われています。中学で馬鹿呼ばわりされるという事は中世キリスト教世界の破門みたいなものに最近感じられ、そいつは一生馬鹿という烙印を押されたまま社会の底辺を這いつくばっていかなければならなくなると思ってしまう時があります。嫌というほど味わった屈辱をばねに社会のトップエリートになって今までさんざん自分の事を馬鹿にしてきた連中を見返してやろうと心の中では思っていましたが、現実の私は自分の趣味や好きな事に没頭して勉強などはただやっているフリをして親の目を誤魔化す程度の事しかしてきませんでした。大学院最後の腐れ修士論文はその極北的な存在でもあり、そしてだらしない日々を送ってきた結果が今の凄惨極まりない現状です。

 もしかしたら私はスーツを着て就職活動をするなんて百年早すぎる人間なのかもしれません。実は夏休みに大学院時代の指導教授に暑中見舞いを送りそこで私が今までろくな研究活動もせず怠けた大学院時代を送ってきた事を今大いに痛感しているとの事を書いたのですが、教授からの手紙の中では暗に日雇い的な仕事からでもやってみたらどうかという感じの文章がありました。指導教授は私という人間が学歴に見合っただけの中身を持っていないという事を見抜いていたといえます。今親と家庭内勘当寸前の所に立たされている私にとって、教授からの手紙を読み返すと涙さえも出てきます。院時代の同期の人達はおろか、指導教授でさえも私の就職について面倒を見る事が出来ないと言われているに等しい状況です。おまけに今の私はカップラーメンが買えるだけの働きを見せる事の出来ない程おろかな人間であったりもします。自分は今まで自分の人生を、人気エンターテイメント作家や人気ミュージシャン、漫画家やアニメ制作者といった一種のカリスマ性のある人物によって導かれていくものと思っていた時期もありましたが、最早私はある意味で孤独な人間になってしまいました。自分の人生は自分で切り開いていくというのは当たり前な事ですが、自分にはもう親しく接してくれる人物とは恐ろしいほど疎遠になってしまい一体これからどうすれば良いのか分からなくなってきました。このままでは親が構ってくれない事にさらに激昂して、さらに近所迷惑な事をしでかすようにも思われます。





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ぺけぽむ とりあえず働きましょう。働いたからと言って孤独が癒えるとは思えないんですが、これまでやってみたことのないことをやってみた方が良いかと。たとえありついた仕事がどれだけ「トップエリート」らしきしごとから遠いものだろうと、それは今の貴方が社会から受ける正当な評価です。社会の底辺に落ちるというのはそういうことだと思います。貴方はまだ自分に見合った仕事にすら就いていないというのは、結局そういう現実に行き当たるのを恐れているのではないですか? (05/10/08 14:50)
アニキ ここまで皆が応援してくれているのですから、もうバイトでも何でも「とにかくやる」しかないでしょう 一番悪いのは「振り出しに戻る」です  (05/10/05 01:06)
(´・ω・`)しょぼんぬ 久しぶりです。相変わらずの長文が健在でよみごたえがあります。1日ずつ、やれることをひとつずつやっていけますように。 (05/10/04 23:01)
 ぐだぐだ言う暇があるなら動く!!俺なんか両膝が痛いし親不知はあるは胃炎はまだ治りかけで今無職で職探し出来ないのだから。君は体は動かせるんだろ?贅沢な話だよ。友人が何年かプーでそのあとアルバイトを続けて最近正社員なったんよ。君より頭も切れる人間やないだろうけど行動力は見習わないとあかんなと思う。まだ君は若いのだから頑張れ!!あと激昂するんは心が不安定だから一度精神科でカウンセリングした方がいいと思う。 (05/10/02 19:34)
サンテレビ 阪神が優勝したので頑張れ!! 37歳の金本や矢野や下柳はあんなけ頑張ったのだ!!それにくらべれば君はまだ若い!!頑張れ! (05/09/30 16:36)
みゆ そんなに落ち込まないで、がんばれ!! (05/09/30 14:12)
にくみそ きっと今はどんなに肯定的な事を伝えても、逆にそれを否定してさらに自分を追い込んでしまう時期におられるのかなと思いながら拝見しました。履歴書に並べるような経歴や周囲の評価ではなく、あなたの目であなたを見れるようになると道が開けるように思います。「趣味や好きな事に没頭」できるのは素晴らしいことです。そこから見えるものがあるはずです。たとえ、周囲から見たら現実逃避だとしても。 (05/09/30 10:57)
韮山 自分のことだけではなく、人のことにも興味を持ってみたら? 母が、何を小包を送ったか、あなたが知ろうとしないからそういうことになると思う。 「ちょっと、小包届けてきて」 「ふーん、何これ?」 「誕生日プレゼント、明後日なんだ」 「じゃ、明後日着指定しとくよ」 と、 普通の会話をすれば自然と到着日は気になりますよ。 あなたが思っているほど、世の中は難しくないと思う。 (05/09/30 01:15)
わっし ひととしゃべらなくてはいけない場所に自分を追い込み、何でもいいですから、始めてみてはどうでしょうか? (05/09/29 21:51)
 とりあえず、就職活動するよりもアルバイトをして世の中の仕組みを知るべきだと思うよアルバイトならいくらでも雇ってくれるからいまもしあなたが就職できても数年で辞めることになるんじゃないかな だからバイトしなよ とにかく社会に慣れることだ (05/09/29 20:57)


 ■ 2005/08/31 (水) 8月最後の日記


 もう8月も残すところ1時間を切ってしまいました(これを当日記に自分のWordからコピペした時間は8月31日午後11時10分頃)。結局今年の夏も私にとってはいい事無しの夏で終わったとしか言いようがありません。天気予報では9月に入ってもまだしばらくは30度を越える猛暑の日々も続くと言われていますが、8月を有効活用出来なかった以上はいい夏だったとは言えません。10代の頃は宿題を夏休み後半に溜め込んで一部は9月最初の授業にまでずれ込んだものもあったり、高校では予備校に通わざるを得ないほどダメな高校生だったので補習のために多くの時間を使い、大学以上はなんとなく講義を受けるといった毎日を送っていたため、8月から9月の間の長期休暇を有効利用する事など出来ませんでした。しかも私は友達という友達がいなかったため、一緒にどこかに出かけるなんて事もしませんでした。

 私の現在の窮状を考えると、大学・大学院の8年間以上に義務教育期間における怠惰な日常にまで遡る事になります。その頃の私は、クラスの中でも一緒にグループ行動したくない人物としては最右翼と見られているような感じでした。その頃の私の性格は今になっても改善されていません。性格はほとんど変わらないまま、自分の好きな物事に対する知識吸収量だけが増大しているという感じです。集めた知識が現在の就職活動において役に立っているのかと聞かれても、ほとんど役に立っていないとしか言えません。

 8月初めの日記にて、私は社会人生活に順応できるよう朝方の生活にシフトしようとして悪戦苦闘していると書きましたが、一月が経とうとしている現在でも慣れてきたかと言えば決してそうとは言えません。月曜から土曜までの6日間は朝の7時半頃に起きる事を心がけ(本当は7時丁度くらいに起きた方が良いらしいのですが)、日曜は休養日として10時頃ないしは11時過ぎに起きるようにしています。しかしながら就寝時間が夜中の2時過ぎだったりする事もあって、実質睡眠時間は5時間程度、人によってはこれだけ寝れば十分と言う方もいるかもしれませんが私の場合は起きてから1時間半程度は頭がまだ半分眠っている状態であって、そういった日々を過ごす事によって週末は疲労が溜まってしまっています。これを書いている今も疲労がたまって、今日一日半分眠っているような感じです。

 まだまだ私は気分次第で日々を過ごしているように感じています。学生時代は意欲的に勉学に励んでいた訳ではなく、一種の強迫観念に駆られて何となくやっていたようにも思っています。知的好奇心あってのものとは決して言えませんでした。今の生活はどうかと言えば、強い意志をもって行動している様にも思えなかったりもします。27になっても親の顔色を窺いながら生きているようにも思えて、情けなくなる事があります。

 やはり友達がいないというのは人間の一生において大きなマイナスポイント以外の何物でもないという事なのでしょうか。今の時代はネット等を使えば多くの物を知る事が出来ますが、人と人との付き合いの中で知る物は質の面で違うのではと思う様にもなりました。10代の頃の私は相当な偏屈者で友達なんかいなくても好きなラジオやテレビの番組を視聴していればそれでいいといった一種の幻想を抱いていました。もし私が遅く生まれていれば今頃はネット中毒になっていた事でしょう。大学進学以降はゼミなどで割と親しく声をかけてくれた人もいて、人付き合いが苦手な自分であってもこれは上手く付き合えるのではないかと思いましたが結果は卒業したらそれ以降は疎遠といった感じになってしまいました。前にも書きましたが、ゼミ時代の同期の方に近況報告を兼ねてメールを送ってみたりしたのですが、メールを送った人達は新しい環境に慣れる事に忙しい等の理由か返事が返って来なかったりしています。生涯かけて友人でいられるというのもなかなか難しく思えます。知人という分にはいくらでもそう言う事は出来ますが。

 このような事より友達が作れないというのは、社会において集団で行動する際には無意識に他人の足を引っ張る事もありうるのではと思う事があります。人に多大な迷惑をかけまくった結果が今のどん底状態である事を思うと、少しでも人に迷惑をかけず、自分の責任を果たす事の出来る人間を目指す事は今の私には必須であると考えています。


 さて最初に書いた近年の夏は何もいい事がないという事に関してですが、自分としてはこんな怠惰な夏なんて本当に御免こうむるというのが今の心情です。海外はおろか国内旅行(関東近郊を含め)も出来ないというのは自分が世界の広さなどを知る機会を失っていると考えられるでしょう。怠惰な生活しか出来ない人間は怠惰な人間として人生を浪費する事になる、そう言ってもいいのかもしれません。



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ぺけぽむ 職場から書いています(これ、給料泥坊かな?)。 社会でると大学の友人なんかとは会いにくくなるもんです。環境に慣れるのに精一杯になるからですね。これは別に珍しいことでもなんでもないですが。ところで、いっそ、就職活動を中断して、長い旅行に出るとか、これまでやったことのない冒険をしてみたら働でしょう。例えば、自転車で九州の南端までいって帰ってくるとか、そういう金のかからない手段で。環境のほうをがらっと変えて、ぜんぜんしたことのない経験をしてみると世の中が変わって見えてくるかもしれません。なんとなくですが、これまでのことばかり書くのに固執して、あなたの話は未来のことが出て来ないから、それくらいの事をしないと未来のことへ向かえないんじゃないかと思えてくるのね。現在ってのは過去のことからだけ成り立っているんじゃなくて、未来がそこから生まれるもんです。だから、貴方の日記は、貴方の「現状=現在の状態」の半分しか書いてないことになります。ありのままじゃないんだよ、過去のことばっかりを言うのは。これからの新しい環境にへ向かうことを恐れて、慣れ親しんだ過去にもぐりこもうとしているようにしか見えない。 (05/09/11 20:48)
幸運を祈る 友達もいい面もあれば悪い面もありますけど、やっぱりいい面の方が多いですからね。人との出会いってやっぱり大切だと、本当に今は思っております。これからも、いろいろな人と出会っていきたいですね。 (05/09/03 02:32)
たか 早くモラトリアムを脱出した方が良いですよ☆もっと必死になって生きてる人を見習ってさ♪自分の責任を果たすとか抽象的なことを言うのやめてもっと身近な定量化した目標を考えた方が前向きになれるのでは? (05/08/31 23:56)


 ■ 2005/08/15 (月) 今日は終戦60年目の日だけど、自分の見聞きした話について


 今日は60年目の終戦記念日になります。毎年8月になれば戦争関連の特集がテレビなどで放送されいわば恒例行事になっていますが、今年は60年という区切りのいい節目の年だけに例年以上に大々的にも感じられたりします。60年という時間は、人類が辿ってきた長い歴史からすればほんの一瞬かもしれませんが、それでもその間における万物の変化は著しいものがあると感じられます。思えば10年前の1995年は戦後50年と言われていましたが、それから今年に至る10年の間にも様々な意味で色々な物が変わっていったように思われます。

 10年前私は高校3年生。頭の中は受験の事で一杯でした。しかし私は中学3年の時に必死に受験勉強をして、何とか合格できた高校でも3年間で自分のレベルを落としに落として、3年次には私立文系にしか進めないくらいの状況でした。大学選びでも国公立や私立理系は無理という状況にしてしまった事は、現在自分が置かれている境遇とほとんど変わりが無いようにも見受けられます。必死な思いをして進んだ場所であっても、その中でぬるま湯に漬かっているうちに自分を窮地に追いやってばかりいました。入ったときは中くらいだったものが、出る時になると下の方に近い位置にいるといった感じで(入った時がピークで後は落ちるだけともいえます)。あたかも「茹でガエル」の話、つまり蛙を熱湯の中に放り込んでも熱さで飛び出して逃げるが、水から徐々に温度を上げていくと熱湯になった事に気が付かずにそのまま死んでしまう、のように思えてなりません。学生としての責任や義務を果たす事無く、自分の好きな事を最優先にやって来た結果が現在の惨状という訳なのです。

 私がこの日記で大学院という単語を出す事は決してプライドが高すぎるからとは考えていません。自分を卑下していると言われればそうにも受け止められるかと思いますが、途中ブランクがあったとはいえ日記を付け始めて1年半、私はありのままの姿を世に示そうという形で書いてきました。ネットで大学院に関する情報やら話題などを調べてみると、最近では大学院の様相といったものも10年以上前とは大きく様変わりしている事も目にします。私が大学院に入ったのは西暦2000年ですが、モラトリアム進学またはモラトリアム院生といった単語が90年代末から使われている事も知りました。学歴ロンダリングという単語を知ったのは修了した後ですが。

 私が院に在籍していた時期は、文部科学省が大学院重点化を唱えるようになり、どこの大学でも大学院の拡充が行われ、少子化が進行している現在でも継続されており、最近では大学院入学者(修士、博士、専門職含めて)が10万人を突破したというニュースも聞きました。しかし量的には拡充が行われる一方で質の低下も進行しており、前回書いた「今の修士論文は10年前の大学生の卒業論文以下」という話も割と最近耳にしました。ネット等でも大学院の抱えている問題も多く目にするようになって、大学院重点化の目的でもある世界レベルで通用する人材育成や高度専門的職業人の養成といった意味での大学院の質と量の面における拡充ではなく、就職出来なかったあるいは就職したくない学生の受け皿になっているという現状も知りました。社会に貢献できる優秀な人材を輩出するどころか、社会から隔絶された温室のような空間に長くこもってしまった挙句社会に通用しない人間を作っているといえるのでしょう。大学側でも少子化による学生数の減少(およびそれによる学費収入の減少)を少しでも補うために、大学院の拡充を行っているのではないかという話すら耳にする事があります。

 私自身の事は別としても、こういった事を見聞きすると2020年代または2030年代ぐらいには一体日本のアカデミックな分野はどうなるんだろうと思ったりもします。聞いた話によれば、後10年先あたりまでは日本のノーベル賞の候補者は出てくるかもしれないが、それから先は保障できないというらしいです。私もその一人なのかもしれませんが、数十年後には高い学歴を持っていても収入の少ない人間が世に溢れているといえるのでしょうか。


 今回は自分の事とは違う自分の見聞きした話題を中心に書いてみました。私は自分の好きなものやら自分とは関係の無い他人(主にタレントやミュージシャン)の話などには饒舌になる傾向がありますが、日常会話ではおたおたしてしまうくせに自分の趣味や好きなものになると急に饒舌になるというのはオタク人間の典型だという話を聞き自分のその中に入っているのではないかと思う事があります。私が狭い分野に閉じこもらずに、学生時代にもっと色々な事をやっておくべきだったと思う点はこういった所にあったりします。極端な事をいうならば、二次元美女・美少女モノにはスーパーエリートであっても社会一般に即した事が出来なければ社会のゴミ、クズと呼ばれても仕方が無いという事になるでしょう。

最後に大学院の現状等について書いてあるサイトを紹介しておきます。

http://www.rui.jp/message/09/16/03_6179.html
http://tsukinomidori.hp.infoseek.co.jp/backnumber014.htm


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幸運を祈る 自分は中学3年の頃、あんまり勉強した覚えが・・・です^^;本当に学生時代とかに、色々やっとけばとか思いますよね。これからもですけど。 (05/08/20 00:02)
大人の少年 また、”大学院”などという言葉が貴方の日記から目立ちはじめましたね・・・、もう過去はいいでしょ。そんな事より、就活の事に限定した内容の日記にしたらどうでしょう?日記を読まれた方からよりためになるコメントを書いてくれると思いますよ。 (05/08/17 23:58)
ロムの人 大学院卒ってそんなに偉いの?スーパーエリート?自慢できる事?残り時間は少ないですよ?無職でいるよりは、何か仕事をしている方がいいです。 (05/08/17 19:54)
通りすがり で、キミは何がしたいの? (05/08/16 00:34)
アニキ 僕はゆうめいとのバイトを始める前まではMOTOAKIさんと同じように色々悩んだりしてふさぎ込みがちになりましたが 無理矢理にでも何かしようと思ってゆうめいとのバイトを始めました。動機は不順ですがネットで楽なバイトで検索したら出てきたからです。。 実際楽でしたが色々考えることも多かったです。正社員としてお金を稼ぎたいとか、もっといい待遇の職場に尽きたいとか・・。自分の望まない環境にいるということはとてもストレスのたまることですが、しかしそこで次のステップを見つけるまでは動かないという目標を立てると動く、あがくしか出来なくなります。火の中に飛び込んでみましょうよ プライドを捨てて  (05/08/16 00:31)
アニキ いっそのこと「現在の大学院」というサイトを作ってみてはどうでしょうか 働き始めたら学歴は関係ないと思う まずバイトでも何でも働いてみましょうよ ゆうメイトなんかお勧めです  (05/08/15 20:34)
MOTOAKI 最後に載せたサイトの上の方は今現在の所繋がらないみたいです(それどころか「るいネット」自体サーバーが現在ダウン?のような状態のようです)。今回の内容の情報ソースでもある所(私は自分のフォルダにダウンロードしました)だけに一時でも早く見られるように願うばかりです。 (05/08/15 19:29)


 ■ 2005/08/09 (火) 夏真っ盛りの今、私が思い感じ、あるいは悩んだりしている事(長文)


 7月という月はここ数年を振り返ってみても自分にとってほとんど良くない意味で印象深い月でもありますが、2005年に関していえば去年と変わった所があるのか?と言いたくもなります。ただ去年に比べれば幾分忙しかったのではないかと思います(昨年の事については日記のバックナンバーを参照してください)。就職試験等で東京やさいたま市、川崎・横浜方面にも行く事もあって我ながら忙しく感じられましたが、自分にとっては色々な意味で暇の多い学生時代に比べて家以外に所属する場所の無い現在が首都圏とはいえ移動する機会が多くなったというのはいささか皮肉にも感じられます。学部・院時代はほとんどが家と大学の往復(その途中で図書館やら都内の大型書店への寄り道が入る)の連続で、関東地方の外に出た事など数えるくらいしかありませんでした。外の世界を見ようというモチベーションが著しく低く、自分の好きな事というインナーな世界で戯れていた結果が今の自分の惨状であると考える次第です。

 結局の所7月は1日以外は日記をつける事が出来ませんでしたが、結構砂を噛む思いをしたり屈辱感や悲しさ、悔しさにさいなまれる事が幾たびもありましたがそれらを文章の形で纏め上げる事までは出来ませんでした。私の日記は楽しいあるいは明るい話題よりも、自分のネガティヴな感情を文章という形でぶつけてきましたが、ここ最近はどうもそのようにはいかなくなっているみたいです。求人に応募→試験(筆記、面接含む)→不採用の永久運動にほとんど両足を突っ込んでしまっているからなのでしょうか。


 8月に入ってもまた去年と変わらない日常の繰り返しと思うと、一日一日の生活というものが無味乾燥に思えてうんざりしてしまいます。最近のニュースでは郵政民営化がらみの国会やら戦後60年の話題は別としても、興味を引くものといえば宇宙飛行士の野口聡一氏が搭乗したスペースシャトル「ディスカバリー号」に関するニュースと太陽系の10番惑星が発見された(といっても確定されてはいませんが)というニュースぐらいです。どちらも宇宙がらみのニュースですが、実際自分の足ではいけないような遥か遠方の世界の事の方が心躍るものがあったりします。

 今の時代はネットというものがもうほとんど我々の社会生活を一部を形成しているといってもいい位で、ネットにさえ接続すればアメリカやユーラシアの事については勿論の事、百何十億光年彼方の宇宙の事についても知りたい時に知る事も出来るのでパソコンはテレビやDVDプレイヤー以上の価値を持つものである事は肯定すべきであると考えたくなります。しかし現実にはそういった便利なものが身近な所に存在しても、日常を生きる事は苦しい事やら辛い事やらでなかなか楽しみが得られる事など少ないように感じられます(少なくとも私の身の回りでは)。それこそオラフ・ステープルドンが1935年に執筆した(日本では昨年に翻訳版が復刊)1000億年以上の壮大な宇宙の歴史を描いた哲学色あるSF「スターメイカー」の主人公のように幽体離脱でもして広大な宇宙の隅々まででも渡っていけるようになれればどれほど多くのものをこの目で見て知る事が出来るのだろうかと思う次第であります。よくトンデモ本と呼ばれるジャンルの本の中で幽体離脱をしただの云々という与太話がありますが、SF小説において肉体から精神が分離して遥かなる大宇宙を旅する話などと比べれば足元にすら及んでいないとしか思えません。確か「ペリー・ローダン」シリーズの現在翻訳出版中のサイクルでは主人公ペリー・ローダンの精神ならぬ脳が超越知性体同士の戦いの中で肉体から分離させられてて銀河系から程遠い架空の銀河にまで転送されてしまうといったストーリーが展開されていますが。


 さて私個人の話になりますが、最近は日常生活において苦痛に感じられる事が度々あって何を支えに日々を過ごしていけばいいのかすら分からなくなる時すらあります。その中には人付き合いが相当少なくなった事も挙げられますが、大学院のゼミの同期の方々に関しては、「就学年度の切れ目が縁の切れ目」であるかは知りませんが幾度かメールを送ってもなかなか返事が返ってこない時もあります。向こうにも仕事や研究などがあって、終わった人間の付き合いまでに時間を割いている暇が無い事を差し引いても寂しく感じられます。むしろメールの上だけでもお付き合いして欲しいと思ったりもします(ちなみに私は知り合い相手のメールでは自分の現状を恐ろしいほど深刻に書いたりはしていません)。

 苦痛に感じられる事の中で極北的なものとしては、一般的な勤め人に見合った生活が出来ない事、自分が家の中で同じ間違いをしつこく繰り返しては親の注意(これには私が社会人になるための訓練的意味合いも含まれています)を受ける事、過失をやらかして開き直るくらいなら謝って自分の失敗を認める方が何億倍もマシとばかりに謝ってもなかなか許してもらえない事などがあります。また最近(といっても今年の4月以前からですが)ではテレビ番組(アニメやバラエティ、音楽、ドキュメンタリー、映画といったありとあらゆるもの)やラジオなどをゆっくり視聴する事が出来なくなった事も苦痛に感じられる事があります。

 現在私は、もし運良く内定を貰えていつでも勤務できるようにと朝7時遅くとも7時30分にまで起きるようにと母親から一つの目標といった感じで言われて、それを実行しようとしていますが朝早い時間の就職試験の日を除けばどんなに頑張っても8時起きが関の山だったりします。大抵の企業では9時出社である事を考えれば、8時起きというものは家から歩いてすぐの所に勤め先があるならともかく、電車に乗って4、50分程度の所ではアウトになります。しかし私は大学入学から約9年、深夜の3時や4時、場合によっては朝の5時や6時に寝て、朝は10時や11時、これまた場合によっては午後2時や3時に起きるような不規則極まりない生活を送ってきたため、まるで今日から体操選手やマラソン選手を目指して特訓しろと言われたに等しい状況だったりします。普通の社会人の暮らしをするのに、時間調整や1日のスケジュール立ても全くといっていいほど上手く出来ず、これがまた私にとって辛く苦しい現状をもたらしている要因の一つであったりします。

 最近、私は何故進学を希望して大学院にまで行ったのかを時々考える事があります。こんな事を書くと何時までも過去にしがみついていないで今現在をどうするのか考えろと言われるかもしれませんが、学歴欲しさに進学を志望したと言わざるを得なかったりします。私が進路選択をした時期を思い起こすと、その前後は入試のあり方やら何かが変わったりとか難易度が幾分下がったりといった事もあいまってか私のように不勉強な人間でもある程度の準備で入れるようになったのではと思われます。しかし入ってからがほとんど自分の好きな事しかやらず、努力を要する事からは目を背けるようになりそれが一番顕著だったのが大学、大学院の計8年間でした。私は大学院で奨学金の無駄遣いが発覚してからもどういうわけだか学校にしがみついて2年もオーバーで在籍して、お情けの修士号を貰って放逐に近い形で大学院を終了しました。ちなみに大学院では近現代のドイツの政治史を専攻していたのですが、その中で自分はワイマール共和国時代におけるナチスこと国民(国家)社会主義ドイツ労働者党の運動について研究もどきな事をして400字詰めの原稿用紙に換算して70数枚程度、参考文献や注釈を含めて90枚程度という最近新聞等で耳にするようになった「今の大学院の修士論文は10年前の大学生の卒論以下」を地で行くような内容の論文を4年がかり(といっても3年間はフラフラしていましたから実質修論に費やした時間は1年)で書いて提出しました。

 結局私にとっての大学院時代は、ナチスドイツと宇宙帝国(類義語としては銀河帝国、つまるところは宇宙を舞台にしたSFの事を言いたい訳です)と二次元美女・美少女(要するにそっち系のアニメやコミックの事)に萌えていただけなのではと考える事もあります。学部時代を含めて8年、私は職業に対する意識は皆無に等しく、今いくら一生懸命それこそ学生時代の何倍もの力を振り絞って努力しても認められないという、ざるで水を懸命にすくってお湯を沸かそうとするような事をしているようにしか思えません。今の努力が将来になって報われるという事は肝に銘じているのですが、今現在の苦境の原因が大学以降の8年間の莫大な負債であると思うと、物理的な意味での負債はともかく精神的または心理的に背負った負債というものも完全に清算するまでは一体どれだけかかる事やらと言いたくなります。ましては自分が30になった時ですら、少しは減ってもまだまだ多くの負債が残っているように思われます。あたかも旧国鉄が抱え込んだ膨大な負債のようにも見えてなりません(余談ですが旧国鉄の30兆円にも達する債務の返済は現在も進行中のようです)。

 大学院進学希望とは別に考える事としては、もし私が6年前に大学院進学の道を選ぶ事無くそれこそ血の滲む思いで就職活動をしていたら今現在はどうなっていたかについても寝る前や電車の中などで考えたりしますが、なかなか想像つかなかったりします。自分自身では就いた仕事に長続きせず職を転々と変えて、今頃は無職になっているのではないかと思う事もあります。しかしながら親に聞いてみたら、少なくとも大学院時代にやらかしたような逸脱行為はせず、もっとあらゆる事にシビアになっていたのではとの答えでした。今でも私は大学院入学の年、つまり西暦2000年に戻って人生を再びやり直せたらと思う事があります。この日記においても度々述べてきたように2002年7月の例の日までの間を考えてみても、人生の修正を行えた機会は幾度か存在していたように思っています。そういった機会を上手く活用させる事が出来たのならば、現在のような苦境は大分緩和できたのではないかと考えられます。これはあくまでも架空戦記よろしくイフの世界の話ですが。

 現在も苦しみや辛さの緩和のために色々と私は力を尽くしています。時には勘違いをして他人の気持ちを逆撫でするような事もあったりもしますが、心を込めて課題に取り組んでいくという事を実践しています。学生時代何故自分は勉学をはじめほとんどの事が上手くいかなかったのかを考えてみると、一つ一つの物事に心を込めて取り組んでいかなかった、さらにそれが自分の視野も著しく狭める結果になった、からという理由が浮かびました。こういった事が割と最近でも、家事を手伝っている際に最後の最後で配慮が届かず自分の親切な行動がおじゃんになってしまう一因であると思っています。二次元世界の住人には許される事でも、現実世界では通用しない事が多く存在するという事は承知していますが、無知や不注意からくる失態というものはいわば罪に近いものなのではないかと考えたりもします。それを思うと自分や親や親族、学生時代の関係者などに大変な負担を負わせていた事は大きな罪作りであったという事になるのかもしれません。罪滅ぼしというと極端すぎるかもしれませんが、日常生活で細心の注意を払って過ごすという意識を持つで私は失態を犯さないよう心がけている次第であります。






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とも 過去は支払済みの経費。前向きにいこう (05/08/14 09:07)
幸運を祈る 自分も学生時代もっと真面目にというか、色々な事をやっていたらとよく思います。今でも出来ると言えば出来るのかもしれないですけどね^^;なにより勉強をもうちょっとやっとけばと思いました・・・もうその時間は帰ってきませんけど、お互いこれから頑張りましょう^^ (05/08/13 00:06)
韮山 客観的に見ましょうよ。 負けたのは就職活動にであって人生にではない。 こなした面接の中で、ちょっと良かったところとか、共通していやな顔をされるところとか、ここに綴りながら整理していくと、意外と簡単に答えが出るかもしれません。 (05/08/09 22:23)
アニキ プライドは捨てて何の仕事でも良いから働きましょうよ・・・  「大学院」という語句を今後一切ここで使用するのをやめてみてはどうですか??  (05/08/09 18:53)


 ■ 2005/07/01 (金) 久しぶりの日記


 6月は結局何も書かずに終わってしまいました。これには様々な就職試験等によって自分がおそらく2005年に入ってから最も忙しい月であって、また疲労がたまってやる気が出なかった事もあります。

 書かずじまいで終わってしまった6月を除いてこの日記は1年3ヶ月つけてきましたが、皆様は私という人間にどういう印象を持っているのか考えてみる事があります。「本当に悲惨で可哀想だ」、「彼も彼なりに苦しんでいる」、「まだまだ改善の余地はある。努力次第で良くなるはずだ」、「二次元世界なら充分通用したのに」、「自分勝手な人生を送ってきたのだから今の惨状は自業自得だ」、「もう救いようが無い」というのが、あくまでも私の想像の範囲内ですが、皆様の印象のいくつかだろうかと思います。コメントを下さる方は私に努力を促すものである事と理解しています。

 自分はもう80以上に応募をして就職試験を受けてきて、5分の1近くは面接にまで漕ぎ着けた所もありますが、いまだに内定を取るところまで至っていません。そういった事から私は採用する側からすれば何の魅力も無くただ応募条件がマッチしていたから受けに来た人間としか扱われていないのではないかと思う事があります。学生時代に機会はいくらでもあったにもかかわらずに全く就職活動をせず、学校を半ば追い出される形で卒業(修了)してあわてて就職活動をしている人間に興味を持つ奇特な人間など存在しないと思えてなりません。それとも私が受けている所が難易度が高すぎて今の自分では10年、20年かけて受けても絶対には入れないところなのでしょうか。

 こういった事を考えると自分は今までの人生で何をやってきたのかといいたくなる事すらあります。親の忠告をうるさい小言ととらえ、どうでもいいテレビやラジオのトークや漫画の登場人物の言動に至上の価値を置いてきて、高校や大学、大学院を社会からの逃げ道(つまりモラトリアム)ととらえ、人の援助を頼りに自分の好きな事をやって生きていたかったのではないかと思います。努力する事自体が自分のスキルアップではなく人の歓心を買いたかったからなのではと思えてならなかったりします。

 親ですら魅力が感じられない人間など企業の採用担当者のようなプロには一目で「コイツは戦力にならない」と判断されてしまうと考えざるを得ないのでしょうか。この日記でも嫌と言うほど書いてきましたが、自分の幼稚な所が改善できない事が現在の自分にとって大きなハンデとなっている事が痛く身に染みています。自分は去年よりも今年は成長していると考えたいのですが、現実社会に一歩出ると全く成長していない事を痛感させられて嫌になります。

 最近親に「このままでは一家揃って河原行きだ」と言われる事があって恐怖というか怒りが沸いてくる事があります。確かに私の両親は勉強も出来ず、出来ることといえば他人の作った物を楽しむ事以外に無い人間に学校の勉強についていけるよう塾に行かせるためや高校・大学・大学院に多額の学費を払って来ました。しかし自分はそういった親の行為を反故にする事ばかりやってきたと最近感じる事があります。作家やアーティスト、クリエイターの方を潤しても自分は干からびるだけという事を何も考えずにやってきていたのだなと思いたくもなります。ただ私は河原や路地裏で衰弱死したくはこれっぽっちも思っていません。


 久しぶりの日記となりましたが、私は相も変わらないダメ人間としての人生を送りつづけており、「何らかの変化があったのだろう」とお思いになる皆様のご期待には添えかねる事は出来ないのではと思います。今年も半分が終わってしまいましたが、私の前途はまだまだ不明瞭な所が多く存在するように思えてなりません。



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ころころ >それとも私が受けている所が難易度が高すぎて今の自分では10年、20年かけて受けても絶対には入れないところなのでしょうか。そういう意識があるなら入れるところを探すのもひとつの手ですよ。妥協したくないのかもしれませんが、院卒(それも二年留年してますよね?)で、修了して1年以上経っている職歴の無い人間が競争率の高い企業に採用される可能性は残念ながらかなり低いですよ。全く興味が無い仕事に就けとは言いませんが知名度や規模にこだわらず就職先を探すのも良いんじゃないですか。確かマスコミ関係に興味があるんですよね。それなら転職も比較的容易ですし。頑張ってください。 (05/08/05 19:47)
ぺけぽむ 「合う、合わない」ももちろんそうだけれど、仕事で強みになる何かを持ってないことが自信のなさになっているかも。面接でもそれが顔に出るだろうし、資格などもなければ履歴書も書くことが少なくて寂しい感じになるし。単に資格を増やせば言いわけでまったくないので資格を取ることを進めはしませんが、なにか強みになるものを見つけないと前向きになれないと思う。弱点は単に鍛えればいいので、それ以上に自分に出来ることを具体的に作る・探す必要がありますね。自分のいい面に自信を持つのは、弱みに直面するよりも精神的な体力や思考力が必要かもしれない。でもまあ、MOTOAKIさんならできるでしょう。それだけのストレス状況でも持ちこたえられるなら、プラスのプレッシャーにも耐えられると思う。就職活動以外の面でも、自分に興味の持てることの中で、広い社会とのつながりのあることを見つけられたらいいかもしれない。 (05/07/11 23:32)
幸運を祈る 自分からみたらダメ人間とは思えませんよ^^こんな自分に言われてもあれかもしれませんけど・・・お互い頑張りましょう^^ (05/07/10 21:26)
大人の少年 元気でしたか、率直に年金税とか健保税とかどうしてるのかな・・?  後は、自分との戦いです。 (05/07/06 22:37)
free はじめまして。はじめましてなのにこんなことを言うのも失礼なのかもしれませんがMOTOKIさんはとてもよく頑張っていらっしゃると思います。少なくとも自分には「ダメ人間」には見えません。そして河原に行かなければならない方ではないと思います。自分に厳しいことは素晴らしいと思いますがご自分を「ダメだ」と決め付けるのはとてももったいないことのように思います。・・・長々スイマセンでした。 (05/07/02 02:46)
韮山 4.その正しさを正確に理解したうえで、「世の中そんなものだな」と達観する余裕は持てないものでしょうか? 「悩んでいない」人よりは相当に見込みのある人だと思うだけに、そこだけ足りないのが残念です。 (05/07/02 00:04)
韮山 3.大学・大学院はどこまでいってもやはりモラトリアムだと思います。ご両親も人間なので感情的になり論理的な「忠告」の域を超え、多分大部分が「小言」になっていると思います。 あなたは基本的に正しいです。 (05/07/02 00:02)
韮山 2.学校選びと違って「難易度」が真っ先にでてくるのはやっぱり違いますよ。全くゼロではないけれど、本当の意味で「難関」といえるのは、それこそ東大法学部しか採っていないようなごく一部の偏った会社だけ。それ以外から選ぶなら、単純に「合うか合わないか」。つまり「お見合い」です。 お見合いに行って、「自分の狙いは難関だ」なんて言わないでしょう? (05/07/02 00:00)
韮山 1.80しか応募しないで結果を得ようとしても厳しいですよ。私は半年でしたがやっぱり100以上応募しました。 (05/07/01 23:57)
・・ おいなんだか自殺でもしそうな危ない雰囲気じゃねえかよ プライド捨てて金を稼ぐ事考えたら?おまえさんならネットで稼げるんじゃねえかい? (05/07/01 19:58)


 ■ 2005/05/09 (月) ドイツ降伏およびヨーロッパにおける終戦記念日に思う事


 昨日5月8日はドイツが第二次世界大戦にて連合国に降伏してからちょうど60年目の日でありました。ドイツをはじめヨーロッパ各地では(ヨーロッパ戦線における)終戦記念の様々な行事が開かれ、そして今日5月9日はテレビのニュースでも流れていましたがモスクワにて対独戦勝60周年式典という一大記念式典が開かれていました。ちょうど10年前にも日本やアメリカはもちろんですが、ドイツやロシア、イギリス、フランスなど世界各地で終戦50周年の行事が開かれていましたが、当時高校3年生で大学受験のために忙しすぎた私はなかなか世界で何が起きているのかについてまで視野を広める事は出来なかったと記憶しています。もっとも10年前は、阪神大震災とオウムに関するニュースが世間を席巻していたかのような印象が強く、戦後50年はどこか隅の方に追いやられていたようにも思います。日本もドイツと同じく今年が戦争終結(敗戦とも言えますが)60年目に当たる年ですが、今年の夏にはどのように戦後60年が総括されるのでしょうか。


 前回記入した時より一月が経過しましたが、自分はあまり変化していないようです、と書くとほとんど同じ言い回しを繰り返しているようにしか見られませんが、物心ついてから20数年馬鹿な事をやり続けてきてここ最近自分がまともじゃなかった事に気付いて自分の道を修正しようとしているのですが、今日明日に結果が出るものではないので目に見える変化は無いとしかいいようがありません。ある程度時間が経ってから気付くものなのでしょうか。

 私は4月の日記では自分の事をダメな人間だとかいい大人でありながらも精神的には幼児だと書きましたが、決して私は自分は幼児臭いダメな人間だから社会に出ないで一生家に引きこもっていればいいんだと暗示をかけたり決め付けている訳ではありません。むしろ自分が取るに足らない存在だと思って日々努力していく方がいいのではと思ったから前述のような事を書きました。むしろ10代の頃の私は、自分は天才だとか崇高な存在だと思い込んで愚にもつかない事ばかりをやって友達の一人も作れないような有様ながら、自分がおろかな事をしているとは全く認識出来ませんでした。そういった事をやり続けて十余年、人生の袋小路に立たされてしまった現在の自分がいる訳です。

 現在の自分は社会人になるためはもちろんですが、普通の人間として自立していけるように自分でも日々鍛錬しています。確かに失敗が多くてうんざりする事もありますが。それでも失敗には目をつぶり、自分の好きな事にしか目が向かなかった昔(特に10代の頃)に比べれば前進していると思います。少し前まで、私は自分が失敗した事を見て見ぬ振りをして、自分に都合の良い所を過剰に誉めてくれるような人間を求めていたのではないかと思う事もあります。

 私は何かしらの失敗すると人生が終わったかのような悲愴な顔をする事があり、眉間にはうっすらと皺が出来てしまっています。さらには「えええーっ」といった感じの素っ頓狂な叫び声を上げる事すらあります。こういった事は自分が失敗やら間違いに気付くようになってから、そのような事がいわば未知なるものとの遭遇のように感じてしまっているからかもしれません。学生時代の私は超がつくほどの鈍感人間で、家や学校から守られる事で無茶苦茶な事をしてもそれを見て見ぬ振りをして過ごしていましたが、最近はありとあらゆるものを見て見ぬ振りなど出来なくなり、自分のする事には最大限ベストを尽くそうと思っています。しかし他者が見れば始めから明らかに失敗に見える事を一生懸命に真面目にやって、結果として失敗に終わる事が多くあります。今まではこういった事に気付かずに、真面目に物事に取り組んだ=成功と考えており、なかなか自分が失敗を認識しようとはしなかったのではないかと考えられます。しかしながら今でも結果が失敗に終わっても、しないよりはマシと考えたりする事もあります。損得勘定すればしない方が遥かにマシなものもありますが。要するに初めから失敗するようなものはするなとなるのでしょうね。
 

 前回の日記では皆様からの沢山のご意見を頂き、色々と考えさせられました。世の中には自分の感情を抑えなければならない時が少なからず存在している事は前から知っていましたが、自分はそういった事とは無関係だと思い込んでいた事が自分は正しいだの間違った事はしていないだのやらないよりは遥かにマシだとか屁理屈を並べてしまう原因の一つだったのでは思いました。相手がどうして厳しい事を言ってくるのかを考えずに条件反射的に誹謗中傷を言っていると思い込む事はやめるべきだと感じられました。

 また私は前回の書き込みからしばらく後に、大学院時代の指導教授やゼミのドクターや同僚にメール(その数12)を送り、指導教授および3名の方から返事がありました。それでも返事の無かった残り8名の方は忙しかったのか、それとも私の事を忘れてしまったのかは知りませんが、何か縁が遠くなってしまったようにも感じられます。やはり私は院時代の人達からは幼い人間に見られていたのでしょうか。メル友としての付き合いすら出来なくなったように思えてなりません。それでも恩師からのメールは私にとって自分自身を考え直すきっかけの一つにはなったかと思います。それ以上に恩師がダメ院生に過ぎなかった自分の事を見捨てていなかった事の方が自分にとっては大きかったと感じていますが。



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韮山 あなたの学歴で、その知識とポテンシャルで、ひとつも内定がとれないというのはどういうことか・・。 地方に住んでいる人、より学歴にハンデのある人、年齢で厳しい人、そういう人がこのサイトには一杯いるけれど、あなたはそういう人たちと比べてどうなのか。 なにもあなたの人格を否定しようとは思わない。 自分の生かし方を知らない。それに尽きる。 大学院の恩師にも、そういう視点で話を聞いたらどうですか? (05/05/15 23:56)
とりあえず また厳しいことを書きますね。やはりこのような役割は誰かがしなければならないので。卒業されてから一年ですよね。もう"新卒"という資格は効力を失いました。これからは昨年一年の空白がかなり採用の現場で響いてくると思います。わたしはあなたが希望するであろう出版社、いわゆるマスコミで働く人間ですが あなたの場合年齢が年齢ですのでそこそこの出版社で新卒で採用される可能性は限りなくゼロに近いと思います。中途でもこれまでの実績がないので厳しいですね。どうしてもこの業界にこだわっているのでしたらライターとしての可能性なら無くはないです、しかしながらフリーでやっていく場合は営業力が必要になるので やはりまずどこか 町工場でもいいから社会人として働いて人と接してお金を稼ぐというのが今一番あなたにとって大事なんじゃないかな。 (05/05/14 11:47)
ぺけぽむ ホワイトカラーであまり職能化されてない仕事の場合、大抵チームワークで仕事をするので、個人の頭の良さとか教養よりも話が通じるかどうかで「出来る奴」と見られるかどうかが分かれる面があるなと実感している最中。出来るかどうか以外は割とどうでもいいというのがほんとのところ。自己認識がどれほど透徹していようが関係ない。むしろそうやって自分に目線が向かっている人はよそから飛んできたパスを自分の頭にぶつけてボールを地面に落しそうなので、敬遠されてしまうようです。結局、雇われて働く以上、基準は外にあるので、その外に向けてパスを返せなければどれだけ真剣だったとしてもリフティング以上のものにはならない。より大きな喝采を浴びるのは観客の予想を上回る華麗なキラーパスか、それとも延々と続くリフティングかを考えれば、なんとなくわかってくると思います。 (05/05/11 01:25)
韮山 就職できないのも、メールが返ってこないのも、あなたの能力のせいじゃないように思います。 あなたは有能な自分を鼻にかけていませんか?  企業担当者は、あなたを会社に入れた場合の集団としてのチームワークを「恐れる」し、メル友は返信があなたに悪影響を与えないかが「怖い」。 怖がられているんですよ。 「実るほど・・」を心がければ、あなたが欲しがる社会的地位はついてくると思う。 (05/05/11 00:21)
大人の少年 お久しぶりですね・・、今日は短めにコメントします。「MOTOAKIさん、貴方は世間一般という社会と戦っていますか?」自問自答してみてください。 (05/05/10 08:41)


 ■ 2005/04/08 (金) 27歳の幼児


 世間ではついこの間まで卒業式だ入社式だと言っていましたが、4月も1週間ばかりが過ぎると今度は入学式、そして新学期と学校が始まる時期になってきました。日付は変ってしまいましたが、ちなみに私の母校の大学は今日(7日)が入学式でした。おそらく大きな目標を持ったフレッシュマン達が多数式に臨んだ事でしょう。

 思い返すと私も5年前は大学院、9年前は大学の入学式に臨んでいました。その時に自分が将来どのような方向に進んでいくのか全く考えておらず、「そのうち何とかなるだろう」という気持ちで学生生活を送っていました。そして現在、「何とかなるだろう」という気持ちは「もうどうにもならない」としかならなくなってしまいました。学生時代はいずれは高学歴で高収入、高身長も入れれば3高となりますが、の社会のトップエリートになれるという妄想を抱いていましたが、今の自分は無駄に高学歴で無駄に高身長という本来なら有利に働く所が余計マイナスになってきているように思えてなりません。そんな今日もまた書類選考の不採用のメールが届きました。


 自分は4月1日の夕食時に起こした激昂事件の際に皆様から様々な御意見を頂いたのにもかかわらず、一つ事が過ぎたらまた別のもので、目先かわれば同じ事の繰り返しをやっています。自分はやはり学習能力が無く、自分のやる事は半分以上できればやれたも同然の考えを脱却する事がなかなか出来ません。しかも私は物事に時間がかかり過ぎる癖があり、時間をかけても時間をかけただけの事が出来たためしがありません。とりわけ料理を作る事や皿洗いではこのような事が顕著だったりします。また私はその事を母親から注意されて、この前ほどではないにしても感情を爆発させて屁理屈を並べた挙句、幼稚園児みたいに大泣きしてしまいました。

 本当に自分は27歳になっても、精神年齢は幼稚園の時から全くといっていいほど変っていないようにしか思われません。ただ屁理屈を言う口だけが達者になったと親から言われるばかりです。中学時代にクラスメートからバイキン扱いされていたのもこれのせいであって、社会に出てもこの調子だとまた中学時代の繰り返しになる事を親からさんざん言われてきましたが、なかなか直る気配はありません。親からアルバイトすら勤まらない、むしろ社会に出れば今度は年下から馬鹿にされるといった事も言われており、自分は生きる事が苦しく感じられてなりません。

 日常生活レベルで見ても私はお金を払うに見合っただけの事が出来ない廃棄物のようにしか思えてなりません。前にも書きましたが、お金をこちらから払う事で居場所が保証される場(つまり学校)は、どんなに馬鹿で幼稚園児のような人間であったって期限まではいられるのに対し、いかなる形であれ労働の場では私のような出来た時が終わり時みたいな感覚でやっている人間にお金を払いたい人間などいないでしょう。

 最近、私という人間は行く先行く先でそこに所属している他人に間接的であっても迷惑をかけ、不快な気持ちにさせているのではないかと考えてしまいます。ましては親に対しては物心ついて20数年、そして現在も進行中と言えるでしょう。私が現在、書類選考すら通らなくなっている事は、まず27歳の職歴無しよりも22,3歳の新卒のフレッシュマンを取りたいというのもあるのかもしれませんが、どんなに良さそうな人間に繕った所で頭の中身が幼くましては少しも優れた所の無い人間というのはすぐに採用担当に見抜かれてしまうからだと思います。名実共に優れた所の無い私にとって普通の大学卒レベルの就職など望めないのではとも考えてしまいました。
 
 結局自分は義務教育以降、どこもお門違いな所に所属し、たまたまそこにいた人達が精神的に優れていたからいじめられたりしなかったのであり、本当の自分は一生社会の底辺を這いつくばっていじめに耐えながら細々としか生きていくだけの能力しかない虫ケラ同然の最低人間なのかもしれません。自分に残された道は人がやりたがらないような仕事をやって食うや食わずの生活をしていくようにさえ思えてなりません。そうなった時、私にとってSFやアニメ、コミック、ゲームに音楽、さらには歴史や政治、軍事、宇宙科学といったものは手の届く事の無い遠い雲の上の存在、ないしは生きていく上で不必要かつ無意味なものになってしまうでしょう。

 自分は精神的に成長する事が難しい人間のように思えてなりません。自分が興味のある事に関していっぱい知識をつけた事は結局のところ自慰行為にしか過ぎなかったのかと考えてしまいます。その知識が自分が社会人として生きていく上で役に立つのならまだしも、ほとんど全てといっていいほど役に立つものが無く現実逃避の都合のいい道具として使っていたのではないかと思っています。日常生活で間違った事をしてそれを注意を受けては傷つき、心の癒しを趣味に求める事をしてきましたが、少しも心は癒されませんでした。だからといって趣味を手放す事は自分の腕や脚を切り捨てるようなものに見えてならないのですが。

 しかしこのままでは「スター・ウォーズ エピソード3」が日本公開される夏頃や愛知万博が閉幕する初秋はおろか、2005年の総括をやっているであろう年末になっても自分は相変わらず堂堂巡りをやっているような気がしてなりません。しかし日常生活の問題にすら激昂してしまうような私には苦痛ばかりが感じられます。生きる上での苦痛を緩和して、自分はもちろん周囲に対してもプラスに働くような行動が出来るようにしたいとは考えているのですが・・・・・・。


 3月末ぐらいから自分はネットに接している時間が長く感じられるようになってきています。こんな事は言いたくはないのですが、何だか「ネットが友達」になっているかのように感じてしまいます。自分の情けなさに後ろめたい気持ちが強いのか、それとも厳しい現実から逃れたい気持ちが強いのか、判断がつきません。自分の心を厳しい事にもくじけないようにする事が必要なのでしょうか。
 




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マナ その後結果はどうですか? (05/05/04 23:50)
韮山 構えちゃいけない。構えちゃ・・ 明日、とりあえず一日外で過ごすこと。 最初はそれでよい・・ 気持ちは分かるよ・・ (05/04/13 01:48)
ハンコ屋 寛容であれば、問題なしです。ところで、母の日や父の日にプレゼントはしていますか?人が喜ぶ事をすれば、自然と道は開けますよ。 (05/04/11 22:58)
とりあえず あえて厳しいことを書きますね。あなたの現在の心のよりどころであるSF小説、コミックなど一度全て処分されてはどうですか。それぐらいやらないともう本腰入れて仕事さがさないんじゃないかな。今は全てを就職活動にそそぎこんで、どこでもいいから入ってあなたの親御さんを安心させることが一番大事なことだと思いますよ。働いてお金を貰ってそれからまた集めればいいじゃないですか、それが最善策だと思います。 (05/04/11 17:43)
ぺけぽむ 現実面とは他に、メンタルな話だけど、なんとなく、あなたの自虐は自分が就職しないでいい理由を無理ひねくりだしているに見えます。「自分はこんなダメ人間なんだから、社会は受け容れてくれない。就職口を探すだけ無駄、だから働かなくてもいいんだ!」見たいな筋書きでね。だれかに「働かなくてもいいんだよ」といってもらえるまで、そうやっていたいような心はないですか? (05/04/09 12:54)
ぺけぽむ そういえば、公務員試験はどうだろうかと。年齢制限にはまだ引っかからない所も多いし、一般企業向けの活動とと並行してやってもいいのでは。私はバイトもいいだろうと思うけど、しかし「バイトも務まらない今のあなた」を正社員で雇うやさしい会社は決して多くないと思う。バイトと並行するにせよしないにせよ、腹くくって数こなしましょう。あと、社会人向けの就職支援組織に行けばたぶん提案されることだと思うけど、事務系の資格をとったら一応強みがもてるのでは? 強みを探す&造る努力をしないと弱いまんまになっちゃうよ。 (05/04/09 12:53)
大人の少年 私も誤解をしていたようですね、すみませんでした。しかしいずれにしてもその組織は主に卒業予定者または既卒者のなかであまり時間の経っていない人を対象にしているように思います、そしてそれらの企業は新規採用(教育投資をして人材を育てる為の採用)を目的にしているように思います。狙うのは中途採用枠の方が可能性が大きいと思います。だからバイトなどを勧めるのは職歴に値するような経験を積み重ねる事によって就活に有利になると思います。 (05/04/09 08:44)
韮山 過去の日記を見てもらえば分かると思いますが、佳境のときは本当に9-17に近い状態で私もやってました。 語弊のある言い方かもしれないけど就職活動はお見合い。 「もてない」なら、とにかく数をこなすしかないんですよ。 決して「もてない」のはあなただけじゃない。恥じるのはそこじゃない。出会いを求めてないことです。 (05/04/09 01:30)
韮山 私は、他の多くの方が勧めるバイトは、あなたの性格上好ましくないように思いますので、あまりやるべきではないと思います。けれど、働かないなら代わりに「求職者という職業」なのだという自覚を持たなくてはなりません。まして東京近郊に住むなら、就職活動で9時-17時の社会人の就業時間分スケジュールを埋めることは簡単です。 そこまでやらなきゃ。 (05/04/09 01:19)
韮山 ともかく、学生対象で院卒も見慣れている学生職業総合支援センターで延々とあなたの「弱み」を確認しているだけでは前に進まないのです。分かってもらいたいのは本当にそこのところ。 (05/04/09 01:14)
韮山 もっと一社会人として扱ってくれるところへ行ったほうが良いと思います。人材紹介会社との橋渡しをするサイト(一例:http://consultant.en-japan.com/index_01_out.cfm)に登録して広くスカウトを待つ、あるいは学生向けではない全般的な若者就職支援組織(一例:http://www.city.adachi.tokyo.jp/addir05/wakusen2.htm)で、院卒を見慣れていないアドバイザーから見たあなたの「強み」を見つけてもらうとか・・ (05/04/09 01:13)
韮山 でもね、既に社会人のあなたが行くところはやはりそこじゃないと思うのですよ。 企業向けのサービスに「学校一覧」みたいなものを載せていること等を考えると、どこまでいってもこのセンターは学生とそれに近い状況の人を対象にしていると思います。 それに、一通り現在求人中の企業の顔ぶれを見ましたが、営業・ないしは接客を伴う仕事が中心であなたには一番向いていないのではないですか? センターのアドバイザーもクライアントの傾向を見てそのニーズを伝えてくる訳ですから、あなたへの評価が酷なのは当然です。視野を広げる意味でも「学生対象」の支援組織への依存は下げなくてはなりません。 (05/04/09 01:10)
韮山 申し訳ありませんでした。私に誤解があったようですね。 (05/04/09 01:07)
MOTOAKI 学生職業総合支援センターというものについてですが、六本木のジョブパークに存在する公的機関(と言ったらいいのでしょうか)であり、大学とは関係の無いところです。対象としているのが、新卒者はもちろんですが20代の既卒者も含まれています。私の説明が足りなかったようで、いかにも卒業しても母校の就職課に頼っているかにみられているのではと思い、説明しました。アドレスはこちら→http://job.gakusei.go.jp/ (05/04/09 00:00)
日本 労働の義務が我が国にはあります。あーだこーだ言ってないで働いてみることです。何事も経験です。 (05/04/08 23:54)
大人の少年 卒業されて一年以上経っているのであればもう学生とか学校とかの関係するような枠から外れましょう、なぜなら無職とはいえある意味社会人だからです。韮山さんが仰っているとおり大学の就職支援センターみたいなところを頼るのもどうかと思います。それから、頭に詰め込む知識は豊富のようですが物事を実体験して得る知識に乏しいようですね、物事を経験して得る知識に限りはありませんし、それこそが社会人にとって最も必要なことだと思います、先にも何度かレス書かせていただいたように貴方にバイトを進めるのはそうした意味合いもあるからです。「人がやりたがらないような仕事をやって食うや食わずの瀬生活をしていくようにさえ思えてなりません」の”人がやりたがらない仕事・・・”って?、仕事である以上立派な職業です、職業差別につながるような考えはやめましょう。とにかく貴方にいま必要な事は生活環境を変えることです。社会参加(労働)する事によって日々過してみて下さい。またまた長文で偉そうな事を書いてしまいましたが、がんばってください。 (05/04/08 23:22)
ロールキャベツ 自分のことを幼児なんて思わないほうがいいです。家にこもっていたら親は文句のひとつもいいたくなるものです。幼児、幼児といっていると自分自身を暗示にかけるみたいなことになりかねません。就職に苦しんでいる人はいくらでもいます。乗り越えましょう。社会の人間関係が怖いなら、将来は家でできるようになる仕事をさがすとか。今は、そういう技術が身につくようなバイトを2〜3年してみたらどうかな。学校に行くようなつもりで習得すればいい。将来の展望も開けるし、親も安心して応援してくれるようになるとおもいます。 (05/04/08 08:51)
韮山 苦言を一つ。親に「バイトも勤まらない」などと言われたら悔しく思わないといけない。「そうなんだ」で受け入れていたら成長はありません。 (05/04/08 01:05)
韮山 頑張ってください (05/04/08 01:05)
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 ■ 2005/04/03 (日) 新年度になっても上手くいかない事ばかり


 新年度になって3日が過ぎました。これで私にとって自宅以外で拠り所無き身となって2度目の新年度です。1日のテレビのニュース番組では有名企業の入社式などが映されていましたが、無職の身からすると見る気にもなれませんでした(1日の夕刊や2日の朝刊で入社式についての記事に関しても同様でした)。しかもインタビューに登場する新入社員からは、自分よりも年下ではあるものの、かなりしっかりとした姿勢や意気込みが感じられて、我が身が余計に情けなく思うばかりです。その一方では新たな学卒無業者もいると思いますが、その中でも底辺に近い位置にいる自分を思うとこれまた情けなくなります。


 先日の日記では皆様からの色々なご意見を頂き、その中で私が豊富な知識と論理能力を持っている事のご指摘も受けましたが、改めて考えてみると自分には蓄えた知識を使う事が出来ない事が多すぎるように思えました。

 今、家では母が体調を崩しており、そのため私が最低限の家事をこなさなければならない場合があるのですが、中でも食事を作る事は得意でなかったりします。両親が外出して不在時には一人で冷蔵庫にある物を使って簡単な物は作れるのですが、親がいたり(大抵母親)するとどうも自分の思うように事が進まなかったりしています。そのためここ1週間近く食事作りに苦労してきました。

 とりわけ4月1日に夕食を作っていた時には、タッパーに入れて冷蔵庫にしまっておいた味噌汁を量が多くなかったとはいえ家族3人分(父は残業で夕食時には帰って来ていなかったため)に取り分けずに母と私の二人分に取り分けた事を母親から注意されて激昂してしまいました。何とか足りない頭を使って料理を作ったのに、それがたかだか味噌汁ぐらいで努力の全てが台無しになってしまうとは一体どういう事かと言って怒った訳です。自分は無い頭を使って料理を作り、味噌汁を分けられなかったという事については失敗かもしれませんが、それ以外は出来たと考えています。いわばするべき事が10あるうちの9が出来て、1が出来なかったという事であり、いかにも10の事の1つが出来なかっただけで全部出来なかったように見なされる事に怒りを感じたのです。

 自分の中ではすべき事が10ある中で半分以上が出来たのならばそれは充分合格点というか及第点に値すると考えています。しかも今回の事例で見れば、3等分しなかった事は決して悪意があったからではなく、不注意であり、それ以外で無い知恵を使って料理を作った事は評価に値すると思っていました。私は何もしないよりも、たとえそれが偽善的であってもしたほうが遥かにマシだと思っています。

 親は私に対して現在は家族というよりは勤め人、つまり社会人としての礼儀や常識を身に付けるよう忠告している事は分かるのですが、親の考えと私の考えは衝突する事がしばしばあっていつも「何故分からないんだ」とか「悪意でやった訳ではないのに、どうして評価されないんだ」、「人間は誰しも失敗する生物である」といった事を私は怒鳴ってしまいます。コメントの欄にもありますが、「自分の言いたい事を飲み込む」という事はまだまだ簡単には出来そうに無いと思われます。何か注意されると「自分は間違った事をしていない」と強調する傾向が強いからです。

 自分は大学院で落ちこぼれた状態で修了してしまった後、それこそ地球的規模でも宇宙的規模でもといったくらいの広い視野と心を持って日常を生きようと思ったりもしていますが、自分が思っているほど物事がすんなりと上手くいっていません(上手くいくのだったらもうどこかに就職しているともいえるのかもしれませんが)。親とすら衝突してしまうという事は、社会に出た場合は何かと衝突ばかりして世間から疎まれてしまうという事になるのでしょうか。

 私は精神的には幼稚な面もありますので、おかしな言動をしたり、意味不明なミスをしたりする事は理解しており、日々そのような事を改善すべく努力しています。しかしその努力がなかなか実を結ばなくてうんざりしています。やはり中高大とその年齢に見合った事をせずに自分のやりたい事だけに没頭してきた結果なのでしょうか。

 学生職業総合支援センター(これからは支援センターと書きます)の相談員の方と話したりする中で、自分が何故就職出来ないのかという事に関しては、今更ながらですが務める事はお金を貰う事であり、企業側がお金を払うだけの条件やら能力に適合している事が求められる事に気付かされました。また大学(大学院も含めて)まではどんなに無知で精神年齢が幼かろうと学費という形でお金を学校に納めていれば、就学期限までは籍を置いていられるという事も今更ながら認識しました(もっとも大学院では指導教授に「やめた方がいいんじゃないの」とか「君に研究は向かない」と言われればそれまでですが、私の指導教授は修士の間だけは在籍を認めて下さいました。それだけ心の広い方だったと思っています)。学校の通信簿でいう左側(教科別の成績)よりも右側(学校生活での態度など)が就職時には重視される事も理解させられました。

 皆様がおっしゃられるように、4月以降はアルバイトの形での何らかの社会参加というのも考慮に入れなければならないとは思っています。しかしながら自分は正しいと考えている事を批判されたり否定される物言いをされると過剰なまでに猛反発をして幼稚的な言動をしてしまう事に心苦しさを感じてしまい、いくら社会に出たとしてもそういった事をやらかしてしまうのではと思う事があります。私の主観も含まれてはいますが、物事に取り組む時には自分はもちろん相手にとってもプラスになる事をしようと心がけています。しかしそれが受け入れられない事が納得がいかない(何であれ努力した事は評価に値するという考え)というか、精神的に幼い故にプラスな評価をされないと屈辱感を感じてしまうという事が自分にとって社会に出る上での足枷になっているのでしょうか。評価されない事に対する屈辱感を感じてしまう事は、自分に糞尿をかけられてしまう以上の辱めを受けたようにとらえる事があります。

 それとも社会で働くという事は、しなければならない10の事の中で9が出来て1が出来なくても0にしか見なされないという事なのでしょうか。半分以上出来ても全部が出来なければやらなかったも同然に見なされるのでしょうか。自分が何かをした以上は最後までその責任を果たさなければならないという事なのでしょうか。


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ベルエポック そう、俺が警備員の知り合いを嫌ってたのも、ソイツが「景気が良くなったら働く。」なんて寝言をほざいていた時期が内外から。 (05/04/04 01:32)
大人の少年 怒ってまで物事や自身を正当化したり悲観的に思ったりしても状況が変わらなければ一向に前には進みません。バイトしてください。(学歴や専攻にこだわることなく自分が継続的にできる仕事を見つけてください)朝、自宅を出る→通勤→会社での労働→退勤→帰宅。労働者の誰もがこの繰り返しをして日々生活をしています。そして、それぞれの時間の経過のなかで、喜怒哀楽を感じながら生活をしています。まず親のすねをかじって日々過ごすのはもう辞めましょう。そして、理論理屈だけの生活もやめましょう。「労働」を通じて”自分”という人間を感じ、変えなければいけないところは変える努力をしながら自己認識をしてください。そうすればおのずと社会人としての礼儀や常識も身に付くと思います。あと社会には、自己責任もあれば全体責任もあります、それを判断し見極める事も大切でありその状況に適応していくことも大切です。>「それとも社会で働くという事は、しなければならない10の事の中で9が出来て1が出来なくても0にしか見なされないという事なのでしょうか。半分以上出来ても全部が出来なければやらなかったも同然に見なされるのでしょうか。自分が何かをした以上は最後までその責任を果たさなければならないという事なのでしょうか。」ここまで結論付けてもしょうがないですよ。またまた長文になってすみません。 (05/04/03 23:44)
韮山 「10の事の中で9が出来て1が出来なくても0にしか見なされない」>そういうときもあるし、そうでないときもある。 要は、見る者によって変わるということです。「9やったと言う事実」は変わらない。それをどうアピールするか。 最初から論理的根拠「タッパーの中身は少なく3人分の確保が困難であること」を表明し、ネゴっていれば、結果9しか出来なくても(2人分しか確保できなくても)相応に評価されたはず。 もちろん、努力は必要ですが、最初から10は不可能なときもある。 たかが「要領」されど「要領」。 (05/04/03 18:18)
韮山 「たかだか味噌汁」、その通り。 良く分かっているじゃないですか。そんなことで激昂するのはエネルギーの無駄遣いです。 とはいえ「9/10できたからOK」の考え方は直した方が良いです。そうやって開き直るのは相手の感情を逆撫ですることにしかならず、結果的にあなたの損になるからです。 しかし世の中、なんでもかんでも10/10を達成するというのは至難の業。 できないときはどうしたらいいか。「ごめんね」で済む話です。 味噌汁なんて小さな話、追加して一人分作ってしまえば良かったと思いますよ。 (05/04/03 18:13)
ベルエポック なんでもいいから、バイト探して、やったほうがいいよ。漫画喫茶とかでもいいと思うよ。そりゃ、 (05/04/03 17:42)
とりあえず  自分は院卒だとか、希望は出版関係とかこだわりを捨てて建設作業現場やコンビニのレジ打ちなどの簡単な仕事から始めてみてはいかがでしょうか。結局昨年一年何も働かれていないわけですよね。その間の生活費はどうしているのでしょうか。もう20代も後半になるのではないですか。あなたと同じ世代の人の多くはむしろ親に仕送りしている人が大半だと思います。自分の今の現状を恥じて すぐにアルバイト雑誌でも買いにいくことを強くオススメします。 (05/04/03 16:54)
ハンコ屋 「10の事の中で9が出来て1が出来なくても0にしか見なされないという事なのでしょうか。」その通りです。極論をすれば、99点でも0点です。「自分は正しいと考えている事を批判されたり否定される物言いをされると過剰なまでに猛反発をして幼稚的な言動をしてしまう事に心苦しさを感じてしまい、いくら社会に出たとしてもそういった事をやらかしてしまうのではと思う事があります。」まぁ実際、自分が正しくも相手を立てねばならない時もあります。僕なんか沢山経験あります。例えば、部下が失敗したら自分が失敗した事と同じになります。また永続的な取引の為に取引先の負担を減らす為、こちらが悪い事にする事もあります。規則だから規約だからという事でなく、人間同士の裏取引も重要なんですよ。だから、そんな時は自分を殺して相手を活かします。しかし、それは無駄ではなく、気づかないところでプラスになっている事が多いです。 (05/04/03 16:17)


 ■ 2005/03/30 (水) 自分がまだまだ未成長である事を嫌に思う3月末


 前回日記を書いた時よりもう一月以上が経過してしまいました。そして3月も残すところ後僅かとなり、2日後にはもう新年度が始まります。しかもダラダラと籍を置き続けて半ば追いやられるかのように大学院を修了してから1年が経過しようとしています。とはいえこの間に自分にとってプラスになるような事があったのかといってもそれはなく、相変わらず変化の無い日常を送っています。

 大きな出来事と言えるものとしては、東京大空襲からちょうど60年目の日に私の母方の祖母が老衰で亡くなった事です。これにより父方の祖母を除き、私の祖父母は3人が鬼籍に入った事になります。しかし私は個人的な事情(=つまり無職であり、3月30日現在も職にあぶれているため)により葬儀には参列する事が出来ませんでした。自分は本当に親不孝者、というか親族不幸者に思えてなりません。自分自身を隠すために親族に対してすら距離を取らなければならない姿は情けなく感じられます。

 もう一つ大きな出来事を挙げるとすれば、3月半ばで私はまた一つ年を取り27歳になりました。四捨五入すれば30となる20代後半に差し掛かってもう2年になりますが、もうそんな所なのかといった実感はあまりありません。自分が精神的にはお子様な状態だから自分がもう20代後半である事すら実感が湧かなくなっているのでしょうか。家でも親に対してはなかなかお子様的発言もする事がありますし、3月上旬に六本木の学生職業総合支援センターのセミナーにて面接対策をした際などは顔がキツくてにこやかさが感じられないとまで指摘されました。

 時々私は昔の事を思い出したりするのですが、小中高と私は教科の成績はそこそこ良かったのですが、学校生活では先生の前では真面目な生徒のフリをしていても、クラスメート相手には幼稚な言動をして馬鹿にされたり障害者呼ばわりされた事もあります(特に中学)。高校はなんとか進学校に入り、そして都内の有名大学とそこの大学院へと進みましたが、大学および大学院のゼミで同期や先輩方は精神年齢的にも成熟されている方々だったので私も気兼ね無く話をする事が出来ました。とりわけ大学院では私の趣味的な会話にも付き合ってくれた方々がいて私も自分のレベルが高くなったのだと思っていたくらいです。

 しかしながら実態は、私が気兼ね無く話せたというのは相手が私のレベルに合わせてくれた上で成立していたのであって、自分のレベルが高いという事ではありませんでした。精神的にもレベルの高い方だけあって、人を見下したり馬鹿にするような発言を人前ではしないというだけであり、公立中学のように色々なレベルの人間が集まっている場所では私は他者にとってストレス解消の格好の標的ないしは都合のいい使い走りにされていました。

 私は人の話が全く理解できず、幼稚な言動を繰り返していても、プライドは無駄に高く、しかも誇大妄想癖に近い所もあって、自分の理想的なイメージはもうそれこそフィクションでいえば「銀英伝」のメインキャラクター、現実世界でいえば最盛期のTM NETWORKや吉川晃司氏などを勝手にあてはめていました。実際の私は身長が182センチあるにもかかわらず運動能力はまるっきり低く、ルックスも全く冴えていません。自分の好きな事以外には頭が回らない上に全く格好良くないというダメダメ尽くしで苛立ちが募る事があります。

 その苛立ちが募りまくっている状態が今なのです。親の話一つうまく理解する事が出来ず、お子様的言動を繰り返し、自分の努力が1パーセントも評価されていない。面接で落ちてしまうというのもこういった事が影響しているのかもしれません。しかし最近では履歴書ですら通らなくなっています。プロの採用担当からすれば、職歴が無いだけでなく、大学院も無駄に4年在籍していると経歴を見ただけで、「コイツは何やったってダメだろう」と切り捨てられているように思えてなりません。

 履歴書に私の事を書く際には、当然嘘などは書きませんが、これといった長所が無く短所しか思いつかないので自分の事を多分に美化している所はあります。誰だって自分の短所を羅列したいなど思わないのは当たり前だと思います。しかしこれといって優れた点の無い人間にとって社会人デビューはそれこそ茨の道のように感じられます。大学(大学院も含めて)までは常識知らずであってもペーパーテストさえ合格点を1点でも越えればパス出来るのに、社会人になるという事は机に向かってのお勉強以上に様々なもの(例を挙げればコミュニケーション能力や物事の理解力)が求められ、高い学歴欲しさにそうしたいとは思わない勉強をやってきたのは何だったんだと思う事さえあります。
 
 私は勉強するよりも、他人の作った物を堪能するというか溺愛している方を好む事があります。他人から見ればくだらないようなものでも、まるで人類世界の進歩の象徴とか現代日本の芸術の最高傑作といった風に受け止めているように思います。そういえば以前に、「ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」の日本館が多大なる絶賛を受け、それがわが国でも「帰国展」として東京都写真美術館で展示が行われ(私は行けませんでしたが)、その模様がNHKの「新日曜美術館」(2月27日放送だったと思われます)で「芸術」として取り上げられた事を見て、オタク文化もいわば世界に冠たる日本の現代文化として誇りに思えたほどです。こういったのを見ると自分も社会的ないしは文化的に貢献しているんだと考えてみたくもなります。確かに私にクリエイティブな才能が欠けている事は承知していますが、人の作ったものを追いかけている事を単なる追従であるとは思っていません。いわば一種の社会参加ないしは建設的事業のようにとらえていたりします。自分も現代文化の発展のために微力ながら力を貸しているんだ、と。
 
 しかしこういう私の嗜好を理解してくれた人はいまだに一人もいません。大学院時代の方々も、心が広かっただけに自分の嗜好に対して拒絶反応を示すような事はしませんでしたが、かといって全てを受け入れてくれたかといえばそうもそうではないとしか言いようがありませんでした。人の嗜好といったものは100人いれば100通りのものがあるというのは分かっています。私は自分の嗜好を押し付けたりする事はしませんが、自分の嗜好に嫌悪感を示した相手に対しては盛りのついた軍鶏よろしく激しく反発して、一歩も譲ろうとはしない傾向があります。批判はともかく悪口を耳にするとどうも黙っていられないという感じだったりします。そこに当日記でも述べてきた私のお得意の屁理屈攻撃を展開してしまって、結局相手の理解を得られずに話が平行線をたどってしまうというパターンを(特に母親相手に)繰り返してきました。
 
 私は今をもって心を許せたり、あるいは趣味嗜好が一致するような親友というものが一人もいません。大学院時代の同僚やドクターの方々はくどいようですが心が広いから私の事もある程度までは受け入れてくれました。しかし修了してもう1年になるのに、何かの機会に東京で出会う事などほとんどなくあまりメールなどでも連絡を取る事すら無くなって久しいです。いくら3、4年も一緒のゼミで勉強していても、プライベートでの付き合いが薄すぎたがために親密にはならなかったのかもしれません。大学の中とその周辺でしか付き合いの無かった人達などに卒業してからもよろしく、とはいかないのでしょうか。なかなか親しい友人を作るのが恐ろしいほど下手なのですが、人付き合いが上手くいかない事にも現在の就職活動を困難にしている一因なのかもしれません。


 今年も4分の1が終わろうとしていますが、人間としてまだまだ未成長としか言いようの無い状態だらけの3ヶ月だったと言わざるを得ませんでした。自分の趣味嗜好の完全否定などはしませんが、自分の幼稚さにはつくづく嫌気がさしてきます。精神年齢の低さというものは隠そうにも隠せないという事なのでしょうか。泥沼的な状況から抜け出すのに四苦八苦しているのが3月末の現状です。



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ぺけぽむ 韮山さんの言うことももっともで、確かにチャンスなしとはいえない(狭い門だろうけど)。それはそれとしてつけ加えると、冷静な論理分析力や知識と言ったものが、自分の内面の冷静な反省に役立ってないように思えてしまう。過去に後悔が大いにあるのは別におかしくも何ともないけれど、それに拘泥してしまっている今の自分の心理とはどうなのかを落ち着いて分析すれば(これが一番むずかしいことだけど)まだ結構強みがあるんじゃないかと思えるんですね。「絶対講師になれ、それしかない」って意味ではなくて言うんですけど、例えば「世界史に関する知識は人並以上にある」というのも強みなはずで、過去に対する悔いがそういうものあるはずのものに対する目を曇らせてしまっているんじゃないかと思う。ご両親の小言というのも、たぶんご子息の将来とかに対する不安以上に、これまでの自分たちがしてきた育て方に対する不安や後悔のようなものから、つまり過去に対する不安や後悔から来ているように思えます。だとしたら、そのご両親の小言にまともに憤っていたら、結局自分の中の後悔を強めてしまうことになる。心配してくれる両親の心は心として、韮山さんの言うとおり、そういう心を曇らせたりささくれ立たせたりするような話のときは一拍おく心構えが必要と思う。 (05/04/02 12:30)
韮山 提案です。次に親に対してなにか言いたくなったらそれをぐっと飲み込む。言い返す代わりに3秒かけて深呼吸し、そのまま散歩に出掛ける。 日記を読む限りあなたは既に周囲を圧倒できる知識と論理能力を持っています。 カッとして相手に食ってかかるのではなく、「押してだめなら引いてみる」その冷静さを心がける。 どうでしょう、とりあずこのあたりから始めてみたら。 ぺけぽむさんの仰ることももっともですが、あなたが冷静さを手に入れれば、まだ正社員の可能性は残っているかと思います。 懸念されるのは、その冷静な分析をいつまでも出来ず、本当にチャンスを逃してしまうこと。 日常生活にテーマが必要です。 (05/04/01 00:26)
ぺけぽむ 高い学歴が欲しいだけでそうしたいわけでもない勉強を…とおっしゃるけど、正社員と言う比較的高い身分が欲しいだけで正社員一本の就職活動をしてると思えて。正直言って、現実に言ったら職歴経験なし院卒27歳の新人を正社員で採用する会社はあまりない(ということは良くご存知のはず)。正直言って、正社員採用されるコースからは「もう外れてしまった」のが現実だろうかと。じゃあそれはそれとして、その現実に対応してどういう道を切り開くか、だよね。職歴がなくても学歴が生きる仕事って言ったら「塾講師」。かなり立場の弱い仕事でしかないけど、バイトでやってみたらどうかと。現代の世界史にはつぶしが利くんじゃないですか? 知らないことは覚えりゃ良いし、一応その辺のことは大学でかじってるだろうからとっつきやすいのでは。講師採用でも成績次第ではなりあがれないこともなくはない仕事なので、とりあえず「つなぎ」のつもりとしてでも探してみては? (05/03/31 14:00)
桃太郎 体格がいいのだから、トヨタの期間工をしてみるのもいいのではないでしょうか。 (05/03/30 19:04)
通りすがり 御祖父の御葬式に無職だという理由で参列しないとは信じられません。肉親への弔いが自身の無職と何の関係があるんでしょうか。 (05/03/30 18:31)
大人の少年 お久しぶりです、もう27歳になられたんですね・・、(といっても私よりず〜と若いですが・・笑)で、27歳で職歴もアルバイト歴もないとなるとちょっと”やばい”かも?です。貴方のその豊富な知識が、この先のご自身の将来進むべき道に邪魔をいているようにも感じます。日記文章中に「顔がキツくて・・」とありますが、顔の表情は社会経験を積んでこそ作られていくものです。やっぱり、すぐに職が見つからなければアルバイトでも派遣でもいいから労働(社会参加)しましょう。社会に出ればたとえアルバイトとはいえ人間形成がでいたり顔の表情も多少なりとも朗らかになります。諺ではありませんが、古い表現で申し訳ないですが、「女の顔は請求書」「男の顔は履歴書」ともいいます。(いいいました。)前者はともかく後者の「男の顔は履歴書」というのは先ほどにも書きましたが社会経験をつんでこそ自分自身という人間が形成されおのずとか顔の表情も変わってくると思います。どんな仕事であれ時給はともかく自分が継続的にできる事をバイトまたは派遣で見つけてください。一定期間働けば自身に変化心身共々見られると思います。働く事によって自己認識もできるかと思います。長文になって申し訳ないですが最後に、どんな雇用形態にしろ働くって大変ですし、それぞれの仕事は誰かがやらなければなりません。「好きな事をするのではなく、しなければならない事を好きになる」(ある方の言葉です。)がんばってください。あと、あまり親に八つ当たり?は辞めましょう、いずれ親を心配しなければならない時がきます、すぐですよ、すぐ。 (05/03/30 11:36)


 ■ 2005/02/18 (金) またも親と衝突


 前回の記入から2日が経ちましたが、また私は親と衝突して大声で怒鳴りまくるという事をしてしまいました。私は家庭生活の中ででも社会で生きていく上で最低限必要とされる常識や能力を身に付けるよう努力している事は前回も書きましたが、本日は私が中学生時代から見続けているテレビ番組の事を母親から指摘された事でブチ切れてしまいました。

 私は現在、1週間の内で十数本ほぼ毎週見ているといってもいいテレビ番組があります。それらの内容は音楽番組やバラエティにドキュメンタリー、また報道番組だったりしますが、いくつかは自分が中高生ぐらいの頃から見ているものだったりもします。このテレビ番組について最近親からよく言われている事に、いい年した大人が中学生あたりが見るようなテレビ番組を見続けているんじゃないという事です。さらにはテレビ番組など年齢を重ねるにつれて卒業するものは卒業するものとしていくべきだとも言われました。

 こういった事に対して私は感情を大いに爆発して言い返した次第です。別に自分の生活上でルーティーンとなっているテレビ番組の視聴のどこに問題があるんだ、たかだかテレビ番組ぐらいで人間の価値を決め付けるような事はちゃんちゃらおかしい、といった感じで。

 私自身、たかだかテレビ番組くらいで人間の価値その他が決まってしまうとは思っていません。確かに地上波で放送されている番組は老若男女問わず分かり易い内容のものが多いと感じてはいますが。一時期アニメをビデオに撮り溜めていた時期がありましたが、あの頃は見続けるものとそうでないものの区分が出来なかった事がまずかったと考えています。自分の行動に考え足らずな所があったから失敗してしまったのだと思っており、現在はそういった所を減らすよう日々務めているのですが、自分の今までのライフスタイルを全て否定するような事には、「ちょっと待て」と言いたくなる所があります。

 私の家は、多々ある衛星チャンネルやBSデジタル放送と契約していないのでテレビで見る事の出来るものは地上波とNHKの衛星放送、そしてWOWWOWの無料放送ぐらいです。つまりテレビを見るにしてもそう選択の幅が広いという訳ではありません。毎週毎週違うものを見るにも限度があり、お気に入りの番組を毎週見た所でそれが私自身を堕落させているとは思いたくないのです。

 いくら見ているテレビ番組が十年一日であろうと、そういった事は人の長い人生から見れば大した事では無いと思うのです。テレビ番組くらいで私が常識的に見てもおかしな事をしでかした訳ではありません。別に私は親に対しても「この番組を見なければ殴る」といったような乱暴な事を言ったりしているのではありません。疑問に感じる事は、いくら奨学金をSF小説やコミック、アニメ・ゲーム関連書籍やCDやDVDに湯水の如くに使い込んでしまったからといって、自分の趣味を完全否定させられる事です。私は過ちは過ちで認めているのであって別に悪いものを正当化している訳ではないのです。ただ私は自分自身の趣味を現在社会人になる上では過剰に走る事ないように抑制する事を心がけていますが、それでも自分の精神を休める事は必要なのでお気に入りのテレビ番組を見ているだけなのです。確かに無職の身で日柄一日テレビ漬け生活をしているならばそれはそれで問題かもしれませんが、一日のうちでたかだか数時間見る程度の事が責められるような問題にはならないと思います。

 私は特別優秀な人間になりたいといった訳ではなく、ごくごく普通の一社会人としての生活を送れるようにしたいだけなのです。しかし学生時代に大コケしてしまうとその後の苦しさはただものではない事を否応なく実感させられています。また普通を維持していくにも並々ならぬ努力が必要である事も認識しました。それでも個人の趣味嗜好がその個人の全体を現しているという事を認めたくはないのです。確かに私は自分の趣味やらライフスタイルについて批判されると過剰に反応してしまう傾向がありますが、そういったものにぶら下がっているために成長できていないと思われるのは心外です。社会的な常識と趣味嗜好は全てとまではいかないにせよ決して同一視出来るのもではないと思っています。

 今回も内容的には前回と同じようなものになってしまいました。何とか現状を変えていきたいとは思ってはいるものの、なかなかうまくいきません。いつも親に突っかかってばかりの生活を変えるべく努力はしているのですが・・・・・。


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大人の少年 ご無沙汰しておりました、お久しぶりです。お元気でしょうか?人それぞれ趣味を持つ事は良い事だと思いますが、物事にはプライオリティーがあります。私が現在の貴方の年令のときは趣味を楽しむ時間はほとんどありませんでした。交代勤務で昼勤務は残業3時間で夜勤務では2.5時間の残業の毎日を送っていましたよ、でもそれは生活の為であり生きる為でもありましたので趣味に時間を割くことができなくてもそれなりに楽しい時期でした。趣味から一旦離れてみてはどうかな・・?いずれまた趣味に時間を割いて楽しむことができると思います。 (05/02/28 00:10)
韮山 世の中、高い地位にある人でも、意外な趣味を持っていることがあります。 良い例えかどうか分かりませんが、元弁護士の政治家、社民党の福島党首は、宮崎アニメをこよなく愛するオタクとして有名です。 新進気鋭の若手実業家たちだって、なにか趣味は持っているはず。 自分の趣味をネックに感じすぎるのもどうかなと思います。 (05/02/22 00:39)
 確かに親の言うこと自体は単なる言いがかりであなたの言うことの方が正しいとは思います。ですが、何故そのような理不尽な言いがかりを受けるはめになるのかその原因を考えてそれを排除しようとしていますか? (05/02/19 23:06)
ハンコ屋 趣味に全財産使ってもいいんですよ。それで幸せな気分になればいいと思いますね。それが趣味ですから・・・。ガンガレ・・・。 (05/02/19 11:07)
スネ夫 自分も親に10代で「どぅ〜なってるの」や「遅く起きた昼は・・・」を見ていてバカにされました、死ぬほど腹がたったと同時に言っている意味がわかりませんでした。親(またはそ〜いう人)はもう人間が出来ているので仕方ないと割り切っています、そこで怒らければ自分が変わった証拠だと思います。 (05/02/19 03:18)
X 趣味を大切にしたい。って気持ちはよくわかる。でも、その趣味をやっていくには何が必要なのか?ってことを考えたほうがいいのでは?ってのと、あなたは一回、家を出て自立したほうがいいと思う。 (05/02/19 00:40)
韮山 「特別優秀な人間」まで目指す必要はないでしょう。その考えは悪くない。 ただ、しっかりと個々人を見た場合、みんなそれなりの意識を持って生活しているので、「ごくごく普通の」という人はなかなかいないものです。 仕事に就いたら、やはり10年後の自分の目標を持つべきだと思います。  (05/02/19 00:04)
夢見る名無し みんな同じです。HN変えました。親は大切にしましょう!一番大切です。また明日! (05/02/18 23:57)


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