日記HOME TOP タイトル一覧 月別 


日々の記録


 ■ 2008/04/29 (火) 思春期は永遠に続かない


今月の第3週は曇天で雨の日が続いており、気持ちもどんよりしそうな感じでしたが、私の心はそういった天気以上に曇っております。色々自分としても今後の人生について考えて行動を取っているのですが、なかなか上手くいっておらず親からは「もうお前のやり方はダメだ」と言われて激昂して自分の携帯を床に投げつけて壊してしまったり、椅子や床に平積みされている本などを蹴っ飛ばしたりする事がありました(携帯に関しては別の物に買い換えるという事に・・・)。

私が無職状態に戻ってからそろそろ一月になろうとしています。いつも書きたくないのですが鬱屈とした気分を感じない日々などありません。先月末まで私は某大学における事務補佐員というアルバイトに従事しており、その仕事からさらに発展した形でアルバイト以上の契約・嘱託乃至は正規の職員として時間給ではなくしっかり月給という形で給料が支給される職業を4月に就こうと思いアルバイト期間中に就職活動を展開して結局失敗に終わった事は前の日記で記した通りですが、4月を過ぎて以降私のアルバイトとしての働きなどその上のランクにて働く際には役に立ちそうなものではないのではないかと思うようになりました。

自分としては高い勤労意欲を持って働いてはいたけれど、実際に従事していた仕事といえば頭を使ってするものより作業に近い内容でした。とはいえ何もしないよりは良く、正規の職員がどのような仕事をしているのかを見る事も出来たので勉強にはなったと思いますが、学内外における会議等においては世話係といった仕事をしたりした訳ではないのでそれだけ直接事業の運営にかかわるような事をしていた訳ではありませんでした。やはり面接という場においては仕事において何を成し得たかが問われるので、私のように誰でもやり方さえ解かれば出来るような作業をやっていた人間など1年間という期限付きであったとしても月給18万を払う価値がないのでは、と思ってしまっています。

最近の私は小学生よろしく早寝早起きや部屋の片付けを言われる事があり、それが自分にとっての悩みとなる日々であったりします。とはいえほとんど物置同然の状態で猫の額ほどのスペースで書類を書いたり色々な事をしていましたが、色々整理する事で元々の広いスペースを使えるようにはしました。その一方でかつて机の上を占拠していたファイルや書類等を入れた書店の紙袋が床の方に移動し、またそちらを如何にして整理していくかという課題が残っていますが。

これも前の日記に書いたように先月で私は30となりましたが、いくら自分は心の中ではまだまだ思春期謳歌中だったり永遠に15〜18歳くらいの気持ちを持って生きていくぞと思っていても、社会の自分に対する目は10代や20代の頃とは変わってくるという事もひしひしと感じる事があります。過去の日記にもあるように私は10代〜20代半ばくらいまでは人生のモラトリアムを謳歌しまくりでした。今を楽しくかつ将来もそうして生きていたいという気持ちを強く持っていました。しかしながらここまで来ると10代後半から20代の半ばあたり(つまるところ大学、大学院時代)にかけて楽しんできた事を継続する事がいささか難しくなってきています。それは過去にやってきた事に飽きを感じているという訳ではなく、自分の社会的立場のような社会における有形無形の制約が自分の周囲に迫っている事が感じられるからです。永遠の思春期にしがみついて自分の好きな事だけを追い求めていても現実の圧迫はすぐ傍まで迫っており、こちらから目を背ける事はもうそろそろ出来なくなるでしょう。学生時代における文化祭乃至は夏休み気分でいられる時間は終わろうとしている、いやもうすでに終わっているのかもしれません。

以上の事は自分が現在机周りの整理を行っている中で感じられた事です。今や人生は80年、人によっては100年というケースもある訳ですから常に新しいものが生活の中に入って来る訳で、となると要らないものも出てきますのでそれをいかに処分してその空いたスペースに新しいものを入れていく事をしなければならないのでしょう。余程大金持ちで広大な敷地に邸宅を構えどんなに沢山モノを溜め込んでも収蔵できる余裕がいっぱいならともかく、限られたスペースで生きている人間にとってはモノを取捨選択する事が出来なければ社会を生きていく事は出来ないのかもしれません。私も今その事に結構苦しんでいます。何せ今使っているパソコン自体もとっくに旧世代のものとなっており、古いものとなればおよそ10年前のファイルが在り、なおかつ殆ど死蔵ファイル化しているものもあって、こういったものもこれからは潰していく必要もあるんじゃないかと思っていますが、なかなか実行するには至っておりません。大容量の内臓ハードディスクを搭載した最新型に買い換えたいと思う事は度々ありますが、資金面での問題はおろか現在の自分の立場もあってそれもまだしばらくは行えない状況です。


今回日記を書くにおいて私が参考にしたサイトは以下の2つです。

三十路オタクの人生点検
http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/30ota.htm
オタク中年化問題
http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/chunen_ota.htm


お名前   コメント

アニキ 30で正社員の職歴なしとなると厳しいかなあ、、かといってここの日記に書いてあるような感じでモヤモヤしながら引き篭もっても何の生産性もないし。。とりあえず性根を叩きなおす為に引越し関係などのバイトでも経験してみては (08/04/29 23:38)
通りすがり 通常はROMるだけなのですが、余りに甘ったるい文章が羅列されていて、こりゃだめだと思ったので敢えて連投します。投資はリターンがあるからするものですよ。PC買って何のリターンがあるんでしょうか。さて、既に楽して稼げる企業への入社は不可能な年齢ですので、その辺りを自覚すれば、苦しくとも人並みの生活は可能でしょう。逆に、今プライドを捨てられなければ、状況は悪化する一方です。”誰かに頼る”というのはプライドを捨てているのではありません。なぜなら代償を何一つ支払っていないためです。通常、世間ではそれを”単なる恥知らず”と申します。現状では、貴方の社会人としての価値は皆無に等しい(中傷ではありません。就職できないのがその証左です)ために、根本的に考えを改めることです。ご両親が仰りたいのはそういうことでしょう。ご両親の為に、どうぞがんばってください。 (08/04/29 21:39)
(´・ω・`)しょぼんぬ う〜ん…日記読んで思ったことは、とりあえずパソコンを新しいものに買い換えてみる。思い切り最新のがいいでしょう。それだけでも、何か新しいことを始めるというきっかけになります。自分への投資、という意味合いも含めて。 (08/04/29 20:04)
通りすがり いやあ…やり方が間違ってるから何も起こらないのでしょう。過去の日記を全てを拝見する限り、成長なんかしてらっしゃいません。ご両親の仰りようは実に的を得ていると思います。 (08/04/29 19:08)


 ■ 2008/04/13 (日) 無職に戻ってもう2週間近くが経過


昨年は365日あった内のたったの3日しか日記をつける暇が無く、相当いい加減なものになってしまいましたがそういった事を反省して今年はもっと多く日記を記していきたいと考えています。とにかく何か書くネタがある限りは・・・・・。


無職状態に戻ってから2週間、その間も私は行動する所は行動をしていましたが、仕事していた頃が懐かしく思う事が度々あり、家の中でくすぶっている自分を思うと虚しさがこみ上げてきます。

アルバイトという形であれ、一度仕事に就くと平日の昼間は働いている方がいいものだと感じられました。大学生の頃は朝早くから通学せずに昼間から通学するという事に大学生としての特権といったものを感じていましたが、今となっては「ウィークデーは働かなければな〜」という気持ちであったりします。高校生から大学院生であった頃までは夢中になったテレビやラジオの深夜番組やテレビのゴールデンタイムの番組がいくつかありましたが、今となってはそういったものが少なくなりました。とりあえず見るものがないから惰性で見ているようなものもあります。

学生時代は昼夜逆転生活を送っていながらも今となっては理解出来ない楽しさを味わっていたのですがそれもある時期までしか続かず、院修了後にろくな準備もなく就職活動をするようになってからは全ての事に鬱屈感を感じてしまい、藁でも縋る思いでとっくに出てしまった大学の恩師やドクターの方や同期の人に手紙を送って何らかの援助やら応援を期待したりもしたのですが、あまりそちらは期待通りにはなりませんでした。4月になってからもかつてのゼミ時代の方々とはメールでのやり取りをしてはいるものの、アドレスが変わったか何かで送信不能になった人や明らかに届いているはずなのに返事が返ってこない人もいたりして益々孤独感に苛まれてしまっています。4月に出したメールで返事が返ってきた人は今の所たった一人、私の在籍中はドクターだった方です。

ちなみに先月末まで私が働いていた間は、あまり鬱屈とした感情を覚える事はなかったのですが職場での仕事はそれなりにやれていたと考えられるのに、家では職場で身につけた事が何も応用・活用出来ないダメ人間でしかなくそれが苛立ちにつながるという事がありました。勤めていた職場では多くの事を学び別の職場で働く際にも役立てられる事もあって、面接の際にはそれを強調する事で自分が今すぐにでも使える人間出るとアピールしましたが効果は皆無に近く、実生活の場でも殆ど役に立っていません。昨年の初め頃あたりまでのただ闇雲に就職活動をしていた頃と比べれば成長したと言われた事もありますが実感が沸きません。もしかしたらやれたと思っている事は自分の思い込みであって、実態はどうしょうもないヘタレに過ぎないのではと思ってしまいます。

前述した今や故人となった恩師や大学院時代の方々に送ったメールにて応援や援助を求めたりしたように、私は親以外の誰かに自分に愛の手を差し伸べてくれと叫びたくなる時があります。それだけ自分は就職の失敗や無職状態に戻ってからの2週間近い間においても精神的には追い詰められている状況だったりします。親しい友人も皆無である今は結局の所一方的に受け身な生活になっていたりもするので、お先真っ暗に感じられる所が多くあります。



お名前   コメント

(´・ω・`)しょぼんぬ 成長した、と少しでも感じれたら、収穫があったとみてよいかな、と。 (08/04/19 16:36)
long time not see 今までに貴方の日記を読まれた方々のコメントを呼んで、それを励みにしてください。 (08/04/14 23:48)
いもり あなたはちゃんと働いてそれなりに評価得た、素晴らしい事じゃないですか。私は家事はそこそこやれるのですが仕事では使えない奴でした。人それぞれですね。 (08/04/13 23:02)


 ■ 2008/04/06 (日) 新年ならびに新年度最初の日記、先行き暗澹な日々ふたたび


かなり前から日記の体を保たなくなって久しいですが、新年ならびに新年度最初の書き込みです。

昨年5月から私はとある大学(名前はそれなりに知られている所です)の事務補佐員(アルバイト)の仕事に就いて働きましたが、それも今年の3月31日までの契約という事もあって今は無職の状態に戻ってしまいました。契約の関係上3月31日までに次の仕事(別の仕事)に就かなければならなかったので就職活動を展開しましたが、受ける所受ける所不採用続きで4月1日から別の職に就く事もままらなず、無職状態からの求職活動を行わなければならなくなってしまいました。今となっては期間限定のアルバイトとはいえ働いていた時期が懐かしく思えるほどです。

ちなみに私は3月半ばで満30歳になりました。結局20代は前半は大学院に籍を置きながらも、研究そっちのけ自分の属する大学を含め学会発表や研究紀要を含む論文発表を一度もする事無く4年も大学院修士課程に所属して漫画やSF、アニメに音楽鑑賞にゲームにインターネットと自分の好きな事に全てを捧げまくった挙句に院を半ば放り出される形で修了、修了後にあたる後半においては慌てて就職活動を行うも正規・非正規採用を含めて3年かけて200以上の所を受けるも全て不採用、昨年からは就職活動のやり方を改めてアルバイトをしながらの就職活動に切り替えるも結局芳しい結果を出せず、というダメな人生で終わってしまいました。結局彼女も出来なければ新しい友人も作れず、昨年5月半ばから先月末までのアルバイト勤務の間を除けば孤独を背負った人生だったと思えてなりません。

アルバイトとはいえ仕事に就いていた時期は自分としても真面目に職務に取り組み、お世辞か私を気遣ってかはわかりませんが、職場における私の評価も悪くはなくむしろ良い方に評価されていたと思います。にもかかわらず就職活動で受けた先はこの10ヶ月半の中で展開してきた事が全く反映される事はありませんでした。この10ヵ月半はそれ以前の就職が決まらなくて苛立ちや鬱屈が積もりに積もっていた3年間と比べても生き生きとしていたと感じています。一応職務経験があるだけに就職もそれなりの所からは内定がくるものと思っていましたが、結局10ヵ月半の勤務期間に受けた所は全滅、契約満了の後に別の仕事に就いて4月1日から気持ちも新たに勤務という流れを作る事は失敗に終わってしまいました。

私の今までの人生は失敗に彩られた人生で成功経験など無きに等しいのですがこうしてまた失敗の歴史を作ってしまいました。これほどまでに成功とは無縁の人生を送っているばかりに無職になってからというもの鬱屈とした感情を覚えてばかりいます。そこまで自分は評価されないのかと思うと益々苛立ちが募る事もあります。

話は変わりますが、昨年末に大学・大学院と6年にわたってお世話になった指導教授が病で亡くなってしまいました。昨年夏から闘病生活を続けていたようです。その闘病生活に入る前である昨年の今頃に近況報告を兼ねて書いた手紙は指導教授に送った最後の手紙(便箋4枚にわたって綴りました)となりましたが、もう院を追い出される形で修了して3年も過ぎてから私は在学中は本業を疎かにして漫画やSF、音楽鑑賞にふけりまくって奨学金や親からも学資援助も有効利用できず、現在も趣味の事に触れると感情が爆発して物にあたったりするという事を述べました。その手紙の中では申し分程度にアルバイトでもいいから仕事に就くと述べてはいましたが、本心としてはこれほどまで苦しい生き方をしている自分に愛の手(=自分のプライドを満たせそうな就職先を斡旋)を差し伸べて欲しいという気持ちがありました。その後返ってきた恩師からの手紙では、ほとんどの事はスルーされ(わざわざ一文一文に返事を書くだけ時間の無駄と判断されたのかもしれません)、無償のボランティアでもいいから働いてみる事をお薦めする事と冷静に自分の力を見て自分の出来そうな事からやってみるべきという感じで書かれていました。また私が自分の趣味の扱いに悩んでいると書いた事については、職探しに疲れた際に楽しむ事は大いに結構だが何もせずに趣味に没頭してはそれこそ趣味が泣くとおっしゃられた訳です。

その手紙を頂いてしばらくした後、某大学での事務補佐員としてのアルバイト勤務が始まり忙しさのあまり私は恩師に手紙を送る暇すらない日々が続きました。忙しさだけではなく複数の事を同時進行で出来ないという不器用な所もお見舞いの手紙すら遅れないという醜態になってしまいました。私は最後の最後まで指導教授に大変失礼な事をしてしまったと今でも後悔するばかりです。どんなに我が身が零落して身なりが今以上に貧相になったとしても恩師の最終講義は出席すると以前から自負していましたが、それすら叶いませんでした。私が恩師に自分が一人前の社会人として自立していく事を伝えられなかった事は痛恨の極みですが、逆に考えてみると恩師が私が現在以上に零落してそれこそ底辺の底辺を這いつくばる姿を見る事にならなかったという事は幸せだったのではないか、と不謹慎な事も考えてしまったりもします。

その昨年末の恩師の告別式に出席した際には、大学院時代のゼミの同期の方やドクターの方とも久しぶりに会ったのですが、みんなきちんと自分の道に進まれており、かろうじて自分は期間限定の仕事に就いているだけマシという状態で情けない気持ちでした(その仕事ですら今年の3月31日で契約切れで終わってしまったのだから今思うと余計に情けなくなります)。

しかしながら私にとって親以外の大きな心の支えを失ってしまった事には変わりありません。ゼミに所属していた同期の方やドクターの方はそれぞれの道で忙しい日々が続いている事は察しがつくだけに、なかなか再び会うなんて事は出来なかったりします。だったら大学院在学中に人脈作りに励んでいればよかったのにと思うこともありますが、今更後悔しても何の訳には立ちません。他の人達はそれなりの道に進んでいるのに、私は相変わらず職も決まらずにくすぶり続ける、こんな状況が続いているとうんざりするばかりです。

これまでの人生においてこれといっていい事も無いまま20代も終わり30になってしまいました。大学院に進んだ西暦2000年頃の私は将来は薔薇色且黄金色に輝いているものと思っていましたが、それから8年も過ぎた今となっては宇宙の暗黒以上に漆黒の闇に包まれているという暗すぎて他ならないという状態に陥ってしまいました。これから将来の事を思うと暗澹たる気持ちにすらさせられる今日この頃です。



お名前   コメント

(´・ω・`)しょぼんぬ こんばんは(´・ω・`)ノシそしてお久しぶりです。少しずつでも、今後の見通しが立っていきますように。新年度だし、今がいいチャンスではないか、と思います。 (08/04/07 00:21)


前の月 次の月


日々の記録TOP

タイトル一覧 月別