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日々の記録


 ■ 2005/08/31 (水) 8月最後の日記


 もう8月も残すところ1時間を切ってしまいました(これを当日記に自分のWordからコピペした時間は8月31日午後11時10分頃)。結局今年の夏も私にとってはいい事無しの夏で終わったとしか言いようがありません。天気予報では9月に入ってもまだしばらくは30度を越える猛暑の日々も続くと言われていますが、8月を有効活用出来なかった以上はいい夏だったとは言えません。10代の頃は宿題を夏休み後半に溜め込んで一部は9月最初の授業にまでずれ込んだものもあったり、高校では予備校に通わざるを得ないほどダメな高校生だったので補習のために多くの時間を使い、大学以上はなんとなく講義を受けるといった毎日を送っていたため、8月から9月の間の長期休暇を有効利用する事など出来ませんでした。しかも私は友達という友達がいなかったため、一緒にどこかに出かけるなんて事もしませんでした。

 私の現在の窮状を考えると、大学・大学院の8年間以上に義務教育期間における怠惰な日常にまで遡る事になります。その頃の私は、クラスの中でも一緒にグループ行動したくない人物としては最右翼と見られているような感じでした。その頃の私の性格は今になっても改善されていません。性格はほとんど変わらないまま、自分の好きな物事に対する知識吸収量だけが増大しているという感じです。集めた知識が現在の就職活動において役に立っているのかと聞かれても、ほとんど役に立っていないとしか言えません。

 8月初めの日記にて、私は社会人生活に順応できるよう朝方の生活にシフトしようとして悪戦苦闘していると書きましたが、一月が経とうとしている現在でも慣れてきたかと言えば決してそうとは言えません。月曜から土曜までの6日間は朝の7時半頃に起きる事を心がけ(本当は7時丁度くらいに起きた方が良いらしいのですが)、日曜は休養日として10時頃ないしは11時過ぎに起きるようにしています。しかしながら就寝時間が夜中の2時過ぎだったりする事もあって、実質睡眠時間は5時間程度、人によってはこれだけ寝れば十分と言う方もいるかもしれませんが私の場合は起きてから1時間半程度は頭がまだ半分眠っている状態であって、そういった日々を過ごす事によって週末は疲労が溜まってしまっています。これを書いている今も疲労がたまって、今日一日半分眠っているような感じです。

 まだまだ私は気分次第で日々を過ごしているように感じています。学生時代は意欲的に勉学に励んでいた訳ではなく、一種の強迫観念に駆られて何となくやっていたようにも思っています。知的好奇心あってのものとは決して言えませんでした。今の生活はどうかと言えば、強い意志をもって行動している様にも思えなかったりもします。27になっても親の顔色を窺いながら生きているようにも思えて、情けなくなる事があります。

 やはり友達がいないというのは人間の一生において大きなマイナスポイント以外の何物でもないという事なのでしょうか。今の時代はネット等を使えば多くの物を知る事が出来ますが、人と人との付き合いの中で知る物は質の面で違うのではと思う様にもなりました。10代の頃の私は相当な偏屈者で友達なんかいなくても好きなラジオやテレビの番組を視聴していればそれでいいといった一種の幻想を抱いていました。もし私が遅く生まれていれば今頃はネット中毒になっていた事でしょう。大学進学以降はゼミなどで割と親しく声をかけてくれた人もいて、人付き合いが苦手な自分であってもこれは上手く付き合えるのではないかと思いましたが結果は卒業したらそれ以降は疎遠といった感じになってしまいました。前にも書きましたが、ゼミ時代の同期の方に近況報告を兼ねてメールを送ってみたりしたのですが、メールを送った人達は新しい環境に慣れる事に忙しい等の理由か返事が返って来なかったりしています。生涯かけて友人でいられるというのもなかなか難しく思えます。知人という分にはいくらでもそう言う事は出来ますが。

 このような事より友達が作れないというのは、社会において集団で行動する際には無意識に他人の足を引っ張る事もありうるのではと思う事があります。人に多大な迷惑をかけまくった結果が今のどん底状態である事を思うと、少しでも人に迷惑をかけず、自分の責任を果たす事の出来る人間を目指す事は今の私には必須であると考えています。


 さて最初に書いた近年の夏は何もいい事がないという事に関してですが、自分としてはこんな怠惰な夏なんて本当に御免こうむるというのが今の心情です。海外はおろか国内旅行(関東近郊を含め)も出来ないというのは自分が世界の広さなどを知る機会を失っていると考えられるでしょう。怠惰な生活しか出来ない人間は怠惰な人間として人生を浪費する事になる、そう言ってもいいのかもしれません。



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ぺけぽむ 職場から書いています(これ、給料泥坊かな?)。 社会でると大学の友人なんかとは会いにくくなるもんです。環境に慣れるのに精一杯になるからですね。これは別に珍しいことでもなんでもないですが。ところで、いっそ、就職活動を中断して、長い旅行に出るとか、これまでやったことのない冒険をしてみたら働でしょう。例えば、自転車で九州の南端までいって帰ってくるとか、そういう金のかからない手段で。環境のほうをがらっと変えて、ぜんぜんしたことのない経験をしてみると世の中が変わって見えてくるかもしれません。なんとなくですが、これまでのことばかり書くのに固執して、あなたの話は未来のことが出て来ないから、それくらいの事をしないと未来のことへ向かえないんじゃないかと思えてくるのね。現在ってのは過去のことからだけ成り立っているんじゃなくて、未来がそこから生まれるもんです。だから、貴方の日記は、貴方の「現状=現在の状態」の半分しか書いてないことになります。ありのままじゃないんだよ、過去のことばっかりを言うのは。これからの新しい環境にへ向かうことを恐れて、慣れ親しんだ過去にもぐりこもうとしているようにしか見えない。 (05/09/11 20:48)
幸運を祈る 友達もいい面もあれば悪い面もありますけど、やっぱりいい面の方が多いですからね。人との出会いってやっぱり大切だと、本当に今は思っております。これからも、いろいろな人と出会っていきたいですね。 (05/09/03 02:32)
たか 早くモラトリアムを脱出した方が良いですよ☆もっと必死になって生きてる人を見習ってさ♪自分の責任を果たすとか抽象的なことを言うのやめてもっと身近な定量化した目標を考えた方が前向きになれるのでは? (05/08/31 23:56)


 ■ 2005/08/15 (月) 今日は終戦60年目の日だけど、自分の見聞きした話について


 今日は60年目の終戦記念日になります。毎年8月になれば戦争関連の特集がテレビなどで放送されいわば恒例行事になっていますが、今年は60年という区切りのいい節目の年だけに例年以上に大々的にも感じられたりします。60年という時間は、人類が辿ってきた長い歴史からすればほんの一瞬かもしれませんが、それでもその間における万物の変化は著しいものがあると感じられます。思えば10年前の1995年は戦後50年と言われていましたが、それから今年に至る10年の間にも様々な意味で色々な物が変わっていったように思われます。

 10年前私は高校3年生。頭の中は受験の事で一杯でした。しかし私は中学3年の時に必死に受験勉強をして、何とか合格できた高校でも3年間で自分のレベルを落としに落として、3年次には私立文系にしか進めないくらいの状況でした。大学選びでも国公立や私立理系は無理という状況にしてしまった事は、現在自分が置かれている境遇とほとんど変わりが無いようにも見受けられます。必死な思いをして進んだ場所であっても、その中でぬるま湯に漬かっているうちに自分を窮地に追いやってばかりいました。入ったときは中くらいだったものが、出る時になると下の方に近い位置にいるといった感じで(入った時がピークで後は落ちるだけともいえます)。あたかも「茹でガエル」の話、つまり蛙を熱湯の中に放り込んでも熱さで飛び出して逃げるが、水から徐々に温度を上げていくと熱湯になった事に気が付かずにそのまま死んでしまう、のように思えてなりません。学生としての責任や義務を果たす事無く、自分の好きな事を最優先にやって来た結果が現在の惨状という訳なのです。

 私がこの日記で大学院という単語を出す事は決してプライドが高すぎるからとは考えていません。自分を卑下していると言われればそうにも受け止められるかと思いますが、途中ブランクがあったとはいえ日記を付け始めて1年半、私はありのままの姿を世に示そうという形で書いてきました。ネットで大学院に関する情報やら話題などを調べてみると、最近では大学院の様相といったものも10年以上前とは大きく様変わりしている事も目にします。私が大学院に入ったのは西暦2000年ですが、モラトリアム進学またはモラトリアム院生といった単語が90年代末から使われている事も知りました。学歴ロンダリングという単語を知ったのは修了した後ですが。

 私が院に在籍していた時期は、文部科学省が大学院重点化を唱えるようになり、どこの大学でも大学院の拡充が行われ、少子化が進行している現在でも継続されており、最近では大学院入学者(修士、博士、専門職含めて)が10万人を突破したというニュースも聞きました。しかし量的には拡充が行われる一方で質の低下も進行しており、前回書いた「今の修士論文は10年前の大学生の卒業論文以下」という話も割と最近耳にしました。ネット等でも大学院の抱えている問題も多く目にするようになって、大学院重点化の目的でもある世界レベルで通用する人材育成や高度専門的職業人の養成といった意味での大学院の質と量の面における拡充ではなく、就職出来なかったあるいは就職したくない学生の受け皿になっているという現状も知りました。社会に貢献できる優秀な人材を輩出するどころか、社会から隔絶された温室のような空間に長くこもってしまった挙句社会に通用しない人間を作っているといえるのでしょう。大学側でも少子化による学生数の減少(およびそれによる学費収入の減少)を少しでも補うために、大学院の拡充を行っているのではないかという話すら耳にする事があります。

 私自身の事は別としても、こういった事を見聞きすると2020年代または2030年代ぐらいには一体日本のアカデミックな分野はどうなるんだろうと思ったりもします。聞いた話によれば、後10年先あたりまでは日本のノーベル賞の候補者は出てくるかもしれないが、それから先は保障できないというらしいです。私もその一人なのかもしれませんが、数十年後には高い学歴を持っていても収入の少ない人間が世に溢れているといえるのでしょうか。


 今回は自分の事とは違う自分の見聞きした話題を中心に書いてみました。私は自分の好きなものやら自分とは関係の無い他人(主にタレントやミュージシャン)の話などには饒舌になる傾向がありますが、日常会話ではおたおたしてしまうくせに自分の趣味や好きなものになると急に饒舌になるというのはオタク人間の典型だという話を聞き自分のその中に入っているのではないかと思う事があります。私が狭い分野に閉じこもらずに、学生時代にもっと色々な事をやっておくべきだったと思う点はこういった所にあったりします。極端な事をいうならば、二次元美女・美少女モノにはスーパーエリートであっても社会一般に即した事が出来なければ社会のゴミ、クズと呼ばれても仕方が無いという事になるでしょう。

最後に大学院の現状等について書いてあるサイトを紹介しておきます。

http://www.rui.jp/message/09/16/03_6179.html
http://tsukinomidori.hp.infoseek.co.jp/backnumber014.htm


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幸運を祈る 自分は中学3年の頃、あんまり勉強した覚えが・・・です^^;本当に学生時代とかに、色々やっとけばとか思いますよね。これからもですけど。 (05/08/20 00:02)
大人の少年 また、”大学院”などという言葉が貴方の日記から目立ちはじめましたね・・・、もう過去はいいでしょ。そんな事より、就活の事に限定した内容の日記にしたらどうでしょう?日記を読まれた方からよりためになるコメントを書いてくれると思いますよ。 (05/08/17 23:58)
ロムの人 大学院卒ってそんなに偉いの?スーパーエリート?自慢できる事?残り時間は少ないですよ?無職でいるよりは、何か仕事をしている方がいいです。 (05/08/17 19:54)
通りすがり で、キミは何がしたいの? (05/08/16 00:34)
アニキ 僕はゆうめいとのバイトを始める前まではMOTOAKIさんと同じように色々悩んだりしてふさぎ込みがちになりましたが 無理矢理にでも何かしようと思ってゆうめいとのバイトを始めました。動機は不順ですがネットで楽なバイトで検索したら出てきたからです。。 実際楽でしたが色々考えることも多かったです。正社員としてお金を稼ぎたいとか、もっといい待遇の職場に尽きたいとか・・。自分の望まない環境にいるということはとてもストレスのたまることですが、しかしそこで次のステップを見つけるまでは動かないという目標を立てると動く、あがくしか出来なくなります。火の中に飛び込んでみましょうよ プライドを捨てて  (05/08/16 00:31)
アニキ いっそのこと「現在の大学院」というサイトを作ってみてはどうでしょうか 働き始めたら学歴は関係ないと思う まずバイトでも何でも働いてみましょうよ ゆうメイトなんかお勧めです  (05/08/15 20:34)
MOTOAKI 最後に載せたサイトの上の方は今現在の所繋がらないみたいです(それどころか「るいネット」自体サーバーが現在ダウン?のような状態のようです)。今回の内容の情報ソースでもある所(私は自分のフォルダにダウンロードしました)だけに一時でも早く見られるように願うばかりです。 (05/08/15 19:29)


 ■ 2005/08/09 (火) 夏真っ盛りの今、私が思い感じ、あるいは悩んだりしている事(長文)


 7月という月はここ数年を振り返ってみても自分にとってほとんど良くない意味で印象深い月でもありますが、2005年に関していえば去年と変わった所があるのか?と言いたくもなります。ただ去年に比べれば幾分忙しかったのではないかと思います(昨年の事については日記のバックナンバーを参照してください)。就職試験等で東京やさいたま市、川崎・横浜方面にも行く事もあって我ながら忙しく感じられましたが、自分にとっては色々な意味で暇の多い学生時代に比べて家以外に所属する場所の無い現在が首都圏とはいえ移動する機会が多くなったというのはいささか皮肉にも感じられます。学部・院時代はほとんどが家と大学の往復(その途中で図書館やら都内の大型書店への寄り道が入る)の連続で、関東地方の外に出た事など数えるくらいしかありませんでした。外の世界を見ようというモチベーションが著しく低く、自分の好きな事というインナーな世界で戯れていた結果が今の自分の惨状であると考える次第です。

 結局の所7月は1日以外は日記をつける事が出来ませんでしたが、結構砂を噛む思いをしたり屈辱感や悲しさ、悔しさにさいなまれる事が幾たびもありましたがそれらを文章の形で纏め上げる事までは出来ませんでした。私の日記は楽しいあるいは明るい話題よりも、自分のネガティヴな感情を文章という形でぶつけてきましたが、ここ最近はどうもそのようにはいかなくなっているみたいです。求人に応募→試験(筆記、面接含む)→不採用の永久運動にほとんど両足を突っ込んでしまっているからなのでしょうか。


 8月に入ってもまた去年と変わらない日常の繰り返しと思うと、一日一日の生活というものが無味乾燥に思えてうんざりしてしまいます。最近のニュースでは郵政民営化がらみの国会やら戦後60年の話題は別としても、興味を引くものといえば宇宙飛行士の野口聡一氏が搭乗したスペースシャトル「ディスカバリー号」に関するニュースと太陽系の10番惑星が発見された(といっても確定されてはいませんが)というニュースぐらいです。どちらも宇宙がらみのニュースですが、実際自分の足ではいけないような遥か遠方の世界の事の方が心躍るものがあったりします。

 今の時代はネットというものがもうほとんど我々の社会生活を一部を形成しているといってもいい位で、ネットにさえ接続すればアメリカやユーラシアの事については勿論の事、百何十億光年彼方の宇宙の事についても知りたい時に知る事も出来るのでパソコンはテレビやDVDプレイヤー以上の価値を持つものである事は肯定すべきであると考えたくなります。しかし現実にはそういった便利なものが身近な所に存在しても、日常を生きる事は苦しい事やら辛い事やらでなかなか楽しみが得られる事など少ないように感じられます(少なくとも私の身の回りでは)。それこそオラフ・ステープルドンが1935年に執筆した(日本では昨年に翻訳版が復刊)1000億年以上の壮大な宇宙の歴史を描いた哲学色あるSF「スターメイカー」の主人公のように幽体離脱でもして広大な宇宙の隅々まででも渡っていけるようになれればどれほど多くのものをこの目で見て知る事が出来るのだろうかと思う次第であります。よくトンデモ本と呼ばれるジャンルの本の中で幽体離脱をしただの云々という与太話がありますが、SF小説において肉体から精神が分離して遥かなる大宇宙を旅する話などと比べれば足元にすら及んでいないとしか思えません。確か「ペリー・ローダン」シリーズの現在翻訳出版中のサイクルでは主人公ペリー・ローダンの精神ならぬ脳が超越知性体同士の戦いの中で肉体から分離させられてて銀河系から程遠い架空の銀河にまで転送されてしまうといったストーリーが展開されていますが。


 さて私個人の話になりますが、最近は日常生活において苦痛に感じられる事が度々あって何を支えに日々を過ごしていけばいいのかすら分からなくなる時すらあります。その中には人付き合いが相当少なくなった事も挙げられますが、大学院のゼミの同期の方々に関しては、「就学年度の切れ目が縁の切れ目」であるかは知りませんが幾度かメールを送ってもなかなか返事が返ってこない時もあります。向こうにも仕事や研究などがあって、終わった人間の付き合いまでに時間を割いている暇が無い事を差し引いても寂しく感じられます。むしろメールの上だけでもお付き合いして欲しいと思ったりもします(ちなみに私は知り合い相手のメールでは自分の現状を恐ろしいほど深刻に書いたりはしていません)。

 苦痛に感じられる事の中で極北的なものとしては、一般的な勤め人に見合った生活が出来ない事、自分が家の中で同じ間違いをしつこく繰り返しては親の注意(これには私が社会人になるための訓練的意味合いも含まれています)を受ける事、過失をやらかして開き直るくらいなら謝って自分の失敗を認める方が何億倍もマシとばかりに謝ってもなかなか許してもらえない事などがあります。また最近(といっても今年の4月以前からですが)ではテレビ番組(アニメやバラエティ、音楽、ドキュメンタリー、映画といったありとあらゆるもの)やラジオなどをゆっくり視聴する事が出来なくなった事も苦痛に感じられる事があります。

 現在私は、もし運良く内定を貰えていつでも勤務できるようにと朝7時遅くとも7時30分にまで起きるようにと母親から一つの目標といった感じで言われて、それを実行しようとしていますが朝早い時間の就職試験の日を除けばどんなに頑張っても8時起きが関の山だったりします。大抵の企業では9時出社である事を考えれば、8時起きというものは家から歩いてすぐの所に勤め先があるならともかく、電車に乗って4、50分程度の所ではアウトになります。しかし私は大学入学から約9年、深夜の3時や4時、場合によっては朝の5時や6時に寝て、朝は10時や11時、これまた場合によっては午後2時や3時に起きるような不規則極まりない生活を送ってきたため、まるで今日から体操選手やマラソン選手を目指して特訓しろと言われたに等しい状況だったりします。普通の社会人の暮らしをするのに、時間調整や1日のスケジュール立ても全くといっていいほど上手く出来ず、これがまた私にとって辛く苦しい現状をもたらしている要因の一つであったりします。

 最近、私は何故進学を希望して大学院にまで行ったのかを時々考える事があります。こんな事を書くと何時までも過去にしがみついていないで今現在をどうするのか考えろと言われるかもしれませんが、学歴欲しさに進学を志望したと言わざるを得なかったりします。私が進路選択をした時期を思い起こすと、その前後は入試のあり方やら何かが変わったりとか難易度が幾分下がったりといった事もあいまってか私のように不勉強な人間でもある程度の準備で入れるようになったのではと思われます。しかし入ってからがほとんど自分の好きな事しかやらず、努力を要する事からは目を背けるようになりそれが一番顕著だったのが大学、大学院の計8年間でした。私は大学院で奨学金の無駄遣いが発覚してからもどういうわけだか学校にしがみついて2年もオーバーで在籍して、お情けの修士号を貰って放逐に近い形で大学院を終了しました。ちなみに大学院では近現代のドイツの政治史を専攻していたのですが、その中で自分はワイマール共和国時代におけるナチスこと国民(国家)社会主義ドイツ労働者党の運動について研究もどきな事をして400字詰めの原稿用紙に換算して70数枚程度、参考文献や注釈を含めて90枚程度という最近新聞等で耳にするようになった「今の大学院の修士論文は10年前の大学生の卒論以下」を地で行くような内容の論文を4年がかり(といっても3年間はフラフラしていましたから実質修論に費やした時間は1年)で書いて提出しました。

 結局私にとっての大学院時代は、ナチスドイツと宇宙帝国(類義語としては銀河帝国、つまるところは宇宙を舞台にしたSFの事を言いたい訳です)と二次元美女・美少女(要するにそっち系のアニメやコミックの事)に萌えていただけなのではと考える事もあります。学部時代を含めて8年、私は職業に対する意識は皆無に等しく、今いくら一生懸命それこそ学生時代の何倍もの力を振り絞って努力しても認められないという、ざるで水を懸命にすくってお湯を沸かそうとするような事をしているようにしか思えません。今の努力が将来になって報われるという事は肝に銘じているのですが、今現在の苦境の原因が大学以降の8年間の莫大な負債であると思うと、物理的な意味での負債はともかく精神的または心理的に背負った負債というものも完全に清算するまでは一体どれだけかかる事やらと言いたくなります。ましては自分が30になった時ですら、少しは減ってもまだまだ多くの負債が残っているように思われます。あたかも旧国鉄が抱え込んだ膨大な負債のようにも見えてなりません(余談ですが旧国鉄の30兆円にも達する債務の返済は現在も進行中のようです)。

 大学院進学希望とは別に考える事としては、もし私が6年前に大学院進学の道を選ぶ事無くそれこそ血の滲む思いで就職活動をしていたら今現在はどうなっていたかについても寝る前や電車の中などで考えたりしますが、なかなか想像つかなかったりします。自分自身では就いた仕事に長続きせず職を転々と変えて、今頃は無職になっているのではないかと思う事もあります。しかしながら親に聞いてみたら、少なくとも大学院時代にやらかしたような逸脱行為はせず、もっとあらゆる事にシビアになっていたのではとの答えでした。今でも私は大学院入学の年、つまり西暦2000年に戻って人生を再びやり直せたらと思う事があります。この日記においても度々述べてきたように2002年7月の例の日までの間を考えてみても、人生の修正を行えた機会は幾度か存在していたように思っています。そういった機会を上手く活用させる事が出来たのならば、現在のような苦境は大分緩和できたのではないかと考えられます。これはあくまでも架空戦記よろしくイフの世界の話ですが。

 現在も苦しみや辛さの緩和のために色々と私は力を尽くしています。時には勘違いをして他人の気持ちを逆撫でするような事もあったりもしますが、心を込めて課題に取り組んでいくという事を実践しています。学生時代何故自分は勉学をはじめほとんどの事が上手くいかなかったのかを考えてみると、一つ一つの物事に心を込めて取り組んでいかなかった、さらにそれが自分の視野も著しく狭める結果になった、からという理由が浮かびました。こういった事が割と最近でも、家事を手伝っている際に最後の最後で配慮が届かず自分の親切な行動がおじゃんになってしまう一因であると思っています。二次元世界の住人には許される事でも、現実世界では通用しない事が多く存在するという事は承知していますが、無知や不注意からくる失態というものはいわば罪に近いものなのではないかと考えたりもします。それを思うと自分や親や親族、学生時代の関係者などに大変な負担を負わせていた事は大きな罪作りであったという事になるのかもしれません。罪滅ぼしというと極端すぎるかもしれませんが、日常生活で細心の注意を払って過ごすという意識を持つで私は失態を犯さないよう心がけている次第であります。






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とも 過去は支払済みの経費。前向きにいこう (05/08/14 09:07)
幸運を祈る 自分も学生時代もっと真面目にというか、色々な事をやっていたらとよく思います。今でも出来ると言えば出来るのかもしれないですけどね^^;なにより勉強をもうちょっとやっとけばと思いました・・・もうその時間は帰ってきませんけど、お互いこれから頑張りましょう^^ (05/08/13 00:06)
韮山 客観的に見ましょうよ。 負けたのは就職活動にであって人生にではない。 こなした面接の中で、ちょっと良かったところとか、共通していやな顔をされるところとか、ここに綴りながら整理していくと、意外と簡単に答えが出るかもしれません。 (05/08/09 22:23)
アニキ プライドは捨てて何の仕事でも良いから働きましょうよ・・・  「大学院」という語句を今後一切ここで使用するのをやめてみてはどうですか??  (05/08/09 18:53)


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