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日々の記録


 ■ 2004/09/21 (火) 自らの挫折史に対して


 前回書いた時からちょうど10日が経過しましたが、どうも最近は書くために気合いというか自分の全精神を集中させてしまい、書き終わった後は抜け殻になったような気分になる事が多く、なかなか書く事が思い浮かびませんでした。9月に入ってからは東京のとある団体職員の試験や地元の市役所の筆記試験(受験資格の年齢ギリギリでした。合否はまだ先ですが)の二つを受験し、月末にも都内の私立大学の職員採用の筆記試験があります。また10月も二つばかり就職情報サイトで官公庁・その他団体に分類される所が二つばかり筆記試験を控えています。

 今現在は筆記試験対策などでなかなか家から出る事も少なくなりました。9月に入ってからも採用試験を含めて東京に出たのは2回、近所に散歩に行ったり地元および隣接する市の図書館に出かけたりしたのが5回、後市役所の試験を含めれば8回という事になりますので、もう半分以上は家にいて東京にはほとんど出かけていないという事になります。家にいる時にする事は筆記試験の対策勉強をするか読書をするか、ネットをするかの3つに絞られてしまっています。大学の就職課も今月は今のところ1回しか行ってません。明日から大学も新学期となりますので就職課に行く事も増えるとは思いますが、院を修了してからもう半年が過ぎてしまいましたのでそろそろ決着をつけたいという気持ちもあります。考えてみたら10月からは2006年3月卒業生向けの就職情報が世に出てきますので。

 今まで私は自分の希望する業種で受けられる所は受けてきましたが(まだこれからという所を含めればやっと40くらいになります)、そのほとんどの募集人数が若干名という所に筆記だけでも少ないところで5、60人、多い所となれば1400〜1500人はいたと記憶しています(後者は春頃に受験した某大手出版社の数を就職情報サイトなどから知りました。書類審査も入れると数はさらに増えると思います)。若干名という言葉自体相当曖昧に聞こえますが、5、6名程度と考えるのが妥当なのでしょう(とは言っても過去に10名近く採用している所もありましたが)。上の事から見ると筆記の段階で倍率は少ない所で10倍程度、大手マスコミとなればもう数百倍としか言いようがありません。過去に受けてきた中で筆記もパスして高い倍率を越えて面接(中にはほとんど最終といっていいものもありました)までこぎつけたにもかかわらず、後一歩の所で不合格を喰らい、いまだに内定という内定をもらっていません。

 こういった事も一種の挫折なのでしょうか。私は今、挫折だらけの生活を送っていますが(これでめげているという訳ではありません)、それゆえに大学院時代の話やら自分の中学生時代の嫌な思い出といったものを全部さらけだしてしまおうとしているのではないかと感じてなりません。赤の他人の挫折人生やら転落人生やらダメ人生といったものを長々と語られても、他人の気持ちになって考えたら苦痛以外の何物でもないと思えます。ましてやそんなものを「自費出版承ります」という広告を新聞に出している出版社に持ち込んで単行本にしても資源の無駄以外の何物にもならないでしょう。しかも小熊英二氏の『〈民主〉と〈愛国〉』並のボリュームと値段で出したらそれこそ金返せモノに過ぎないと思います(ちなみに『〈民主〉と〈愛国〉』はページが950ページ以上で価格も6600円近くしますので、去年ぐらいから近所の図書館等で借りて読もうとしましたが、中身をパラパラとつまみ食い程度に読んだだけで挫折してしまい現在に至っています)。もちろん『銀河英雄伝説』や『宇宙英雄ローダンシリーズ』のようなものにするのも論外でしょう(どう考えても後者は物理的に不可能としか思えませんが)。

 確かに大した事の無い過去話などしたところで何の解決にもなりません。現在の記憶を持ったままタイムスリップしてその時の自分となって人生をやり直す事が出来ればこれに越した事はありませんが、失敗してから初めて気付くものも多くあるといえます。過去にしがみついていたというのも自分が一つの事しか出来ず、しかもそれを完璧にこなしてこなかった所にあると思っています。親の言を借りれば私の人生はその時その時を大事にせずに自分の判断ミスで失敗して挫折を味わってきたにもかかわらず、それを他人のせいにしてきたという事です。中学時代に私は集団生活のルールすら理解せずに自分勝手な事をして他人から厳しく非難されていた事を覚えています(しかもそれを注意する人のせいにしていました)。親からも真人間になるように注意を受ける事も多くありましたが(今も注意を受ける事があります)、前にも書いた人は誰でもミスするたらの屁理屈をこねまくって聞く耳を持とうとはしませんでした。

 私以外の人からすれば、私が書き連ねてきたダメな過去などいわゆる「黒歴史」にしてなかった事にしたいあるいは存在自体認めたくないというようなものに過ぎないでしょう。ダメな過去、恥ずかしい過去など葬り去る事などは出来ませんが、未来を見る事でそのような過去は克服出来ると考えるべきなのかもしれません。THE ALFEEの「19(nineteen)」というナンバーにも「時間を戻せないなら 未来を変えるしかないのさ」という歌詞があるように。


 ちなみに「黒歴史」については「はてなダイアリー」にて挙げられていますので参考にどうぞ。 
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b9%f5%ce%f2%bb%cb
    



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ぺんぺん 過去ログから、ずっと読ませてもらいました。文章がきちんとしていて、インテリな感じがでています。私も人のことは言えないですが...。このログを書くパワーを行動に添加すれば凄い仕事ができますよ。これくらい文章がかけるなら、新聞記者に応募してたかもなぁ。まだ、秋の応募があるので受けてみては!? (04/09/25 17:54)
韮山 ぺけぽむさんの仰るとおりです。よく考えてみてくださいね。   それと、就活の具体的なアドバイスですが、筆記試験から始めるような団体職員のような職種は、ひとりひとりの人間をみて選考してはくれません。選択肢の一つとして受けるのは悪くないのですが、どちらかというとあなたを「高く買ってくれる」先ではないと思います。 自分自身の適職を探るなら、試験感覚で「応募」するのではなく「人と会う」に重点を移してください。 私が以前に人材紹介会社を紹介したのもその考え方によるものです。 いまは、自分の就職活動にノルマを課して(週に何回以上面接を受ける、など)、動いた中から経験を積み上げるのが良いと思います。 報酬をもらえる職にはついていないけれど、あなたは今「求職者」という職業人なのだから。 いろいろな人・企業に出会う中から、あなたの一切合切を受け入れてくれる相手もいつか見つかるはずだと思いますよ。 (04/09/25 12:51)
(´・ω・`)しょぼんぬ おお、日記更新待ってました。また印刷して読ませてもらいます。これからもかけるときに更新でよろしくです。 (04/09/22 15:40)
ぺけぽむ お久しぶりです。非常に長く書きます。申し訳ない。最初にお勧めの本を一冊。内田樹『街場の現代思想』(NTT出版)。とりあえず何か参考になると思います。続いて、失礼な言い方をあえて多々いたしますが、私の思うところを。人に対して苦痛かもしれない書き込みをするエネルギーで、逆のことをしたほうがいいのではないかと。自分の恥をさらして自己懲罰しても、過去の何かが清算されはしません。『地下室の手記』という小説をお読みなったことがおありですか? それはともかく、ネット日記の読み手はせいぜい想像力を目一杯使っていろいろ考えて返答するのが限界で、それ以上は要するに世人の限界を超えません。。それを恐らく貴方はわかっていることでしょう。なのに、受け手にとって無駄なメッセージを、自分でもそう思ってるくせに送信し続け、満天下に自分の恥をさらすことに情熱をそこまで傾ける理由がわからない。貴方は「他の人から見れば自分のやることは無意味で苦痛ですらある」とおっしゃるが、それはこの日記に限って見る限りまさにそのとおりです。ただし、これもまた正しいことと思われますが、貴方の人生はあなた自身で思うほどマイナスの方向にすら劇的でないということです。人生は平凡で充分です。比較対象にいちいち銀英伝持ってこなくて充分。彼女がいないことを『女神さま』思い浮かべながら嘆く必要もなし。保坂和志の『季節の記憶』や『カンバセーション・ピース』を読まれたら私の言いたいところはある程度ご理解いただけるかと思います。最後に、最大の問題と私が思うのは、「自分の恥さらし」以外のセリフが聞こえてこないことです。この日記でそこまで実存的に一体何を表現したいのかってのがどうしても伝わらないのです。私は劇的でない、平凡な、力の抜けた貴方の声を聞きたいと思うのです。あくまで個人的な願いですが、是非ご検討いただきたく。 (04/09/21 23:46)
大人の少年 書き忘れましたが、面接がんばってください、そして良い結果が得られるように! (04/09/21 23:32)
大人の少年 どうして、物事を結果論でしか判断できないのですか、先にも書き込みしましたが、結果結論を言うのは簡単です、しかし何も行動を起こさずそういったことを言うのは卑怯ですよ、何もしないのに結果ばかりを言っていたところでそこからは何も生まれませんよ、貴方は過去の自分という殻から出ようとしていないだけのように見受けられます。世の中には若くして天涯孤独の方も沢山います、その方たちから見れば貴方は、恵まれた環境にいますしかしそれは貴方にとっては甘えの世界につかっているに過ぎないのです、どうでしょう、契約社員でも派遣でもいいから一度親元から離れて生活してみたら・・・ものの見方考え方が替わる事によっていい経験になるかもしれませんよ、そしてその経験が貴方の今後の人生に役立つと思います。少々きつい書き込みをしてしまいましたが、がんばってください。 (04/09/21 23:30)
幸運を祈る 試験の勉強頑張ってください〜。 (04/09/21 23:15)


 ■ 2004/09/11 (土) 人間は誰だって失敗ぐらいするのだけれども・・・


 10日近く文章という文章がなかなか書けない日々が続いていました。何とか書こうという気を奮い立たせてパソコンのワードに向かってみると今日9月11日はあのテロから丸3年。もうそんなに経つのかという気さえします。ただでさえ昨今の国際情勢は目まぐるしさがあるだけに、物事が日々変化している事が感じられます。21世紀に入ってから3年と9ヶ月が過ぎましたが、子供の頃は21世紀といったらSFの世界に登場するような科学が発達して日々の生活の隅々まで苦労する事無く楽に過ごせる時代を想像していましたが、現実を見たら世界ではテロに戦争、我が国ではいつ終わるのかわからない不況に就職難、少年犯罪の凶悪化や外国人犯罪の増加にみられる社会不安、さらには官庁や企業の腐敗といったこの国の基盤そのものがもうおかしくなっているのかと思わざるをえない事ばかりがあふれています。

 自分自身を振り返ってみてもテロが起こった3年前はちょうど修士2年生でありましたが、修論は構想すらしっかりしたものが固まっておらずしかも文献もまともに読んでいない状態でした。普通なら2年の夏までに大筋を定めて、夏以降はそこに肉付けをする形で論文を充実させていくのがお約束だったと記憶しています。実際自分はそういった事もしないでただ漠然とドクターに行きたいとぬかしていた事が今となっては馬鹿馬鹿しく感じられます。ちなみにその頃の私は論文のろの字もわからないという体たらくでした。まともにやった事といえばライトノベルやコミックの発売日をチェックする事やTVアニメの放送時間に合わせてビデオのタイマー録画をする事ぐらいでした。今我が家のビデオは故障してしまって1年以上ビデオに代わるDVDレコーダーなどを購入していないためテレビ番組のタイマー録画も出来ない現状なのですが、故障した時まだ購入してから4年程度しか経過していないビデオを故障させたのは毎日のようにビデオのタイマー録画やら夜中や昼間に観賞する際、再生や巻き戻しや早送りなどをしつこくやって酷使しまくっていた事が原因だと思っています。

 あのテロ事件以降はアルカイダやらイスラムに関する本や21世紀のアメリカの世界戦略やアフガンやイラクの戦争に関する本、さらには帝国論のような国際政治の新たな側面(?)を提示する本などが数出ていますが、自分がそういったものに興味を持つようになったのは奨学金の無駄遣い発覚から数ヵ月後、つまり自分の2度目の留年が決定した頃からです。このような事から考えてみても、自分が様々な方面にアンテナを広げるようになるのが世間一般と照らし合わせても後手後手になっている事が伺えます。大学院に行っている以上は、常に物事の一歩先を見る事を意識しなければならなかった事は出てから気付きましたが、私は人がやった事に盲目的に追従する事しかしておらずしかもそれが自分にプラスになるどころかかえってマイナスしているようにも感じられます。ひとつの事しか出来ないという所でもうマイナスになっているといった事は以前にも書きましたが。
 

 数日前に私はミスをやらかして事で親から注意された事に対して、また感情を爆発させて近所迷惑な大声で怒鳴ってしまいました。おまけに大暴れしてテーブルや椅子を殴りつけるなど滅茶苦茶極まりない事までしてしまったのです。おかげで両手は今もわずかばかりですが痛みが残っています。私はこれから社会人になろうというのに注意を受ける事がどこか難癖を付けられたかのように感じる癖が全然直っていません。というよりもミスを大目に見て欲しいというか(人間誰だって失敗ぐらいするといってお茶を濁そうとした事もあります)、そもそも見て見ぬふりをして欲しいというような気持ちを持っているからその事を指摘されたら感情がえらく昂ぶってしまう事につながっているのかもしれません。悪い事をしてもバレなければ悪い事にはならないとか、見つからなければ何をやったって許されるという間違った考えを持っている事が自分を世間一般から距離を遠ざけているようにも感じられます。家にいる間に社会的常識を身につけるために、一日一日を大切にし失敗は明日の糧とする事を日々心がけているのですが、元々勉強には不熱心、好きな事だけをやっていたいという性格ゆえになかなか上手くいっていません。最近では父親からいっぺん社会に出てそこで様々な事を学んでみろと言われましたが、この事にも一理あるのではと考えています。

 社会を見てみる事は確かに大事な事だと思っています。私は十代というよりも小学生の頃から人付き合いが苦手な方でした。例えば小学生時代はファミコンが無ければクラスの友達と遊べないというそれはもう視野の狭い子供だったと今では実感しています。小学生時代を長々と書くつもりはありませんが、今を持っても視野が狭い事は自分の成長を鈍らせている事だとも感じられます。それゆえアルバイトに関しても、レンタルショップやCDショップの店員のようないかにも自分の趣味に近いようなものしか思い浮かんでいない事や、アルバイトで稼いだお金を自分の趣味の物の購入にしか眼中に置いていない事などが親に見抜かれていました。それこそ真面目なアルバイトなど探せばいくらでもあるのですが。そういった所で一種の社会勉強をして将来社会人になるための訓練をするという機会を自分から喪失していたという事が痛感されます。

 前述した「人間は誰だって失敗ぐらいする」は、私がくだらないミスをしでかした時に使ったりしますが、そう言って誤魔化しまくった結果が今の惨状につながっているとも言えるのかもしれません。確かに人間は完璧な存在ではないのだから失敗は誰にもあるという事は否定しません。しかしそれにおんぶに抱っこして物事の視野を狭めれば批判を受けるというのも当然であると認めざるをえないでしょう。私は大学院時代も自分の論文の経過報告を、ちっとも論文を書いていなかったためドタキャンしたりすっぽかしたりして指導教授に迷惑ばかりかけていました。さらには本来指導を受ける身でありながら、それを避けまくるという矛盾した行動をとっていた位です。それを「人間は誰だって失敗ぐらいする」と誤魔化していたように考えられます。終わってしまった今となってはまるっきり不適格人間をやっていたとしか思えません。これでは全く失敗云々以前の話です。
 

 20年にわたる学校生活は私にとって知識的な面はともかくとして、集団生活をはじめとする一般常識的な面ではほとんど失敗としか言いようの無いものでした。それゆえに社会人になるための常識を今年中に身に付けなければならないという状況に自分を追い詰めてしまい、それでもなお甘やかして欲しいという気持ちをまだ持っているという自分の不甲斐なさを暴れて時間が経過した後には痛感しています。親が厳しく注意する事も聞かなければならない事は認めています。日常生活を本能の赴くままに生きるというのはそれこそ自分を間違った方向に陥れる事になると実感しなければならないのでしょう。





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sen あと10回ぐらい大学院のことを書いたら、必ず次に進みなよ。 (04/09/19 15:22)
名無し 君は口ばっかりで実行力が皆無っていうのかな。現状で就職できても上司には嫌われるだろうね。とりあえずバイトして社会性を身に着ければ? (04/09/14 21:37)
幸運を祈る 3年前、自分はアルバイトしてましたね。そのテロが起こった時は、映像をみてびっくりでしたよ・・・ (04/09/12 13:56)
511 お気持ちは良くわかると同時に、自分にもグサグサと刺さりますね。人付き合いが苦手だと、なにをやるにしても、後ろ向きになってしまいがちです。どこに行っても人はいますから、人間関係をちゃんと構築できるか不安になるからです。僕もそうですよ。お互い頑張りましょうよ! (04/09/12 04:05)
韮山 私はテロの頃は銀行員でした。遅くに帰宅したら、ニュースがそれ一色だったのでよく覚えています。ただ、その頃を振り返り「自分は使えない銀行員だった」などとは思わないようにしています。新しい環境に身を置く自分にとって、当時使える銀行員だったかどうかは関係ないからです。3年前の自分を悔やむよりは、3年後の自分に悔やまれない自分であることの方が重要だと思います。修士論文のことは、もういいじゃないですか。今から手直しするわけにはいかないのだから・・ (04/09/11 23:23)
大人の少年 頭の中で考えてばかりだと、なかなか行動に移せないですよ、少しの時間でもいいからアルバイトでもして、違った環境で自分の身を置いてみては、どうでしょう?両親と同居であるなら生活そのものは、出来るが、せめて食費ぐらいは自身で稼いで両親に渡すようにして・・・少しずつ社会の「空気」にふれてみては・・? (04/09/11 21:51)
一般人 早く大学院のトラウマから抜け出さないと何も変わらないのでは・・。 (04/09/11 21:08)


 ■ 2004/09/02 (木) 9月初日に思う事


 オリンピックが終わってしまった事を見ると、今年の夏も終わったんだなぁという気分になります。台風一過の関東は再び蒸し暑い日々になっていますが。とはいえ明日あたりからまたしばらく涼しい日々が続きそうですが。

 日付はもう変ってしまいましたが9月1日の今日は、防災の日でもありますが小学生から高校生の人達にとっては2学期最初の日でもあります。9月1日というのは夏休み気分も払拭しなければならない日だと考えられますが、私の小中高を見てもなかなかそういう雰囲気ではありませんでした。夏休み一杯かけても宿題を終わらせる事が出来ずに、2学期最初の授業の日(大体1週間程度のブランクがありました)までに親の協力の下で何とかつじつまを合わせて提出するという事を繰り返していました。

 大学に進むようになってからは、後期の授業開始が大体9月末から10月始めだけにまだ休みはあるという気分で過ごしていましたが、さすがに大学院で留年するようになると休みであれ授業期間であれ鬱屈とした気分で過ごしていました。

 そして無職となった今年も2002年と2003年の夏と変っていないかと言えば、変り過ぎたとしか言えないでしょう。先に挙げた年はまだ大学院という自分の受け皿、つまり拠る所があっただけにだらしない日常を過ごしていてもなんとか心の平安を保つ事はできましたが、今は家以外に拠る所がなく心の平安を保つ事にも苦労する事ばかりです。

 私にとって自分の心のバランスを保つためにしている事は、現在では読書(SF小説や宇宙関連の書籍、歴史書、またはコミックなど)とネットサーフィン、音楽やラジオ鑑賞です。もうまるっきりインドアな生活になっています。前にも書いたように就職活動費をある程度はキープしておかなかればならないため、おいそれとどこかに出かけたり、値段の張る物を購入したりする事などはもっての外。今は本を買うにしても熟考した上で購入しています。それ以外は以前にも書いてきましたが、図書館で借りた物で済ませています。外出も週に2、3回程していますが(そのうち1回は大学の就職課参り:もうこう言うしかないでしょう)、近所の図書館や本屋そして古本屋に出かけては時間をつぶす事をしています。


 しかしながら私は親と自分の進路について話すとなると、何故かしら自分の不甲斐なさを屁理屈並べて自己弁護したり(しかも近所迷惑な程の大声をあげて)、自分の趣味を否定されているように勘ぐっては大声でこれまた自己を正当化したりとここ最近の日常を振り返るとろくな事をしていません。親に言わせれば大学院をスキルアップどころかただ就職したくないから逃げ込んだだけの私の趣味は、全く生きる上で無用だという事のようです。こういう事を言われると、私としても人格形成において全てではないにしろ幾分かは役には立ったといいたくなる訳です。

 しかし改めて思えば、自分は銀英伝に登場する英雄達のように万人から尊敬ないしは畏敬の念で見られる人間とは程遠い(嫌われ者や無能キャラには近いかもしれませんが)存在にしか過ぎず、ましてやベルダンディや桜庭葵ちゃんやまほろさんのように献身的な女性などにめぐりあう事など全くありませんでした(こんな事をいっているようではただのもてない男の妄想と切り捨てられるかもしれませんが)。第三者からみれば、結局のところ私がSF小説やライトノベル、アニメやコミックから仕入れた知識など現実社会を生きていく上ではほとんど役に立たないものばかりなのかもしれません。

 大学院に行きながらも研究を真面目にしてこなかったという事を嫌というほど書いてきましたが、私は親と会話して議論が平行線をたどってしまう事を繰り返すようになると、自分は有名大学大学院に行こうが就職率百何十パーセントとかいっているアニメ系の専門学校に行こうが大して変らないのではないかとすら考える事があります。その100パーセントを超える就職率を謳っている(といってもその業界とは無縁のアルバイトのような仕事までカウントしているという話をネット上などでよく聞きますが)アニメ系の専門学校に行けば、ある意味で趣味に近いものに囲まれた生活をエンジョイ出来たのかもしれませんが、お先真っ暗である事は確実だったでしょう。しかし私はいわゆる「趣味系」専門学校よりもちゃんとした大学および大学院を選びました。そこでやっている事はそういった専門学校に行っても十分にやれるような事かもしれませんが。私は自分の経歴に関しては、自分にとって汚点にもなるような道ではなくプラスになるような道を選んだと考えています。今現在は大学院卒に関しては、時々行くだけ無駄であったと貶めたり、大学院卒という経歴を誉れ高きものと称えたり、ほとんど持ち上げたり落としたりを繰り返しているようにも感じています。自分の経歴をその時その時の都合によっていいものにも悪いものにも扱ってしまう現状を考えると、社会に出て給料分の仕事をするという事などもっての外という事にしかならないのでしょうか。
 

 もう今年も3分の2が終わってしまいました。9月を含めて残すところ後4ヶ月ですが、がむしゃらにやる事には限界がきているのかもしれません。いや大学に進んでからの8年間を趣味・娯楽三昧で過ごしてきた大きな負債を背負い込んでいるだけに拠り所を無くしたからという理由で慌てて就職活動をしても良い結果など自分に帰って来ないという事なのでしょう。私はいくら雇用形態や情勢が変化しているとはいっても、まだ安定しているといえる正社員として仕事に就く事を第一に就職活動をしています。自分としては不安定な形での就職よりもある程度は安定した地位で社会に出て働きたいという気持ちがあります。最近また少し親戚が私の進路についてうるさくなってきました。大学院を修了してもう5ヶ月になりますが、何とか結果を残して親戚にも恥ずかしくないようにはしたいと思っています。

 このサイトにて日記を書かれている方の中にもちゃんと仕事に就いて無職から脱却されている方もいる事は十分認識しています。私もそういった方々と同じようにちゃんとした仕事に就いて社会人としての人生を歩むために、一日一日を大事にして過ごす事を心がけています。少なくとも受ければ落ちるという事を繰り返して、他の方々は仕事に就いているのに自分だけは仕事に就けず新たに加わってきた人達に混じってしまい、ある意味で「主」のようになっているという状況にはなりたくないと思います。



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韮山 怖がらずに一回、世間で言うところの「会社」がどんなものか体験する機会があるといいと思います。 まだ正社員の可能性もあるので、未来をしぼるには早い気もしますが・・ ともかく、社会で働いている人の声を聞く機会を多く持つ(つまりは1対1での面接でこちらから逆質問する機会を多く持つ)ことがあなたの場合重要かと・・ 今は、新卒対応の人材紹介会社もあります。 案件がもらえるかどうかはともかくとして、専門家にアドバイスをもらえる機会として活用してみたらいかがでしょうか。 http://www.career-m.com/jigyou/shinsotsu.html (04/09/03 02:20)
幸運を祈る そうですね、気がつけばもう9月、あっという間に年末ですね・・・ (04/09/02 23:57)
訂正 ↓ 結果結論を先に言ってしまうと (04/09/02 08:25)
大人の少年 人は結果結論を先に出してしまうと、以前先には進みません。確かに正社員で雇用されることは誰もが望むことです、確かに安泰かも知れません、しかし、雇用情勢は、年々きびしくなりつつあり正社員枠もいっそう狭まってくるでしょう、しかし替わりつつある雇用形態に新たな価値観を求めている人も沢山います。派遣社員のほうが人生設計を立てやすいと思ってる人も沢山います・・・お互いがんばりましょう。 (04/09/02 01:23)


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