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PIANO・BAR ハナレイ・ベイ


 ■ 2010/08/29 (日) 理解不能


鳩山由紀夫さんっていう人は一体何だろう
何を考えているのだろう

僕は別に菅さんを支持するわけではないが
何故、今小沢さんを「全面支持」なのかさっぱりわからない
ついこの前、おふたりでダブル辞任したばかりなのに
何か小沢さんに義理立てしなければならない理由があるのだろうか?

人間関係というのは時に
関係ない第三者の新鮮な目で見るとまったくバカバカしく見える
それはサラリーマンの世界も政界も同じのようだ。


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 ■ 2010/08/26 (木) 無間地獄


部長は副部長にネチネチ、副部長は課長にがみがみ、
課長は係長である僕にネチネチ・ガミガミとつらく当たる

実は今日、東京の本社から地方視察ということで
課長クラス御一行様が当地にこられたのですが、
この日のために1か月以上前から私と課長は準備をしていました。
出迎え、事務所での業務説明、書類での業績評価、夜の接待
となんとか無事に終わりました。

課長は、ここ1週間、非常にナーバスになっているのがわかり
私も叱責や嫌味、皮肉を山のように浴び、ノイローゼ気味でした。
ところが今日、副部長の課長に対する強烈な叱責の現場を見、
嗚呼・・・と思いました。

つらいです。生きていくのはとてもつらいです。



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サイコロ 誰にも頭を下げなくてよい地位につきたいですなぁ〜 (10/08/29 11:47)
トラ 大企業のサラリーマン特有の辛さでしょう。何かを得るには何かを失うものだよ。確かに生きて行くという事は闘いの連続だね。 (10/08/26 22:54)


 ■ 2010/08/01 (日) ダンディズム


中国の戦国時代、儀の国に張儀という雄弁家がいた。
自らの雄弁術だけを頼りに各国を歩き回り、彼の能力を認めてくれた王のもとで
征服戦争の指揮官を努め、功をあげればそれに応じた報酬を受ける。
もっと重用する王がいれば、ためらわず彼はそちらに乗り換える。
張儀は秦の恵文王のもとで名声を築いたのだが、
あるとき恵文王は楚の一部を秦の一部と交換することを考えた。
そのとき楚の懐王はこう答えた。
「否。しかし張儀となら交換してもよい」

この文章は、昭和59年11月の週刊ベースボールの男の美学という
コラムの一節である。それは次のように続いている

近藤貞雄は現代によみがえった張儀である。
自らは動かずとも、向こうから彼を迎えに来る。
「人間的な信用、技術的な信用、これがあるから、大洋は僕を呼んでくれたんだ
 と思いますよ、ええ」
西武の広岡とよく比較され、実際、また同じような道を歩いてきた。
が、近藤には求道者のようなところがない。あくまでもプラグマチックである。
「面白い野球をやれて、しかも強いチームをつくりたい。そうすればお客さんも
 入るし、球団はもうかる。これが一番いいんですよ。」・・・(中略)

近藤貞雄さんというのは、自分が大学の頃、プロ野球の大洋の監督をしていた人だ。
スーパーカートリオやアメフト野球等の新機軸のアイディア野球を打ち出した監督で
弱小球団だった大洋を率いてセ・リーグをかき回した。
大洋のファンだった僕は、週末はいつも横浜スタジアムに通っていた。
(もっともエース遠藤をたてて巨人に勝ち越した後は、バースや岡田のいた阪神
 の猛打に弱体投手陣が粉砕されるというのが、当時のパターンだったのだが・・・)

近藤さんは5年前、80歳で他界した。
当時つきあっていて、今は神戸に住んでいる大学の同級生だった彼女からは
昨年、上の子供が成人式を迎えたというメールをもらった。

横浜にいくといつもこの頃を懐かしく思い出す。


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