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不信のとき

Author:伊藤 博文 ( Profile )
心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。
    〜聖パウロの言葉より〜

 ■ 2015/12/29 (火) 【12月9日】1936年(昭11) 沢村栄治VS景浦将、初の「王座決定戦3番勝負」


 【巨人5−3阪神】4回表無死二、三塁、カウント1−3。阪神の先発投手にして、5番に座る“猛将”景浦将(かげうら・まさる)は、背番号14のドロップ(タテのカーブ)に的を絞っていた。

マウンド上の巨人・沢村栄治投手が5球目に選んだのは、やはりドロップだった。前の打席で景浦に自慢の「まっつぐ」(直球のことを沢村はこう言ったという)をセンターオーバーされた記憶が、川の急流に例えられた落差の大きい「懸河のドロップ」を選択させたといっていい。

 吉原と並ぶ色里「洲崎パラダイス」として知られる遊郭に接する東京市城東区南砂町(現東京都江東区新砂)に11月29日に開場したばかりの洲崎球場。最低気温は2度。時折氷雨がそぼ降る中、スタンドに陣取った当時としてはかなり奇特な約1800人の職業野球ファンは次の1球を待った。

 バットを担ぐように構える景浦の身長は1メートル70もなかったが、どっしりと腰を落とし眼光鋭い視線は迫力満点。1メートル80の沢村はその気迫に押されているのが自分でも分かった。腕が振れずに投じたドロップはいつもの落差がなく、ベルト付近の絶好球となった。

 景浦が見逃すはずもない。高々と上がった打球は、打った瞬間それと分かる左翼席最上段に突き刺さる3点本塁打。141回3分の1を投げたこの年の沢村が、初めて浴びたスタンドインの大ホームランだった。

 講談や漫才の題材としても取り上げられた、洲崎での沢村対景浦の一騎打ち。巨人−阪神戦が「伝統の一戦」と呼ばれるようになったのは、この名勝負が起源と言っても過言ではない。

 沢村はこの3点のみに阪神を抑え、10安打されたものの11奪三振で職業野球初の「王座決定戦」第1戦に完投勝利。試合時間はなんと1時間15分。午後2時に始まって、3時過ぎには終わっているという早さ。当時の平均試合時間が1時間20分程度だから標準といったところ。今のように複雑なサインもなければ、タイムを頻繁にとることもない。力いっぱい投げ、力いっぱい打つ、そんな単純明快な野球だった。

 続く第2戦、一気に勝負を決したい巨人は再度沢村が先発。6回まで投げたが5失点で敗戦投手(巨人3−5阪神)となった。最終決戦となった12月11日の第3戦、沢村は先発前川八郎投手の後を受けて、リリーフで5回を投げ無失点。第1戦に3安打されるなど、景浦に手を焼いた沢村だったが、第3戦ではリベンジ。「まっつぐ」で3球三振に仕留めた。巨人は4−2で阪神を破り、勝利投手となった沢村は巨人の職業野球初代チャンピオンの原動力となった。

 実は沢村、シーズン中盤からずっと右肩痛に悩まされていた。王座決定戦前に巨人・藤本定義監督に「投げさせてください」と直訴した沢村に、巨人が決定戦中に合宿をはった東京・呉服橋の旅館の主人が用意したものは「痛みによく効く」とされた馬肉のかたまり。なぜ効くのか、医学的根拠はないが、就寝の際、沢村はそれを右肩にあてて眠り、3連投を演じたのだった。

 伝説の強打者景浦は実働5年で打点王2回、首位打者1回を獲得。投手としても36年秋には防御率1位に輝いているが、気ままな性格で、気分が乗らないときはさっぱり。打撃の通算成績は323試合で307安打25本塁打、打率2割7分1厘。伝説の割には物足りない数字なのは、この性格がかなり災いしている。

 投手としては56試合で27勝9敗。274回3分の1を投げ、防御率1・58というのも凄いが、被本塁打2本というのも驚きの数字。「速いというより球質の重い投手だった」と、巨人の名二塁手・千葉茂は回想している。

 景浦は太平洋戦争中の43年(昭18)応召され、終戦まで3カ月を切った45年5月20日、フィリピン・カラングラ島で戦死。戦闘で敵の銃弾に斃れたのではなく、戦病死だったという説もある。永遠のライバル沢村は陸軍に3度目の召集をされ、景浦が命を落とす半年前の44年12月2日、同じフィリピンに向かう途中に台湾沖で乗っていた輸送船が米潜水艦に撃沈された。生存者はなく、最期の状況すら不明という。職業野球初期の投打のビッグスター2人を戦火の中で失ったことは、日本の野球界にとって痛恨の極みであった。 

 現在の日本シリーズに相当するといえる王座決定戦の開催は複雑な公式戦のシステムから生まれた。職業野球=プロ野球が本格的にスタートしたこの年、公式戦は1リーグ7球団による総当たり戦を4回、トーナメント戦を2回行い、それぞれ1回ごとに優勝チームを決め、その総合得点で年間優勝を決めるルールだった。単独優勝にはポイント1点、同率Vには0・5点ずつという配分で、その結果巨人と阪神が2・5点ずつの同点となり、王座決定戦が行われることになった。「第2次東京リーグ」と銘打たれた4回目のリーグ戦が終了して中1日で第1戦という慌しい日程だった。


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記入なし 講談の「英国密航」聞いたことあるかい?毛利の殿様は好きだよ♪ (16/01/02 23:03)
伊藤 博文 アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」って読んだことあるかい。僕も薩長土肥よりフランス流の徳川幕府が出来上がれば面白かったのにと思うね。 (16/01/02 00:18)
記入なし 長州藩は嫌いだ! (16/01/01 20:31)


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