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不信のとき

Author:伊藤 博文 ( Profile )
心に愛がなければ、いかなる言葉も相手の胸に響かない。
    〜聖パウロの言葉より〜

 ■ 2012/02/29 (水) 夢


中学の同級生だった女の子と笑いながら世間話をしていた
場所はどこかの喫茶店の中である
話の中身は忘れてしまったが、久しぶりに楽しい時を過ごした

場面が変わって僕と彼女はタクシーに乗っている
皇居のお堀端をタクシーの窓から眺めながら
彼女が言うには
「私は今、離婚して一人で働きながら暮らしているの」
僕は「ふうーん、そう」

・・・・ここで目が覚めた
暑い夏の夜だった。エアコンの静かな空調の音を聞きながら
時計を見ると午前3時だった・・・


ちなみに僕と彼女がいっしょのクラスだったのは今から34年前
彼女に最後に会ったのは今から27年前

そして・・・上記の夢をみたのは今から11年前のことである





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 ■ 2012/02/19 (日) 感想戦〜(謝 依旻 − 羽根 直樹 戦を観ながら)〜


感想戦(かんそうせん)とは、囲碁、将棋、チェス、麻雀などのゲームにおいて、対局後に開始から終局まで、またはその一部を再現し、対局中の着手の善悪や、その局面における最善手などを検討することである。(Wikipediaより)

人生にたとえてみれば、臨死体験中の人生回想がこれにあたるわけで
終わった試合を振り返りながら、あーだこーだと言っている
ある種のむなしさを感じさせる・・・
対局中の緊迫感にくらべて、それは弛緩したムードがあるのはやむを得ないか

僕らはまだ生きているわけで、つまり今、試合(ゲーム)の真っ最中である
つねに頭を働かせながら、最善の手を練り戦っているわけだ
人間の一生など終わってしまえば、誰も振り返らないむなしいものかもしれないが
それでも自分自身が生きている間は、スリルを感じながら戦っているのである

棺が覆われて人間ひとりの一生が定まるまで、
自らの納得がいく人生を送らんものと戦っている
それが他人から見て、いかに小さくつまらなく見えても・・・だ

僕は最近、先達・・人生の闘争者達・・の伝記をむさぼり読んでいる
さまざまな人生の感想戦を知るのは興味深いものだ
この世は面白くてしょうがない・・・戦場?それとも劇場?

謝依旻女流本因坊の顔がゆがんでいる
女流本因坊初のベスト8進出だが、苦しい試合だ













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記入なし 女流棋士も強くなったんだろうけど、日記を読んで故・大山康晴十五世名人を思い出していた。相手がダメと見た形の先に罠を張って勝ちきる将棋が凄かった。 (12/02/19 20:14)


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