日記HOME TOP タイトル一覧 月別 


無色の妄想日記

タイトルを変更しました。

現在、福島県郡山市に仮寓させていただいている。
ありがたいことです。

旅をしている時の状況が時に思い出される。泊まる当てもなく、地図を片手にひたすら歩いた。雨の中、強風の中、雪降る中、そして、暴風雪の中。ひたすら歩いた。歩いている時には不思議に恐怖感や切迫感は無かった。何とかなるという気持ちですね。

今、雨、露、雪、風を凌げる部屋を提供していただいている。このことがどれほど嬉しい事か。実感している。

残された時間がいくらほどあるかは判らないが、残された時間を、自身の身魂を磨くために使おうと思う。スピリチュウアルを学んできているのだから、自身が信じる道を進む。    ただ・・・それだけ。

 ■ 2014/11/21 (金) 日々雑感


穏やかな時を過ごさせて頂いている。
ありがたいことです。
大家さんは相変わらず良くして下さる。バス停のごみを整理していると、老婦人が近づいてきて、「毎日ご苦労さん」と、缶コーヒーをいただいた。以前は、自転車に乗った男性から「ご苦労さん」と、缶コーヒーをいただいた。下宿に迎えに来る(下宿のおっさんの仕事の迎え)社長さんから、「あんた見られているよ」と、忠告!?された。
良くも悪くも注目されている。
私としては、“ひっそりと潜伏”しているつもりなのだがね・・・。

今日、衆議院が解散した。
ラジヲで始めて万歳の声を聞いた。
さて・・・国会議事堂の中の妖怪人間、スパイ、魔女、魔男供を落選させて、”倭の、大和による、地球人類のための国つくり”ができる体制を築く事ができるかどうか!?なんか、今回の解散はやまとだけではなく、人類にとって非常に大きな意味を持つものだという気がしてならない。このことはちっほけな民族意識からではない。非常に大きな時代の転換期に差し掛かっていると思われてならない。

ラジヲを聞いていると、大阪の橋元さんが大阪市長をやめて、大阪知事とともに国選選挙に立候補するというようなことを言っているとのこと・・・!?本当か!?
大阪知事を途中でやめ、子分に引き継がせ、先の”民意を問う”というわけのわからない選挙で、「落選したら、大阪知事とともに去る」とか言っていたね。これらの言葉から、「組織的、計画的に」動いているということを、橋元さんは”公言”しているのですよ。
派手なパフォーマンスで聴衆(愚民かされた大和の民)を魅了し、派手に動き回り、欧米系と目されている石原さんに近づき、維新の会なるものを作り上げる。大阪市長の仕事はやっているのかね!?これらの動きを見ていると、混乱と破壊の種をまいているとしか思われない。

私は、在日の心ある反日の人々に問いたい。
あなた方は、混乱と破壊の世界を目指しているのか・・・と!?
自分の脳みそを自分で使わず、刷り込まれる知識を盲信し、日本はけしからん!大和はけしからん!と、いいたい放題、やりたいほう題している。私はそんな連中をいやというほど見てきた。多くのところに入り込んでいる。その連中の中には、「わからなければ何をやってもいい」「相手の弱みを見つける」ということを平気で公言する連中がいる。
今さえよければ、自分さえよければ・・・という考えに執着している。

あなた方が刷り込まれた慰安婦問題。
それでは、あなた方の国の事情はどうなのか!?
以下、ネットで調べればわかることをコピーする。

ウッキーペデアより引用

韓国軍慰安婦(かんこくぐんいあんふ)、または大韓民国軍慰安婦 (だいかんみんこくぐんいあんふ、한국군위안부、대한민국군위안부、Korean Military Comfort Women[1])とは、日本が大東亜戦争で無条件降伏した後における韓国軍と在韓米軍や国連軍を相手にした慰安婦。朝鮮戦争やベトナム戦争では韓国はアメリカ合衆国を基盤とした連合軍に参加したため、韓国で設置された慰安所および慰安婦(特殊慰安隊)は韓国軍だけでなく米軍をはじめとする国連軍も利用した。現在も坡州市のヨンジュコル(용주골、en:Yong Ju Gol)[2][3]などに存在している。

韓国陸軍本部が1956年に編纂した公文書『後方戦史(人事編)』には「固定式慰安所-特殊慰安隊」とあり、朝鮮戦争中は「特殊慰安隊」[5][6][7][8]または「第5種補給品」[5][9]とも呼ばれた。
朝鮮戦争後は「美軍慰安婦(美軍はアメリカ軍のこと)」[10]「国連軍相対慰安婦(UN軍相對慰安婦)」と呼ばれた[11][10]。
韓国では、「慰安婦(위안부)」という言葉は、1980年代までは主に米軍・国連軍慰安婦の事を指しており、日本軍慰安婦はほとんど問題になっていなかった。しかし1990年代に日本との問題が大きくなってからは、「慰安婦」という言葉は、日本軍慰安婦に対して使われるようになり、米軍・国連軍慰安婦に対しては使われなくなった[12]。
ほかに蔑称の意味合いもある「洋パン(ヤン・セクシ)」[9]「洋公主(ko:양공주、ヤンコンジュ、ヤンカルボ)」[13][9][7]、また毛布一枚で米軍基地について回るという意味で「毛布部隊」[13]、ベトナム戦争時は「ディズニーランド」とも呼ばれた[14]。また米兵を相手にするフィリピン人慰安婦を「ヤンキー売春婦」「コメで動くチビ茶色のファッキンマシーン」などとする蔑称もある[15]。ほかにジューシーガール(juicy girls)、バーガール(bar girls)、ホステス(hostesses)、エンターテナー(entertainer)という言い方もされる[16][17]。
「挺身隊(정신대)」[18]・国軍挺身隊とも呼ばれた。
これらの英語表記はcomfort womanであり、日本語の慰安婦の英訳と同一である[13]。英語では韓国軍・在韓米軍慰安婦は一般にKorean Military Comfort Womenと表記される[1][13]。
もっとも朝鮮戦争やベトナム戦争におけるこの種の行為について韓国内では全く議論になっていないため、韓国最大手の新聞朝鮮日報でも「人の心を持った国なら、自国民を国営売春婦にするという発想はしない。」との記事を執筆するレベルの認識にとどまっている[19]。
保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)とは、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人などを大量虐殺した事件[1][2]。被害者は少なくとも20万人から120万人とする主張もある[1]。
韓国では近年まで事件に触れることもタブー視されており、「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」としていた[3]。
日本の敗戦時、朝鮮の抗日勢力においては民族主義者の潮流が衰退し、共産主義者が各地で主流を占めていた。李承晩率いる大韓民国政府は、ストライキや武装闘争を挑む南朝鮮労働党(南労党)を中心とする共産勢力に対して弾圧を行い、1948年12月1日、国家保安法を制定。1949年6月5日、要監視対象者の教化と統制をおこなう思想保護観察団体「国民保導連盟」を組織し、翌年にかけて末端組織を全国に拡大した。
「大韓民国絶対支持」「北傀儡政権絶対反対」「共産主義排撃粉砕」「南北労党暴露粉砕」を綱領に掲げるこの組織には、転向した党員が登録されたほか、抵抗を続ける党員の家族や単なる同調者に対しても登録すれば共産主義者として処罰しないとして加盟が勧められた。保導連盟に登録食料配給がスムーズに行われたため、食料目当てに登録した人々も多かったといわれ、警察や体制に協力する民間団体が左翼取り締まりの成績を上げるために無関係な人物を登録することもあったともいう。
・・・・・略。引用終わり。

私は、あなた方を過激な反日に嗾けるということはしたくない。が、歴史の事実は事実として認める必要があるのではなかろうか。現在の韓国の大統領は、「日本は反省が足らない」「韓国民は千年は恨みが消えない」・・・等々、過激な発言をしている。韓国民は情報統制において、反日に洗脳されている。韓国(中国でも)では、反政府的な言動を取ると「人肉捜査」で迫害を受けるとのこと。心ある朝鮮族の人々に問いかけたい。あなた方は、混乱と破壊の世界を望むのか。私は、過去の出来事は出来事として直視しながら、「人は違って当たり前、民族も違って当たり前」ということを前提とし、お互いに協力しながら、学びあいながら、「共生と分かち合い 平安と創造」の世界が築けないものかと思う。

あなた方に、反政府的な言動を煽動しているのではない。
そんな行動に出ることなく社会を変える方法がある。
それは、再三大和の民に言っていること。
「意識の自立」です。
意識の力は絶大です。物質の力を凌ぐ。かの組織はその事を熟知しているがゆえに、「宗教」「スポーツ」「セックス」「スクリーン」・・・に意識を向けさせて、その意識エネルギーを吸い取っているのです。
だからこそ、誰にも相談することなく、今までの”社会的な知識””常識””教義”などを横において、何が正しくて、何がそうでないのかを、誰一人例外もなく持っている「理性」を判断基準となし、自分の脳みそを自分で使い、考え、感じ、判断できるようにならなければならない。この事には大きなリスクが伴います。それは、”責任転嫁できない”ということです。今までならば、こう教わったから、あの人がこのように言っているから・・・と、責任転嫁ができた。それが出来なくなる。大きなリスクです。しかし、意識の自立を目指すならば、生きた人間として自分自身を保つ必要がある。

このことは、反日の人ばかりではない、世界中の人に訴えかけたい。

多様性の世界。
人は違って当たり前。民族も違って当たり前。宗教は・・・!?
中東のエルサレム。
一つの聖地。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地。
その聖地が混乱と破壊の中心地になっている。させられている。
そして、私的にはもう一つの聖地。
極東の島国日本。
この日本を中心に混乱と破壊の種が目を吹きかけている。
今回の選挙で目を摘み取ることが出来るか!?
鼻提灯をぶらさげて惰眠をむさぼっている大和の民。
マスゴミノ異名を取る諜報機関に誘導されている民。

ええ加減に目を覚ませ!?

ところで、国連という組織。
その事務総長。自国のこのような歴史をどのように思っておられるのか!?
指導顔で「ヘイトスピーチをやめよ」と指導しているようだがね。国連の常任理事国がどのようにしているのか!?
我が大和の国日本には、このような諺がある。

「その身正しければ、令せずとも従い その身正しからざれば、令するとも言えど従わず」

さてさて・・・!?


「除染しました」の看板から転載
開成山公園 地上50cm
10月7日
除染前 2.06μSv/h → 現在 0.12μSv/h 広場中央
    2.45    →    0.19    広場中央
    2.49    →    0.18    幼児広場中央
    2.70    →    0.25    開拓者の群像前
    2.42    →    0.13    八角堂中央
    2.67    →    0.14    児童公園中央
    2.73    →    0.13    後方広場中央
    2.92    →    0.35    バラ園入り口
11月7日
除染前 2.06    →    0.12    広場中央
    2.45    →    0.23    広場中央
    2.49    →    0.17    幼児広場中央
    2.70    →    0.23    開拓者の群像前
    2.42    →    0.13    八角堂中央
    2.67    →    0.13    児童公園中央
    2.73    →    0.14    後方広場中央
    2.92    →    0.36    バラ園入り口

五百淵公園 地上50cm
10月7日
除染前 2.33μSv/h → 現在 0.26μSv/h
11月12日
除染前 2.33μSv/h → 現在 0.28μSv/h

麓山公園 地上50cm
10月8日
除染前 1.64μSv/h → 現在 0.30μSv/h
11月12日
    1.64    →    0.31
酒蓋公園 地上50cm
10月8日
除染前  2.47μSv/h → 現在 0.35μSv/h
11月12日
     2.44μSv/h →    0.19
(除染前の値がいつもと異なっている。別の門に立っている看板からの転載)

21世紀記念公園 地上50cm 公益財団法人 郡山市観光交流振興公社
10月22日  
除染前 2.07μSv/h → 現在 0.40μSv/h
11月5日
    2.07    →    0.44

9月29日
歯が痛い。
ご飯を食べているとき、脳みそに突き刺さる激痛を感じた。右の奥歯。口の中と脳みそが痺れた様な激痛。
歯という一部が暴れだすと、とたんに味覚がなくなり、食欲がなくなり、全身のバランスが崩れる(一は全 全は一)。循環と調和。
細胞一つ一つが集まって全体を形作っている。
一箇所の循環、調和の乱れが全体に響き、全体の調和の不全が一つの細胞に影響をする。
まいった〜。歯が痛い・・・。

9月30日
歯が痛い。腫れて来た。片お多福の様に腫れて来た。首の調子も悪い。身体全体の調子が悪くなると、ダンボールで作ったベットのかすかな傾き、普段では気づかない傾きが非常に気になる。寝れない。余計に調子が悪くなる。これも学びか・・・!?
歯が痛く、右の首筋から右肩がこる。不愉快なほど気分か悪い。
首を動かすとボキボキと鳴り、余計に気分が悪い。寝れないから余計に調子が悪くなる。
下宿の前の駐車場を掃除していると、自称「仏教研究者」なるご婦人が来た。そのご婦人に現在の状況を説明すると、「びわの葉」と「竹ずみ」をいただいた。ありがとうございます。そのご婦人も現代医学を否定的に見ておられる。私自身、20年あまり病院で働いてきた。医学は信じていない。というか、現代の医学はおかしい。病気を根絶するのではなく、病気を増やしているように感じる(感じるのではなく、実際増やしている)。あほらしくてやってられん。
しかし・・・歯が痛い。

10月1日
昨夜は寝れたようだ。
「びわの葉」のお陰か!?頂いた「びわの葉」の波動と、私の肉体の波動がシンクロしたのか!?ありがたいことです。
右頬は腫れている。
しかし、睡眠が取れたことで、少しはしっかりと状況を判断出来るようになっている。
右肩のこりは楽になった。
睡眠が取れることで、身体自体の調和が、微調整がなされたと思われる。免疫系も活性化される。
右ほほの腫れのほか、右の扁桃腺も腫れている。口が開かない。つばを飲み込むとき、コーヒー、お茶を飲むときにしみる。
このような時はじたばたしないでゆっくりと過ごす。無職の特権。
まあ〜絶食になっても、過去、最長40日の断食経験があるからね。

10月2日
昨夜はあまり寝れなかった。昼間寝ていたせいか。百薬の長もあまり効かない。
まあ〜・・・・いいか。
寝汗。風邪を引いたか!?気持ちの悪い寝汗をかいた。よほど身体のバランスが崩れているようだ。寝ていても、上半身は寒く、下半身は暑い。右ほほの腫れは持続していて、疼いている。

10月3日
右ほほの腫れ、疼きは引かない。蒔いた種だから、成長したら自身で刈り取るしかない。
とほほほ・・・・。

10月4日
右ほほが一段と腫れてきた。
大家さんにシップを頂いた。一時はよかった。しかし・・・効き目がなくなると、猛烈に痛くなる。これが現代の医学の一端・・・と思うが、「溺れる者、藁をも縋る」の諺どおりである。

10月6日
夕方、何とか峠は越えたようだ。感覚的にわかる。
びわの葉と竹炭により、体内循環の調和が整えられたようだ。痛み、疼きも治まってきた。
食欲も出てきた。が、口はあまり開かない。
9時過ぎ、コンビニへ。
おでんとタバコを買い求めてきた。

10月9日
寒露。皆既月食。
月食を見た。
図書館の帰り、阿武隈川の遊歩道。なかなか神秘的なものである。夜の散策に出てきたご婦人に出会った。びわの葉をいただいたご婦人である。いろいろと話しながらの観月である。

10月12日
なんか不気味な夢を見た。
交通事故の夢。それもうろ覚えながら、繰り返しての夢。登場人物、現場は異なる。
最後の夢の事故は、交通事故にあい、腹から下が損傷しているのにもかかわらず、壁を登っている。ゾンビか〜!?

10月13日
周期的なものか!?体調不良。
さばの水煮を食べた。吐いた。身体が受け付けない。寝てすごす。台風が来ているからね。

10月14日
毎回一日で復調する。なんなんだ〜!?
体内で何かの変化が起きているのか!?

10月15日
福一で25万ベクレル以上の放射能が検出されたとのこと。徐々に情報を出してくるね。
下宿の掃除をしている途中、胸を締め付けられるような苦痛を感じた。左右から胸を締め付けられるような感じ。息苦しさはない。これはやばい!という意識的な刹那感もない。冷や汗もない。肺ではない、心臓でもない。と感じストレッチをする。締め付けられるような感じは薄れる。う〜ん、大胸筋の痙攣か!?初めての体験。
風呂に行った。うどんと豆腐を買い求める。

10月16日
未明、足裏が船に乗っているような感じを受ける。
船が上下に揺れて足裏に圧迫を感じるような感じ。足は第二の心臓といわれる。足裏の鼓動音か!?気持ち悪いものではない。
うとうととしていると夢を見た。
お金を盗まれる夢。別にあわてている感じではない。いやな感じもしない。さてさて・・・と思いにふけっている。

10月17日
夢を見た。
蛇を調教しているような集団。ほとんど女性。男性がいたようには感じない。よく覚えてはいない。蛇の頭のつかみ方やえさのやり方などを幼い子に教えている。

途中、目が覚めてトイレへ

寝ると夢の続き。
幼い子が蛇にかまれる。私もその集団の一人らしい。私は蛇は苦手である。

う〜ん、私の中のアニマが現れたか!?
しかし、途中で目がさめ、また寝ると続きを見るか!?
夢とは!?フロイトとユングは夢の解釈の違いから袂をわかったとか!?まあ〜いいか。

10月21〜22日
下宿でごろごろ。
体調は良好なれど天気が不良。雨露凌げる場所があることのありがたさを感じる。

10月23日
図書館で源氏物語を読む。

10月24日
ラジヲのニュースを聞いていると、国会で”うちわ”がどうとか議論をしているようだ。政治家も暇だね。まあ〜裏方が動いているからね。

古事記(ふるごとふみ)をよむ。

10月30日
夢を見た。
いつもの光景と感じるような夢。
私は橋の下を両手でぶら下がり移動している。橋げたの所にくると、飛び降りて休む。
そこにボートに乗って二人の男性がやってくる。一人は黒人で、一人は日本人のようだ。黒人は英語で話しかけてきた。詰問調ではない感じだ。
・・・・・
場面は変わり、橋の上。
いつも行っているスーパーのレジのご婦人と話している。
介護の内容で、下の世話が大変だということを話している。私はそのご婦人を半島系と感じている。
・・・・
わけのわからない夢である。
共通しているのは、橋、外人、親しく感じている。
夢とは、私の知らない私が演出しているとのこと。
ちなみに、私の腸はあいかわらず快調である。

11月1日
111の日。
不安が募る日が続いている。
町の中を歩いていても妖怪人間、魔女、魔男が闊歩しているように感じて仕方がない。
恐ろしいものである。人間恐怖症にでもなったか。人と話したくない。会いたくもない。歪んで狂った世界・・・と感じる。
だから・・・リセットを望むか!?私がトンズラすればいいことだがね。
逃避か!?妄想の世界へ没入している。
「古事記」を呼んでいる。
天岩戸の前で繰り広げられる騒動、アメノウズメノミコトノストリップ。それに浮かれる助平親父たちの神様・・・といったように感じる。
天照大神がご自分の顔を見たこともないのか!?ばかばかしい・・・。

中国の海賊漁船のニュースをしている。
ソマリアの海賊では、主要各国の軍が出動している。国連よ、中国の海賊漁船退治もやってくれ・・・と、言っても無理か。ソマリアも色々と囁かれているからね。

11月4日
天気は晴れ。
風呂に入りに行った。寒くなってきたので気持ちがよい。大広間でおにぎりを頂いた。ありがとうございます。帰ってきて、ごみ拾い。なべを作った。

11月6日
下宿の掃除。カラスのえさやり。大家さんへの支払い。
今日は天気もよく、気持ちもいいので大安場史跡公園へ。
太古の世界に思いをはせながら妄想する。小鳥のさえずりを聞きながらのんびりしている。また楽しい。

11月7日
風呂に入りに行った。
入浴後、大広間で休んでいるとテレビの音が雑音に聞こえ、耐え難く出た。
麓山公園でパンをやり、図書館で本を読んでかえる。

11月8日
夢を見た。
昔の知り合いがアベックで来た。辞職の相談。
途中、芸能人らしきアベックが来る。マスコミ関係者も来る、混乱。男性が女性を逃がそうとしている。目が覚める。

11月10日
今まで、自我(エゴ)丸出しで、ジタバタジタバタして来たのだと感じる。
私が背負っているものに関する魂たちとのコメディー。それが必要であり、その場がこの世界なのでしょうね。たまたま、偶然はない必然の世界。
この世界から抜け出すには・・・やはり自我(エゴ)を極力押さえ、自然の流れに沿って流れていく。そうすれば、目には見えない世界の同胞が道を創ってくれる。

11月11日
晴れ。
鳥たちにご飯をやりに行く途中、バス停のごみを整理していると、老婦人が近づいてきて、「毎日ご苦労様」と、缶コーヒーを手渡された。ありがたいことです。
やはり見られている。いい意味でね。
ある人からお米を頂いた。鳥たちのご飯をやっていることを知っている人が、「古い米だけど鳥たちにやって」と。私も食べている。
以前、食べていないという人にお米をあげた。その数倍のお米が入ってきた。
なんか、ここのところ、循環する時間が短くなってきているように感じる。



お名前   コメント



前の月 次の月


無色の妄想日記TOP

タイトル一覧 月別